言葉を歌に、歌を交響曲に。マーラー交響曲第2番「復活」の豊かな構成力を深掘り!
銀座のオーディオショップ、サウンドクリエイトにて開催されている人気イベント、「クラシック名曲深堀り」。オーディオ評論家の山之内 正氏と、哲学者の黒崎政男氏が、あるクラシックの名曲を採り上げ、その曲が生まれた文化的時代背景や録音手法などから、その作品について深く知る対談企画となっている。
今回は2025年4月13日に繰り広げられた第3回、マーラーの交響曲第2番「復活」の回をレポートしよう。
再生ソフトはハイレゾ、アナログLPを活用。オーディオシステムは、システム LINN 360 EXAKT(EXAKTスピーカー)、LINN KLIMAX DSM/3(ネットワークプレーヤー)、LINN KLIMAX LP12 BEDROK(ターンテーブル+フォノイコライザー)を使用した。
さぁ、マーラーの「復活」。何がどのように復活するのだろうか?
30歳で「死から復活へ」を描いたマーラーの若き死生感
黒崎 今回はマーラーの交響曲第2番「復活」。前半ではそもそも何が復活するのか、思想史的な背景にも触れながら探ってみましょう。
山之内 後半ではマーラーが具体的にどんな手法で「復活」のテーマを提示、展開していったのか、演奏を聴きながら第5楽章を中心に深堀りします。
黒崎 大編成の作品にあまり興味がなかった私もこの曲は若い頃から聴いていましたが、実はなかなか5楽章までたどり着かなかった(笑)。レコードだと4面あるし、長過ぎる第1楽章でエネルギー使い果たしてしまいました。
山之内 1〜2楽章と第3楽章以降に分けて聴くという手もありますよ。
黒崎 なるほど!それは思いつかなかった。でも1楽章冒頭も本当に素晴らしいです。クレンペラー指揮/フィルハーモニア管の演奏(1961〜62年)をイギリスの初期盤で聴きましょう。
(1) LP再生 クレンペラー指揮 1960年代録音 マーラー:交響曲第2番第1楽章冒頭
黒崎 LP12 BEDROKだともの凄い音で鳴るなあ! この演奏の緊張感はとんでもないものがある。
山之内 いきなりフォルティッシッシモで始まる冒頭の演奏効果は抜群ですね。クレンペラーの推進力は見事ですね。最近の演奏は縦をきっちり揃えるけど、それとは明らかに違いますね。
山之内 次にテンシュテット指揮/ロンドン・フィル(1989年)、イヴァン・フィッシャー指揮/ブダペスト祝祭管(2005年)で同じ部分を聴いてみましょう。
(2) Qobuz再生 テンシュテット指揮 1989年録音盤 マーラー:交響曲第2番第1楽章冒頭
(3)Qobuz再生 フィッシャー指揮 2005年録音盤 マーラー:交響曲第2番第1楽章冒頭
黒崎 個性的で主観的な演奏から、端正で客観的な演奏に時代とともに変化しますね。最近の演奏はイン・テンポで安定している。
山之内 ただし、客観的な演奏が正しいのかどうかは微妙です。マーラーが指揮すると毎回テンポが変わっていたようです。
黒崎 生前はむしろ指揮者として名声を得ていたんですよね。
山之内 マーラーは「復活」初演の2年後(1897年)にはウィーンの歌劇場の芸術監督まで上り詰めました。
交響曲第2番の録音の話に戻ると、1980年代以降、優秀録音が次々に出てきました。マーラーの複雑なオーケストレーションは、遠近感や立体感を再現しやすい現代の録音でこそ真価が伝わる面があります。イヴァン・フィッシャー盤はその代表格ですね。
黒崎 1楽章は英雄の墓の前というイメージで、「死」を描いています。それと対になるのが5楽章の「復活」です(註:一般的に交響曲第2番自体のタイトルを「復活」とすることが多いが、これは第5楽章に登場する歌詞「復活」に所以する。したがって第2番の構成を語るときは、第2番の第5楽章のことを「復活」という)。
復活し、蘇ることで死を乗り越えるというのがこの曲の大きなテーマなんです。マーラーのその死生観に文句言うわけではないけど、私はやっぱり若さゆえの無理筋みたいな感じがする。
それに対して9番では静かに死を受け入れていくのが本当に見事に描かれている。でも5楽章は音楽としてはもう本当に素晴らしいんですけど。
山之内 この曲を書いた時マーラーはまだ30歳前後で、普通なら生きることに必死なはずなのに、なぜか死にこだわり、自ら棺桶に入り花輪で飾って死のシミュレーションまでやったと聞きます。
若いからこそ、そういう極端なことをしたのかもしれませんね。それに3番の構想を練るとき、2番を書いたときはなにも分かっていなかったって、マーラー本人が言っています(笑)。
黒崎 死んだあと蘇るから意味のある人生だったということで、まあ筋は通っているんですけどね。この曲はベートーヴェンの第九を意識していて、いつの日か第九に代わって「復活」が歌われる時代が来るんじゃないかと本人は考えていたようですが、第九は苦難を乗り越えて勝利に至る音楽です。国家を超えた人類愛という理念はカントやシラーの自由平等の友愛思想が基本で、普遍性がある。
一方のマーラーは、キリスト教の復活が根本にあるとはいえ、人生に意味があるのは「復活」するからだって主張する。これは理念的にはかなり厳しくて、普遍的になりにくいだろうなって思いますね。しかし、音楽は素晴らしい!
