デノンのBluetooth搭載アナログプレーヤー「DP-500BT」が大きく話題を集めている。音質や機能性の高さはもちろんだが、そのトーンアームの秀逸なメカニズムは往年のオーディオファンからも注目が高い。
DP-500BTのトーンアームの設計を手掛けたのは、デノンのベテランエンジニア、岡芹 亮氏。1970年代から受け継がれるトーンアームの開発思想を、レコード全盛時代からオーディオ市場を見つめてきた井上千岳氏が迫った。
カートリッジとアームを振動系として一体に考える
人気のデノンのアナログプレーヤー「DP-500BT」である。すでにあちこちで様々に取り上げられているが、今回は本機のトーンアームについて少し深く掘り下げてみたい。
ターンテーブルと並んで最も音質への比重が大きい要の部分であるにもかかわらず、なぜ触れられる機会が少ないのか。そういうことも含めて設計者の岡芹 亮氏にお話を伺ったので、それも交えながら考察を進めることにしたい。
公式ブログでも紹介されているが、岡芹氏は1981年日本コロムビア(株)入社。現在はシニアマネージャーの職にある。デノンがまだデンオンと呼ばれていた時期で、東京都三鷹市にある旧日本電気音響の社屋が職場であった。ちょうど「DL-1000A」の開発時期で、カートリッジの設計・開発に携わったことのある最後の世代だそうだ。
その岡芹氏によると、「トーンアームはエタイの知れないもの」なのだそうである。
「どことなくカートリッジを支えてるだけのものという風に思われがちなんですね。ターンテーブルの話とかは結構話題になります。モーターとかですね。あとカートリッジもいっぱい話は出てくるんですけど、トーンアームの話というのはなかなか出てこない」
要するに地味な存在ということかもしれない。まず部品点数がものすごく多く、コストがかかる。工場内で組み立てられる人も少ない。そういう状態が進むと、いずれ撤退ということになるわけである。
実際アナログプレーヤーのメーカーでも、トーンアームはOEMであったりでき合いの何かを取り付けるというケースも少なくない。その中で、自社でトーンアームを設計しているDP-500BTの存在は大きいのである。
しかし、「私は特に何かしたわけではないですよ」。
岡芹氏はそう言うのである。
「トーンアームはメーカーそれぞれに物理特性と幾何学があって、デノン(当時はデンオン)の場合はカートリッジとアームを振動系として一体に考えたんです」
トラッキングエラーがゼロになる点を内周寄りに設計
ここで取り出して見せてくれたのが、伝説のカートリッジ「DL-103」を開発したときの報告書。実に65年近く前の手書きの書類である。歴史学なら国宝級にもなりそうな、少なくとも「社宝」と言ってもいいような貴重な資料である。
報告者は「松田 等」となっている。DL-103の設計者としてあまりに著名な人物である。東日本大震災の後、白河工場を整理している中で岡芹氏が発見(発掘?)したものだそうだ。
編集部注: 『「DL-103」を開発した祖父に、「ワルキューレの騎行」を聴かせたい』。松田 等氏と、その孫である上杉優太朗氏による心温まるファミリーストーリーは、小社刊行による『季刊・analog 80号』に掲載されている。ぜひ合わせてご覧になって欲しい
「例えば人間の可聴帯域20Hzから20kHz。これをカバーするにはカートリッジの特性だけではできないんです。そうすると、低域の特性は重要になってくるんで、振動系っていうのは全部一体で考えなければいけない」
つまりカートリッジとトーンアームを併せて、ピックアップというひとつのシステム=振動系と考えるわけである。だからこの報告書にもカートリッジとトーンアームの両方に要求される特性が示されている。
カートリッジは専用のヘッドシェルに収められ、放送局ではディレクターがこれを持って歩いてコンソールのトーンアームにそのままスポッと挿して再生する。調整もなにもなし。そういう使い方をされていたそうである。
一体としてのピックアップという考え方がデノンのアナログ機器には伝統的に受け継がれてきて、トーンアームの設計もそこから生まれてくる。
「一般的には色んな幾何学的なものがあって、軸があってピックアップの針先の、距離と角度が大切です」。アームの有効長つまり支点から針先までの長さとオフセット角。これが決まるとトラッキングエラーの特性が出る。それからオーバーハングも関係する。こういったデノン独自のアーキテクチャー、幾何学がずっと踏襲されてきているのだという。
