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【連載】PIT INNその歴史とミュージシャンたち

第8回:渡辺香津美さんが語る「新宿ピットイン」と「六本木ピットイン」<前編>

田中伊佐資

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2008年12月03日
今回は特別ゲストとして、高校生の頃から「新宿ピットイン」に出演し、「六本木ピットイン」でも大活躍をした日本を代表するギタリスト、渡辺香津美さんに登場していただき、佐藤良武さんとの対談形式で、ピットインとの関わりと出演時の思い出を語ってもらう。

高校1年の時からジャズ・ギタリストのプロを目指し
新宿ピットインには先生の許可をもらって出演し始めた


初めて会ってからすでに40年近く
ステージに立つうちにプロ修行に突入



(株)ピットインミュージック 代表取締役の佐藤良武さん(右)とゲストの渡辺香津美さん(左)
佐藤良武(以下佐藤):やあ、お久しぶりです。・・・でもないね、ちょくちょく会ってますね。

渡辺香津美(以下渡辺):そうですね。

佐藤:初めて会ったときから、もう40年ぐらい経ちますか。ずいぶん長い間会わなかったなあという時期はありませんでしたね。

渡辺:やっぱり「ピットイン」に、しばらくご無沙汰するということはないですからね。

佐藤:昔の話から始めますけど、「ピットイン」という名前を最初に知ったのはいつ頃でしたか?

渡辺:僕は、高校1年生の頃から、ジャズ・ギタリストとしてプロになりたかったんですよ。中牟礼貞則さんの教室でギターを習いながら、ライブハウスには出入りしていたんです。そうすると「ピットイン」が、ジャズのメッカということは自然に耳へ入って来てましたね。

佐藤:初めて「ピットイン」で演奏したのは、今田勝さんのバンドに加わったときでしたね。

渡辺そうです。若くて妙なギタリストがいるという噂が伝わったらしくて、オーディションをやるという話が来ました。今田さんは、土曜の昼にレギュラー出演していて、その前に軽くちょっと音を合わせてテストをすると思っていたんですよ。ところがいきなり「これからステージに出るから」という話になりましてね。

佐藤すぐに弾きなさいと。

渡辺そうです。今田さん、「じゃあ次の曲は・・・」なんていきなり曲名を伝えてくるわけです。「知らないです」と言うと「いや、聴いていれば、そのうちわかるから」(笑)って。満員のお客さんが目の前にいるんですよ。

佐藤:いや、でもそれは、このギタリストならできると確信していたからだと思うけどね。

渡辺:その次が、ドラムの石川晶さんのバンドに誘っていただきました。そのバンドにギタリストはいたんですが、ものすごく忙しくて代わりにやってくれという感じでした。その時は、石川さんのレコードを買って、レパートリーを完全に覚えてから、もう自信満々でセッションに臨みましたよ。ピアノが亡くなったコルゲンさん(鈴木宏昌)で、「とんでもないやつだな。なんでオレの作った曲を弾けるんだ」なんて言われました。それでも「おもしろいから、また来なさい」と声をかけてもらったのは憶えています。みなさんにはずいぶん可愛がってもらいましたよ。

佐藤:まだ16歳ですからね。

渡辺:そうですね。

佐藤:私はいまでもよく憶えていますよ。初めて演奏を見たとき「天才ギタリスト現る」という感じでした。また、会った感じがとても純粋でね。

渡辺:そして生意気だった(笑)。恐いもの知らずだった。

佐藤:ベースの鈴木勲さんからも、「凄いギタリストだぞ」という話を聞いていました。

渡辺:鈴木勲さんのバンドでも、ちょうどギタリストの都合がつかなくて、代役で出たんですよ。自由が丘の「ファイヴ・スポット」でした。ステージが終わって機材を片付けていたら、鈴木さんが「お前、なにやってんだ」と言うんです。きょとんとしていたら「明日からずっとこのバンドでやるんだよ」と(笑)。そこからですね、本格的にプロのギタリストとして修業が始まったのは。


ギタリストの渡辺香津美さん

あまりに有名なアルバム「TO CHI KA」発売後に行われたツアーのメンバー。マイク・マイニエリ、マーカス・ミラー、オマー・ハキムとそうそうたるメンバーが揃っている(当時のツアーパンフより)

渡辺貞夫さんを訪ねて弾いたことも。周りの理解者に恵まれて活動を続けた

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