公開日 2021/10/17 07:00

『レット・イット・ビー』の終わらない旅 -52年目の〈ゲット・バック・セッション〉-

最新リマスターから探るビートルズの真実

第4章 「素顔のビートルズ」をテーマにしたグリン・ジョンズ版

■DISC4/5 若い世代にこそ聴いてほしいグルーヴィなロックンロール

今回のスーパー・デラックス・スペシャル・エディションの目玉がDISC4、グリン・ジョンズがミックスし、1969年5月アップルから発売予定だったザ・ビートルズ11枚目のオリジナルスタジオレコーディングアルバムである。

筆者は学生時代から『プリーズ・プリーズ・ミー』からザ・ビートルズのアルバムを発表順に何度も聴いてきたが、『イエロー・サブマリン』の次に聴くのは決まってこのグリン・ジョンズ版『ゲット・バック』のブートレッグで、『アビイ・ロード』はシングル「ジョンとヨーコのバラード」「オールド・ブラウン・シュー」を挟んだその次だった。

ポップスレコード史上最大の「幻のアルバム」がたとえ半世紀後であってもアップルから名誉回復して正規発売されるのはうれしい。なぜなら『ゲット・バック』は凡作でも失敗作でもなく、「素顔のビートルズ」をテーマにした音楽は永遠に古びることはなく、原石のきらめく光を放っているからである。

フィル・スペクターの職人芸が生んだ公式の『レット・イット・ビー』に比較して一発録り、オーバーダビングなしのサウンドは薄かったのは事実。これまで出回ってきたブートレグは、さらにそれを何世代もコピーしたものであり、再生音質の不利はいうまでもなかった。それが正規の音源から厳格にデジタルアーカイブされた。実際に震える指で再生すると、リマスター効果は絶大、S/Nの飛躍的向上でスタジオライブの生々しい臨場感が増し、適切なコンプレッションで金属的な太い音の芯がずっしり量感を増し、レイドバックにかぶれていた時期のザ・ビートルズの、いい意味で泥臭いロックンロールサウンドにぶんなぐられる快感。

昔からのファンは必携のDISC4だが、筆者はビートルズにそれほど馴染のなかった若い世代にこそこの「素顔のビートルズ」のスタジオライブを聴いてほしいのである。今や大音楽家に祭り上げられてしまったが、ザ・ビートルズがいかにいけてるバンドだったか、かれらの演奏がいかにグルーヴィで上手くて粋だったか、この一枚で分かるはずだ。

「ワン・アフター・909」
スペクター版を含め、唯一使われたルーフトップ・セッションでの録音源。出会って間もない1959年のジョンとポールの初期の共作。LchのジョンとRchのポールのボーカルの声質やパートの対照が長年の公式版に比べて鮮明さを増し、にんまりしてしまう。原点回帰セッションにふさわしいオープニングだ。

「メドレー:アイム・レディ(aka ロッカー)」
Lchのジョージのギター、やや寄りのドラムスとステレオ分離効果を重視、スタジオライブの臨場感を重視したミキシングが鮮明に。

「セイブ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー〜ドント・レット・ミー・ダウン」
アメリカで発売のコンピレーションアルバム『ヘイ・ジュード』に収録されたため、スペクター版でアウトテイクになったが、本来は「ゲット・バック」と二枚看板でアルバムを背負って立つ代表曲でレイドバック・ビートルズを代表する名曲。ジョンのカウントから始まるが、まったりしたシャウトに曲への自信がうかがえる。リンゴのシンバルが鮮度を増し華やかに音場に持続する。ポールのうねるベースライン、客演奏者として唯一クレジットされたビリー・プレストンのエレピが音場左右一杯に広がり漂う。

「ディグ・ア・ポニー」
ジョンの書いたロックンロールの冒頭からの三連打もジョンズ版の魅力。冒頭のコーラス「オールアイ」はスペクター版とネイキッドでどこへいったのだろう? 正規の音源からの初のミックスでバンドの飾らない素のサウンドと演奏の地酒風味がついに全開に。

「アイヴ・ガッタ・ア・フィーリング」
完奏できず中断した、ポールのシャウトがいちばんワイルドなテイクをあえて採用。ジョンとの掛け合いもこのテイクの魅力。ジョンの書いたパートも声が荒れて一気に高潮へ、そして中断。この「最後までいかせてくれない」欲求不満もジョンズ版長年のご愛嬌。

「ゲット・バック」
ビリー・プレストンの絶妙のサポートプレイにグラミー賞があたえられた。リンゴのスネアの音圧の鮮度を増していて、1969年1月のロンドンの凍り付くように寒い空気が伝わる。

「フォー・ユー・ブルー」
スペクター版のジョージのセリフの入らない最も完成度の高いテイク。

「テディ・ボーイ」
映画でも披露されたポールの物語歌。ポールらしいメロディラインとコード進行のノスタルジックなフォークバラードだが、ソロアルバム収録版のほうが哀愁があっていい。『マッカートニー』に収録されたことが分かり、ジョンズのセカンドミックスで削除された。

「トゥー・オブ・アス」
スペクター版との落差が最も大きい曲。ギターアレンジが違い録音のエコー成分が豊かで、ポールとジョンの仲良し旧友の、そしてバンドメンバー全員の溶け合った一体感がある。正規音源からのリミックスでアコギサウンドの響きの美しさが際立ち、ジョージもとうにいない今、涙なしで聴けない美しいフォークロック名曲だ。

