公開日 2024/12/10 12:13

耳をふさがないのにノイズキャンセル!? NTTの先端音響研究が拓くヘッドホン進化の可能性

評論家・佐々木喜洋がレポート

■NTTの音響関連の最新研究成果を発表



11月21日にNTT武蔵野研究開発センターで開催された内覧会「NTT R&Dフォーラム2024」に参加した。主な目的は先日発表された世界初という「オープンイヤー型ヘッドホンにおけるANC技術」を見学するためだ。本件はニュースとして先日取り上げられている

東京都武蔵野市にある「NTT武蔵野研究開発センター」

内覧会では始めに研究企画部門長の木下真吾氏によって基調講演が行われた。この基調講演がNTT技術の概要と根幹を理解するのに役立った。

光伝送の展開についての基調講演

基調講演ではまず今回のテーマが「インテグラル(積分)」であることが説明された、積分がテーマというのは研究機関らしいが、それはIOWN(アイオン)とAPNというNTT技術の中心コンセプトを積み上げていくという意味が含まれている。またインテグラルには必要不可欠という意味もあるという。

IOWNとはNTTの提唱するコンセプトで、端的にいうとAPNを中心にして技術を組み上げていくことだ。APNとは「オール・フォトニクス・ネットワーク」(All Photonics Network)のことで、全て光通信を用いた伝送ネットワークのことである。これはデータセンター同士を光通信で結ぶだけではなく、基板と基板、チップとチップ、そしてダイオードとダイオードをさえレーザーによる光通信で結んでいくことを意味している。

光によるデータセンター間通信では日本と台湾を17msで結ぶことができるが、実のところ光単体の速度でも15msであり通信に付随する遅延が極めて低いことがうかがえる。このように通信と遅延という課題に真摯に取り組んできたことが電電公社を母体とするNTTの研究部門らしい点で、このことはあとで触れる音響関係の展示においても理解するためのポイントになる。

通信の他にもNTTの技術は農作物やバイオ、宇宙や量子コンピュータ、そして今話題の生成AIなど多岐に渡っている。研究の技術レベルは世界的に見てもかなり高く、その研究所の技術を世の中に出していきたいと木下部門長は語る。

■nwmのヘッドホンは研究開発からのスピンオフとしてスタート



その成果の一つがNTTソノリティのスピンオフとPSZ技術の製品化、つまり最近話題の「nwm」ブランドのイヤホン・ヘッドホンだ。今回の基調講演でも研究成果としてNTTソノリティとPSZ技術、そしてオープンイヤーでのANC技術を始めに述べた点も注目できる。

NTTの研究成果としてnwmを紹介

このように「nwm」ブランドを開発しているNTTソノリティはもともとNTT武蔵野研究開発センターにいた研究者がスピンオフする形で始まった。NTTは電話の会社が元になっているので元から音響の研究は行っていたが、コロナ禍の折にその研究成果を製品化することが考えられたのが、完全オープンでかつ周囲への音漏れを抑えるPSZ技術であり「nwm」イヤホンの始まりだ。

PSZ技術はNTTの研究分野では「IOWN(UI/UX)」というカテゴライズがなされている。IOWN構想の中でユーザー体験を実現する位置付けということだろう。内覧会はあたかも学園の文化祭のように研究所の部屋を公開してテーマごとの展示が行われた。

■オープン型ではANCのさらなる広帯域化が必要



まず今回注目した「オープンイヤー型ヘッドホンにおけるANC技術」だが、一室に騒音ノイズを出すスピーカーが設置され、手前のテーブルにヘッドホンとコントローラーであるタブレットが置かれていた。

「オープンイヤー型ヘッドホンにおけるANC技術」の展示ブース

ヘッドホンは今年発売された「nwm ONE」を改造したもので、外側に3個、内側に1個の集音マイクが増設されている。普通のANCヘッドホンで言うと、おそらくはそれぞれフィードフォワードマイクとフィードバックマイクに相当すると考えられる。

「nwm ONE」を改造したオープンイヤーヘッドホンでANCの効果を体験

ヘッドホンは有線のケーブルで外付けのDSPに接続されている。現在は外付けのDSP上で計算が行われるが、将来的には十分にヘッドホン内のDSPで処理可能な程度の計算量だと言う。

