公開日 2020/10/12 16:18

オーディオ哲学宗教談義 Season3の第3回、テーマは「私たちは何を聴いてきたか」『音楽における宗教性』

黒崎政男氏と島田裕巳氏が語る
季刊analog編集部
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芸術の最高形態としての無伴奏

宗教学者・島田裕巳氏(左)と哲学者・黒崎政男氏(右)

島田 演奏している人はどういう心持ちなんですかね?

黒崎 神に語っているということですか?

島田 無伴奏というのは僕にとっては分かりにくい音楽。そもそも音楽なのか。普通の演奏と次元が違う。

黒崎 私は以前からこの会で申し上げているように、無伴奏こそ芸術の最高形態なんです。伴奏がつくとすごく緩くなります。他者が出てくるからか分からないけど。伴奏付きのソナタとかいうと、ガタッと人間の次元に落ちるというか。無伴奏だと神と対面しているという孤高の精神性がある。

テレマンのように、あんな気楽な曲を書いている人でも、無伴奏の曲(12のファンタジア)はとんでもなく素晴らしい。エマニュエル・バッハのフルート・トラヴェルソの無伴奏も。無伴奏を作曲した時の音楽家の精神の高潔さといったらない。無伴奏は音楽面でも、精神性という面でも最高位だと思いますけど。

ちょっとアンケート取ってもいいですか(笑)? 皆さん、そうですよね?(客席に問う。たくさん手が上がる)……ほら(得意そうに)。

哲学者・黒崎政男氏

一同 (笑)

島田 普通だと、ひとりで楽器を弾いていたら歌うよね。各地の民族音楽はそういう形をとっていた。ただ、ひたすらひとりで楽器を演奏する無伴奏というのは、そうした民族音楽とはまったく次元の違うものなのかもしれない。

宗教学者・島田裕巳氏

黒崎 なるほど。近代主体主義の、「個人が神と向き合う」という自我の発生とともに発展していったものだと。

島田 だから例えば、平安時代の清少納言がこれを聴いたら。

黒崎 発狂しそうだよね。

島田 何? という風になると思う。

黒崎 なるほど。かつて音楽が演奏された状況を考えると、音楽は人々の間の共同的なコミュニティの内から発生してきたものであるという風に捉えることもできる。その点からみれば無伴奏は非常に「個」ですよ。それが向き合っているのは、やっぱり内面的なものというか、その対象は他者ではない。つまり他の人間ではなく自分の内面を通して神的なものへ向かっている。もしかしたらそれで宗教的なものを感じるのかもしれない。

島田 音楽という分野のなかには入っているけれど、そこからちょっと逸脱している。

黒崎 ベクトルが横にないですから。垂直方向だけ。つまり共同体的な横のつながりではなく、超越的なものに対するものだから。

島田 これを演奏する人たちはどういう気持ちで演奏したんでしょうかねぇ?

宗教体験としてのブルックナー9番

黒崎 演奏する側はちょっと分からないから、またの機会として……。聴く側とすれば非常に精神性や、宗教性を感じたものでした。

さて、次はブルックナーの9番を聞いていただきましょう。先ほどまでかけたのは学生時代から聴いてきたものですが、これを聴くようになったのは、ここ数年のことです。LPを復活させた3年前からハマって、40年くらい前の当時と聞こえ方の変わり幅が一番大きく、音が最高に気持ちよかった曲がブルックナーの9番です。

これこそ宗教体験というか……というか、かなりカトリック的な感じの体験です。

ブルックナーの9番には独特の転調があります。音楽がこう来て、ヒュウッと転調する時、我々はスーッと別な次元に持っていかれるというか。モジュレーション、転形している。モードが変わってトランスしている。カトリックの秘跡に「聖体拝領」があります。ここではワインがキリストの血に実体変化する。Transsubstantiatio(実体変容)というのですが、サブスタンスは実体。実体はふつう変わらない。属性、つまり性質が変わるというのが西洋の捉え方です。ところが、この秘跡ではパンと葡萄酒がキリストの血と肉に変わる。それが聖体拝領の奇跡なんです。

9番の転調にはまさにこの実体変容を感じさせるところがあって、非常に宗教性を感じます。それでは聴いていただきましょう。ブルックナーが亡くなる直前に書いて4楽章まで書けなかったので、最終章である3楽章をかけます。

〜ブルックナー:交響曲第9番 第3楽章〜リンKLIMAX LP12SE+KLIMAX EXAKT 350で聴く

ブルックナー:交響曲第9番 第3楽章

黒崎 どうですか、ブルックナー。私は昔は分からなかったなぁ。若い時のブルックナー好きって言うのもあり得るのかな。今はすごく染みます。

島田 これはブルックナー何歳の時の作曲なの?

黒崎 晩年。70歳くらいの時。ブルックナー自身は純朴で、若い娘が好きで、ずっと独身で。

島田 ロリコンなんだ。

黒崎 うん、ちょっとヤバかったみたい。風采上がらなくて、女性にあまり好かれなくて。ずっとオーストリアの田舎暮らしで、すごく気の弱い人で、人に何か言われると全部書き換えてしまうんですよね。だから改訂版がたくさんあって、原典をどれにするか非常に困る。

島田 9番はそういう改訂版はないの? 完成していないんでしょう?

黒崎 完成していないんだから、本人の異稿はないです。

とにかく私は昔こんなことは知らなくて、せいぜい4番の「ロマンティック」。カール・ベームが振ったものを聴いていましたけれども、ブルックナーってどれを聴いても同じみたいに聴こえていたんです(笑)。ところが3年前LP12を買って、ブルックナーのLPを聴き直したら、すごいファンになってしまったんです。

今日のテーマの宗教性言葉でから見て、ブルックナーを通して何を聴いているのか、というと、宗教性と表していいのかどうか……、大いなるものに包まれていると感じるんです。なんだか安心するんですよ。神は裏切らない……と。

島田 はっはっはっは。

黒崎 マーラーの音楽には不安が付きまといます。近代人の持っている不安がそのまま出ている。ブルックナーの音楽。特に9番には阿弥陀聖衆来迎図のように、仏さまもやってきて、救ってくれるよ、みたいな感じ。絶対の帰依、絶対の安心がある。

ひとつにはオーディオ装置が、包み込むような雄大さ、透明さを表現できるようになったからではないかとは思いますね。

島田 壮大な宇宙的なものを表現する音楽ってほかにないんじゃないですか? 

黒崎 後期ロマン派のマーラーとか、先ほど聴いたブルックナーとか。……リヒャルト・シュトラウスとか。壮大な世界を作ったワーグナーのエピゴーネンというか、ワーグナー以降の人たちの音楽でしょうね。

島田 やれるとしたらシンセサイザーがこういう壮大な表現力を持っているといえるかもしれない。上手くいくかはともかくとして。

黒崎 この絶対性と安心感、それからこの豊かさはやっぱり近代オーケストラでないと出せないんじゃないかな。


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