トラッキングエラーはレコードの接線とカートリッジの向きのずれのことだが、必ず2箇所でゼロになる点(ヌルポイント)がある。これをどこに持ってゆくかというのはメーカー各社のポリシーによるが、デノンの場合はなるべく内周寄りにヌルポイントを近づけているそうだ。再生中の歪み(びりつきなど)をできるだけ避けるためだと聞いた。放送事故にもつながるからである。
重量バランスで共振周波数を制御する
トーンアームとカートリッジのバランスというのも、大きな問題のひとつだ。例えば重量級のアームに軽量級のカートリッジを付けてはいけないというようなことが昔から言われてきた。なんとなく漠然とそう教えられてきたという人も多いかと思うが、これにもきちんとした理屈がある。
「カートリッジの針には柔らかさがあります。データ上はコンプライアンスと言いますけど、それとアームの重量。それがふかふかの柔らかいものにうんと重いのを使ってしまうと、共振周波数が低い方に来て余計な振動を起こす。レコードのソリであったり偏心で針圧が変わったりで混変調を起こしたりするので、そこをいい具合に持ってくるわけです」
振動系の場合は重量を必ず針のチップから見る。よく「針先から見た〇〇の重さ」と言った言い方をするが、それは針先を基点として考えた重量のことである。だから一番近い部分が最も重く、遠く離れたアームの根元は軽く見えるわけだ。
「それが実効質量で、あと針先にはバネがあるので(ダンパーによる弾性)、このバネ成分と質量で共振周波数が導き出されます」
トーンアームにおける実効質量とは、パーツを外して秤で重さを図った場合の全体の質量のことではなく、実際に組み立てて動作させたときの見かけ上の目方のことを表している。計算によって低域をトーンアームでコントロールするということになるわけだが、「これはもうアナログプレーヤーの設計者が常識として考えていることだと思います。だから私がやったわけじゃない。先輩たちがそのいいパラメーターを残してくれた」
ただ理想的な周波数特性だったら音がいいのかというと、これはまた話が別だそうだ。情緒的な問題と物理的な問題というのは異なってくるので、そこから色々な考え方が出てくる。メーカーによって音やポリシーが異なるのはこのためなのである。
結局オーディオ機器には必ずトレードオフというものがある。あちらを立てればこちらが立たずという理屈で、どこかで妥協点を見出すことが必要になる。トーンアームのような機械的な製品では、特にそうした配慮が重要だ。だから絶対ということはない。どこかがよければ、必ずその反動が存在する。その調和を図って、ちょうどいいポイントを見つけるのが設計のキモということになる。
トーンアームは重要な存在だが、どうしても地味になるのは、一刀両断でスパッと解決できるわけではないからかもしれない。
デノンの伝統が生んだ現代版のトーンアーム
DP-500BTには採用されていないが、「DP-3000NE」のトーンアームには伝統的なデカップリング機構が搭載されている。アームパイプとベース部を板バネを使った特殊な機構で切り離したフローティング構造で、ずっと昔からの独自の技術である。
DP-3000NEではこの機構を復元・搭載したわけだが、残された図面からパーツは復刻できたものの、組み立て方がわからない。そこで退職された当時の技術者を訪ねて教わったという話を、別の機会に岡芹氏から聞いたことがある。それくらいの伝統がつまり現在まで引き継がれているということなのだ。
DP-3000NEに比べると、DP-500BTのトーンアームにはもっと簡略化された部分が多い。確かに岡芹氏の言うように、「何も特別なことはしていない」のかもしれない。
にもかかわらず両者に同じオーラを感じるのはなぜだろうと考えると、どちらも伝統という重いリソースを背負っているからだという結論に落ち着く。
このトーンアームを作ったのは誰でもない、その伝統そのものなのかもしれない。単純にトーンアームの設計について訊くつもりだったのが、思いがけず深い話になった。あらためて岡芹氏に感謝の念を表したい。
(提供:ディーアンドエムホールディングス)






