デモを開始すると部屋に設置されたスピーカーから航空機騒音のゴーというノイズが満たされる。「nwm ONE」を装着するとフルオープンなので、そのまま騒音はかなりうるさく聴こえてしまう。そこで手元のANCスイッチをオンにすると、騒音はすっと遠のき、ノイズはかなり軽減されるのが分かった。低減効果は1kHz以下では最大13.7dBで、2kHzでも6dB程度あるようだ。

nwm one標準品(左)と改造品(右)。外部マイクが追加されているのが分かる

この「オープンイヤー型ヘッドホンにおけるANC技術」のポイントは、端的にいうと「高域でもANCが効く」ということだ。これは高域に特化したという意味ではなく、従来では1kHz程度まで効いていたANC技術を3kHzくらいの高音域まで拡張できたということで、つまりANCの広帯域化を実現したということだ。

高域への拡張が必要だった理由は、これがオープンイヤー型のための技術だからだ。なぜオープンイヤー型だと高音域までANCの拡張が必要かというと、従来の物理的な筐体のあるイヤホンやヘッドホンでは高音域の騒音を筐体で効果的に消すことができるからだ。これは高い周波数では波長が短いので物理障壁でノイズが低減されやすいからだが、オープンイヤータイプでは物理障壁がないので、高域の騒音がそのまま入ってくる。そのため従来に比べてより高い周波数を含めたより広い帯域のキャンセルをANCでしなければならないことが課題となったわけだ。

■低遅延への基礎研究による成果



それではANCを高域へ拡張するさいに必要な技術課題はなにかというと、さらなる低遅延化である。理由は高音域(高周波数)では音の波の幅が狭いため、より短い時間で処理をしなければならなくなるからだ。

例えば仮定として簡単に計算すると、1Hzは1周期1秒のことだから100Hzの1周期の時間は1/100で周期は0.01sつまり10msとなる。1kHzでは同様に1msだ。仮にANCの計算で0.5msの遅延が発生すると、100Hzでは周期の0.5/10 msで18度ずれるだけなのに対して、1kHzでは0.5/1msでほぼ半周期(180度)ずれてしまい逆位相の計算を出しても意味がなくなってしまう。こうした単純な仮定でも周波数が高くなるほど遅延の条件がシビアになることがわかるが、実際はさらに複雑なことだろう。

同じ遅延が100Hzと1kHzでどの程度位相がズレるかを示した図(ChatGPTで作成)

次にどのようにしてNTTでその低遅延化ができたのかという背景には、先の基調講演でも触れたようにNTTは通信の会社であり、通信には低遅延が必要であるからだ。放送では相手の返事がないので遅延を気にする必要はないが、通信では遅延があるとコミュニケーションが取りにくくなる。そのためにNTTには低遅延化の技術のノウハウの蓄積があったという。つまりNTTの独自技術がその課題をクリアしたということだろう。これが地道に見えても基礎研究を続けることの強みではないかと思う。

なお今回の展示では「nwm ONE」をデモ機として使用していたが、本技術は研究段階であり、実用化・製品化に向けては今後検討するステータスだという。

開けた空間でのANCという意味では、別に興味深い展示もあった。一室に騒音を出すスピーカーと、大きな白いフレームに逆相音を出す小型スピーカーが複数設置されている。白いフレームの外ではスピーカーから騒音が聴こえてくるが、白いフレームの中に入ると騒音がかなり低減されて聴こえる。

開けた空間の中でのANC技術のデモも実施

この空間のANC技術の課題は広い空間全体を満遍なく低減するということで、従来は空間全体を一つに扱っていたANC処理を変えねばならないという。そのためには計測マイクは従来と同様でも、多数の音源を波数空間上で分解してそれぞれに対応するANC処理をするということのようだ。この技術はカフェや航空機の機内全体をANCで騒音を低減する技術として応用できるという。

白いフレームの中では騒音がかなり低減される

■パブリックビューイングとヘッドホンの融合



また、会場にはANC技術の他にも興味深い音響関連の展示があった。その一つは「音響XR」と題された技術で、パブリックビューイングのための環境音とヘッドホンの融合システムだ。この部屋では大きなTV画面が設置されてサッカーの試合の動画をみることができる。