「マギー・メイ」
スペクター版と同じテイクだが、シンバルの尖鋭感に1969年のアップル地下スタジオに立ち会うレアな迫力。

「ディグ・イット」
スペクター版の49秒に対し全長1分半のロングバージョンだが、全長版は実に12分25秒、ブートレッグでも聴くことができる。〈ゲット・バック・セッション〉を象徴するジャムセッション曲。後半のジョンが何を歌っているのか50年経っても分からない。

「レット・イット・ビー」
ポールの弾くブリュートナーの硬質な響きが50年の時間を超えて清冽に音場に響き渡る。左からプレストンのオルガン、右からリンゴのシンバル。中央にジョージのレスリーギター。アップル地下スタジオにその時たしかにあったバンドサウンドが、シングルのモノラルの束縛から解き放たれた感動の瞬間である。

「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」
トゥイッケンナム映画スタジオのシーンの最後と同様、ポールの二大名曲の連打である。セカンドコーラスのBメロ部分もポールが繰り返し歌っているので、プレストンの感動的なオルガン間奏が聴こえにくいのは残念だが、オーケストレーションがないのでゴスペル曲「レット・イット・ビー」の凜とした美しさと対照的なこの曲の本来のノスタルジックな美しさが際立ち感動的である。

「ゲット・バック」(リプリーズ)
映画のエンドクレジットで静止画のバックに流れるポールの笑い声をフィーチャーしたバージョン。これでどこに不足が? 1969年5月に出してしまえばよかったのに。

スーパー・デラックス・エディションのDISC5に収録の「アクロス・ザ・ユニバース」と「アイ・ミー・マイン」は、1970年1月の二度目のミキシングで加えられたトラックで、「テディ・ボーイ」をカットして曲順を調整すれば、「グリン・ジョンズ セカンドミックス」全曲が聴ける。ユニバーサルの粋な趣向だ。

■ハイレゾでは、音楽家フィル・スペクターの純粋な一面が見えてくる

さてスーパー・デラックス版にはブルーレイディスクが含まれており、正規版『レット・イット・ビー』のリマスターを、96kHz/24bitのハイレゾステレオ、ドルビー・アトモス、5.1chサラウンドDTSの3種で収録している。

フィル・スペクターミックスの高解像度リミックスだが、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」は、リチャード・ヒューソン指揮のグランドハープまで含む管弦楽団のパートが鮮明に立体的な奥行きで浮かび上がる。筆者は「ピカソのデッサンにトマトケチャップを投げつけたような代物」と酷評されたこのバージョンが若い時分は好きでなかったが、年齢を重ねてアレルギーが消えて好きに変わっていった。

何も知らされず変わり果てた自信曲を聴いてポール・マッカートニーが驚き怒り、解散へ加速したエピソードはつとに有名だが、真実は決してそうではなかったのでないか、と今では思うのである。ポールは後年、映画『007/死ぬのは奴らだ』の主題曲のオーケストラアレンジにリチャード・ヒューソンを起用している。筆者はポールの来日公演はすべて聴いているが、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」はソロステージの定番曲で、近年はBメロの背景演奏にスペクター版の上昇音型のオーケストラスコアをそっくり使っている。リスナーが聴き馴染んでいるからだけではない。アレンジの良さを認めざるを得ないからである。オケの総譜を書いたのはリチャード・ヒューソン、コーラスパートはジョン・バームの筆になるものだが、アンサンブルの構想と楽器の編成はスペクターによるものだ。

1970年4月に、フィル・スペクターがわずか一週間で完成させたミックスを聴いてポールは内心、震撼したのではないか。スペクター恐るべしと。

ハイレゾの広大な音空間に描き出された「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」の壮麗さは楽器群とコーラスがあやなす深い森に迷い込むようで、エキセントリックな奇行の主、野心的な音楽屋、ビジネスマンと語られるフィル・スペクターの音楽家としての純粋な一面がみえてくる。毀誉褒貶の多かった故人…。いま名誉回復されたのである。



さて、ザ・ビートルズのヒストリーの結末を大いに盛り上げた問題作でさまよえるアルバム、ファンにとって永遠のロマンをかきたてる『レット・イット・ビー』をめぐる旅はこれが終着駅なのか?

終わらないのである。11月には、『ザ・ロード・オブ・ザ・リング』のピーター・ジャクソン監督が1969年の不穏な時期のザ・ビートルズの人間模様と音楽をテーマにしたドキュメンタリー映画『ゲット・バック』がDisney+にて配信される。当然、サントラも発売されよう。

本家のザ・ビートルズ最後の主演映画『レット・イット・ビー』はレーザーディスク・フォーマットを最後に公式ではDVD発売されないままだ。特典映像にカットシーンを追加したブルーレイディスクの早期の発売を望みたい。

公式版『レット・イット・ビー』のトラックは、アップル地下スタジオで録音したトラックで構成され、映画のカメラが追ったトゥイッケンナム映画スタジオでのリハーサルは過去一度もレコード化されていない。他人の書いたロックンロールのスタンダードが多く演奏されていて著作権上の問題があるのだろうが、ルーフトップ・セッションの全長版と合わせて、映画本来のオリジナルサウンドトラックアルバムの発売を強く望みたいところだ。

そう、『レット・イット・ビー』を追いかける旅はこれからも続く…。

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