歌曲を交響曲に転用。言葉と音楽を結び付けたマーラー
山之内 3番と4番でも死後の世界、天上の世界を描いていますが、どちらも「子供の魔法の角笛」(註:マーラーが作曲した10曲からなる歌曲)から引用しているので、2番を加えて「角笛三部作」と呼びます。
歌曲の一部を交響曲に組み込むことにしたのは、音楽と言葉を結び付けることに重要な意味があると考えたからですね。まぁ、第九に先例があるけど、ベートーヴェンの真似をしたとは思われたくない。自分ならここまでできるんだというふうに意識したはずですよ。
たしかに2番の4楽章と5楽章はマーラーでなければ書けない形で言葉と音楽の融合が成功していると私は見ています。
方法論が緻密で、説得力のある使い方をしているんです。3楽章も「角笛」からの引用なんですが、ここではあえて歌を入れていない。でも狙いはよく分かる。
黒崎 「魚に説教する聖アントニウス」ですね。
山之内 聖人が教会に行くと誰もいない。仕方なく川辺で魚に向かって説教するという有名な話ですけど、熱心に聞いているように見えて魚たちには何も伝わっていなかった。説教の前と同じ、元のまんま。魚を人に置き換えれば実に皮肉な話で、マーラーはこの3楽章を「悪夢」と形容していますが、これは自分のことを言っているんじゃないかな。
作品が聴衆に受け入れられず、1番の初演は大失敗に終わってしまった。良い音楽を書いたのに、理解してもらえず、自虐的になったともとれます。
歌曲版の「魚に説教する聖アントニウス」と、復活の3楽章を聴いてみましょう。
(4)Qobuz再生 マーラー:歌曲《子供の魔法の角笛》から「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」(アバド指揮/ベルリン・フィル、独唱はクヴァストホフ)
(5)Qobuz再生 マーラー:交響曲第2番「復活」第3楽章 「角笛」からの引用部
黒崎 魚が水のなかで動いている描写がうまいですね。
山之内 鱗がキラキラ光っている感じ。旋律は同じだけど「復活」では歌ではなく楽器で表現して、スケルツォとして見事な出来ですが、あえて交響曲のまんなかにこの風刺の効いた楽章を置いたのがなんともマーラーらしい。
黒崎 第4楽章「原光」も聴いてみたいな。素晴らしい曲です。死後の世界を景色として見つめているような歌詞で、天使と出会うけど追い返される。これも「角笛」からの引用です(註:マーラー作曲《子供の魔法の角笛》の「原光」という歌曲をマーラーが交響曲第2番の第4楽章に転用した)。
山之内 歌詞の最初に出てくる小さな赤いバラは、葬儀で棺桶の上にバラを置くボヘミア地方の風習にヒントを得ているらしいです。
黒崎 そういう意味なの?
山之内 つまりそれが見えるってことは、自分はここで死んだと認識し、その光景を上から見ているんでしょう。
(6)Qobuz再生 マーラー:歌曲《子供の魔法の角笛》より「原光」
黒崎 あ〜、これ素晴らしすぎますね!