音響XR展示の全景

ゲストには「nwm ONE」が渡された。これは無改造の標準品だ。このnwm ONEを装着してサッカーの観戦をすると、オープンイヤーなのでサッカーの会場の環境音がそのまま聴こえる。しかし細かなプレーの解説は、やはりTVのように専門家のコメントを聴きたくなる。

nwm oneを装着することで、会場の音と解説の両方を聞くことができる

このシステムでは解説者の音声を「nwm ONE」を通して聴くことができる。「nwm ONE」はオープンイヤータイプなので会場の生音をそのまま聴くこともできる。このシステムでのキーは立体音響を用いたリアルな音の合成と低遅延化だという。リアルタイムに解説者の声を処理する場合でも50ms程度の低遅延でブロードキャストができるそうだ。

またこのシステムで個人的に興味深かったことは、パブリックビューイングシステムにBluetoothのブロードキャスト規格であるAuracastを採用しているという点である。実際手元にJBL 「Tour Pro3」を所持していたので、ケースの液晶画面でAuracastを表示してみた。そこにはたしかにこのシステムのAuracastチャンネルが表示された。ただしカナルタイプの「Tour Pro3」では周囲の音が聴こえなくなってしまうだろう。 「nwm ONE」は標準でもAuracast対応しているということだが、あらかじめこうしたシステムに使われることを見越して設計がなされているのだろう。

■スピーカーとイヤホンのハイブリッドで立体音響を実現



音響関係でもう一つ興味深いのは「Sound SyReal(サウンド・サイリアル)」という立体音響技術の展示だ。

立体音響技術「SoundSyReal」の展示

部屋にはTVモニターが設置され、その下に動画音声のためのスピーカーが設置されている。ゲストは数メートル離れたところから動画を見る。

ゲストの手元には透明なキューブに収められたGPUベースのプロセッサとイヤホンが置かれている。イヤホンは発売されたばかりの新製品「nwm WIRED」が無改造の標準品として用意され、3.5mm端子でプロセッサ基板と接続されている。

SoundSyRealシステム図

ゲストは動画の音をスピーカーで聴くとともに、イヤホンを通しても聴く。すると動画の中の人物が左右に移動するとその方向からその人物の音声が聴こえてくる。前後に移動してもその通りに立体音響として聴こえてくる。そしてイヤホンを外すと立体音響の効果は消えて普通のスピーカーの音声になる。

この「Sound SyReal」の仕組みには驚かされた。光は音よりも遥かに速いので、音源がスピーカーから出るのと同時に光でデータをプロセッサに送って処理、そしてGPUで空間処理をして、スピーカーの音が耳に届く前に処理を終えてイヤホンに音を出す。そしてスピーカーとイヤホンの音をオーバーラップすることで錯覚により立体音響効果を得るというものだ。

このための課題はやはり低遅延で、光伝送を使うとともに、CPUを介さないで直接GPUで処理を行い低遅延化を達成しているという。また立体音響の原理は鹿島建設「OPSODIS」などで使われているクロストークキャンセルではなく、ハース効果が使われているそうだ。ハース効果とは同じ音が同じ音量で別方向から連続して聴こえた場合、耳に届くまでの差が0.04秒以内であれば、時間的に先に聴こえた方向に音源があると耳が認識する現象のことである。

つまりここでもNTTが研究している光ネットワークと低遅延化の強みが存分に発揮されているというわけだ。

■光伝送と低遅延がNTTの技術の鍵



この内覧会では音響関連の他にも光によるIC間の通信技術やAIエージェントなど興味深い展示が多数あったが、時間がなく回りきれなかったことが残念であった。しかし実りの多い体験だった。

今回紹介したようにNTTの技術には光伝送とともに低遅延化というキー技術がある。それが結実した技術の一つが今回の「オープンイヤー型ヘッドホンにおけるANC技術」と言えるだろう。

また音響関係の展示ではnwmブランドのオープンイヤー型デザインを活用していることも印象に残った。つまり「nwm」という製品は単に音楽を聴くだけではなく、生活のインフラとして活用可能な製品群となり得るということだろう。PSZ技術がNTTの研究分野で「IOWN(UI/UX)」というカテゴライズがなされている点にも納得した。こうした意味でも今後のnwm製品の展開に期待したい。

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