元日本コロムビアの本間孝男氏が徹底分析

ハイレゾ配信版『レッド・ツェッペリン IV』に期待するわけ ー 元洋楽ディレクターが当時の録音状況を分析

公開日 2014/10/27 14:13 本間孝男
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オリジナルマスターと膨大なアウトテイク

オリジナルマスター(2chステレオのアナログ最終マスター)はアウトテイクとともに西ロンドンのアーカイブ倉庫に保管されている。そこは常温・常湿で厳重に管理された秘密の保管庫で、映画「ハリーポッター」のネガや英国を代表する工芸品も収められている。

ジミー・ペイジには、本編のリマスタリングの他にも、アウトテイクを整理して、デラックス・エディションなどのために「コンパニオン(お友達)・オーディオ」を制作するという手間のかかる役割をこなさなければならない。自身がプロデューサーを務めているため、彼の手元にも膨大な数のラフミックスや別テイクのコピーが1/4インチのオープンリールで残っている。テープ速度も38cm/秒、19cm/秒と様々で、国をまたいで録音しているのでCCIR、NABと録音カーブが入り交じる。整理だけでも相当根気のいる作業であるはずだ。

同時にハイレゾ配信が開始される『聖なる館』

ツェッペリン・サウンドの原点である『IV』

1960年代末から1970年代初頭にかけてオリンピック・スタジオはアビーロードと並ぶ英国のトップスタジオだった。ツェッペリン・サウンドはこのスタジオに育まれた3人のエンジニアが担ってきた。ツェッペリンの『I』を担当したのはオリンピックのチーフエンジニアだったグリン・ジョーンズ(Glyn Johns)。そのグリンのアシスタントを努めたのが、後にジミヘンの全作品を手掛けるエディ・クレーマー(Edwin Kramer)だ。彼はツェッペリン『II』、『聖なる館』など5作品を担当。さらにグリンの弟、アンディ・ジョーンズ(Andy Johns)もオリンピックでエディ・クレーマーのアシスタトを努め、その流れでツェッペリンの『II』、『III』、『W』のレコーディングを担当して行く。

中でもグリン・ジョーンズの功績は大きい。ドラム・サウンドを4本のマイクで収録する「The Glyn Johns Drum Recording Method」を開発。ジョン・ボーナムのドラムのエネルギーをロス無く捉え、ツェッペリン・サウンドの骨格を作り上げた。後にレコーディング革命と後にいわれたメソッドだ。弟のアンディが録ったドラム・サウンドの傑作と言われる「レヴィー・ブレイクス」(『IV』に収録)も兄グリンの技術を継承したものだ。

ちなみにオリンピック・スタジオは、後に”HELIOS”の名前で販売されたカスタムメイドのミキシング・コンソールでも名高い。その独特のサウンド(中高域)が人気の元だった。ツェッペリンが頻繁に利用したローリング・ストーンズの車載スタジオも、ジミー・ペイジが好んで使ったアイランド・スタジオも調整卓は”HELIOS”ミキシング・コンソールを使っている。

e-onkyo musicで現在配信中のレッド・ツェッペリン作品一覧

ストーンズ・モービルに影響を受けた車載スタジオ

このローリング・ストーンズの車載スタジオについても触れておこう。ミック・ジャガーが音頭をとって移動録音設備を自前で実現する計画を立ち上げたのは1968年。録音機材一式をコンパクトに収容し、丸ごと指定の建物に横付けできるというのが基本コンセプト。ユニットはBMC(ブリティッシュ・レイランド)のシャーシに架装された。1969年に完成したモービル・スタジオは早速ストーンズのハイドパーク・コンサートの録音に運び込まれた。TV中継車はあったものの、ヨーロッパで始めての録音車ということもあって、評判はあっという間に他のバンドにも伝わる。

そして真っ先にこのモービル・スタジオを使ったのはレッド・ツェッペリンだった。『III』をはじめに『IV』、『聖なる館』、そして『フィジカル・グラフィティ』までの4作品をモービル・スタジオで録音した。なお、『III』、『IV』、『フィジカル・グラフィティ』の3作品はペイジが独自に手配したヘッドリィ・グランジ邸に、『聖なる館』はミック・ジャガーの別荘のスターグローヴにこの車載スタジオを持ち込んでレコーディングを行った。

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