山之内 交響曲版も聴いてみましょう。
(7)Qobuz再生 マーラー:交響曲第2番 第4楽章(歌曲「原光」を交響曲に転用)
黒崎 今日の再生装置、やっぱりとんでもないんですね。
山之内 歌手の呼吸、息遣いが生々しい! アルト独唱に「情熱的に」の指示がありますが、とにかく表情豊かで説得力がありますね。聴きながら歌手と一緒に息をしているような感じ。
黒崎 ここまでの感動を引き出すには情報量の多いシステムが必要ですね。(前半終了)
苦難を乗り越え復活に至るプロセスを表現した第5楽章
「あらゆる人生の終末は来た。最後の審判が近づいてくる。大地は震え、墓が開いて死者たちが立ち上がって進んでいく」。
これはカトリック的な世界観ですが、マーラー自身の解題には「権力者もつまらぬ者も王も乞食も進んでいく」と、妙な平等主義が出てきます。 実際の5楽章は啓示のトランペットが鳴り、ナイチンゲールが遠くで鳴いて、ついに感動的な合唱が現れます。
「復活せよ、汝は許されるであろう」 解題では「見よ、そこには何の裁きもなく罪ある人も正しい人も、愛の万能の感情が我々すべてを幸福なものへと浄化する」と書いていて、またもやマーラーの博愛主義が顔を出すのが面白いですね。 こういう歪んだ……といったら悪いですけど、死に対する憧れはどこから来るんでしょう。
5楽章の歌詞の前半はクロプシュトックの詩による復活の賛歌ですが、それをマーラーがたまたま教会で聴いて衝撃を受け、これだ!と5楽章の中心に据えたんですね。クロプシュトックは私の専門であるカントと同時代、ルター派のプロテスタントの人です。
冒頭はクロプシュトックの詩の引用ですが、そこから先はマーラーが書き換えちゃう。「信じよ、我が心よ」っていう一節や、「お前は意味なく死んだり、苦しんだんじゃない。お前には価値があるんだ」、さらに「生まれたものは必ず滅びる。だけど、滅びたものは必ず生まれ変わる」という歌詞も書き加え、最後は「私は生きるために死ぬ、死ぬのは生きることなんだ」と合唱に歌わせます。
それがこの2番の5楽章の詩の構造なんですが、そこが私としては「若いな」と思ってしまう。9番との違いに時代の変遷も見えます。
山之内 マーラーが書き換えて追加した部分は歌詞と音楽が正確にリンクします。彼が衝撃を受けた体験は指揮者・ハンス・フォン・ビューローの葬儀ですね。そこで聴こえてきたクロプシュトック作の賛歌がヒントになり、「復活」を自分流に解釈して音楽に埋め込んだ。特に、「いま生きていることに価値がある」と肯定する部分を音楽で力強く表現します。
例えば「生まれたものは必ず滅び、滅びたものは生まれ変わる」という一節は、歌詞の前半はピアニシモ、後半はフォルティッシモで歌うという具合に肯定的フレーズで音楽が高揚します。復活のコラールも最初は伴奏なしでピアニシシモの最弱音。そこに伴奏とソプラノ独唱が加わり、力強く展開していきますが、そのあたりの工夫も繊細で緻密です。5楽章はとても長いけど、内容は濃密なんです。
黒崎 でも「復活」の合唱が出てくるまで20分以上もあって、待ちきれないです(笑)。
山之内 待っている間にいろんなことが起こるので、退屈しませんよ(笑)。
というのは「復活」を含めて重要なテーマ(註:主要メロディー)が最初の部分で全部出てくるんです。言葉で表現する前に音楽でその概念を提示し、しかも1回や2回じゃなくて何回も繰り返し聴かせる。展開部は複数のテーマ同士を組み合わせたり転調するなど、仕掛けが盛りだくさん。いやが上にもテーマの旋律が頭に刻み込まれたところで、突然空虚な時が訪れ、鳥の鳴き声が響く。墓の上で鳴いているナイチンゲールのイメージですね。
その直後、ようやくメインテーマの復活が合唱に現れ、高揚が頂点に達する。苦難を乗り越えて復活に至るプロセスをマーラーが気合いを入れて表現した楽章です。
黒崎 なるほど。
山之内 テーマを音楽で予告する手法はベートーヴェンの第九に先例がありますね。4楽章冒頭で1〜3楽章を回想し、すぐにチェロとコントラバスが否定。直後に例の旋律が低弦に現れ、楽器を増やして盛り上がると「歓喜の歌」がようやく現れますが、それと形式としては似ていますね。旋律の意味がそこでようやく明らかになることも含めて。
黒崎 たしかに形式としては同じですね。
ドイツ語の歌詞が持つ抑揚をそのまま旋律に
山之内 では順番に聴いてみましょう。まずは5楽章冒頭から「呼び声」のテーマまでかけます。冒頭の「恐怖のファンファーレ」はわざと音を激しくぶつける不安定な響きが、「最後の審判」の恐ろしさを予言するようで、怖いですね。
(8)Qobuz再生 マーラー:交響曲第2番第5楽章より「呼び声」のテーマ(譜例A) 冒頭〜 48小節
山之内 ホルンが吹く「呼び声」のテーマはできるだけ遠くで演奏するようにスコアに指示があり、2回めのエコーはさらに小さな音なので聴こえるか聴こえないかギリギリ。
最後の裁きが始まることを告げる呼び声のあと、次の重要なテーマ「怒りの日」が出てきます。さらにその後すぐに「復活」のテーマが早くも出現しますので、この2つを確認しましょう。
(9)Qobuz再生 マーラー:交響曲第2番第5楽章より「怒りの日」(譜例B)のテーマ 63小節
黒崎 ああ! ここで止めたい! 本当ですね、怒りの日、幻想の時にも聴きましたね(*「名曲深堀り」の第1回)。
山之内 そうです。 グレゴリオ聖歌のテーマ。そして、後半で歌詞付きで歌われる復活のテーマがここでトロンボーンに現れます。
黒崎 ああ、もう出ているんですね、ここで。
(10) Qobuz再生 マーラー:交響曲第2番第5楽章 「復活」(譜例C)のテーマ 70小節 練習番号5
山之内 続いて「信じよ、我が心よ」の旋律がフルートとイングリッシュホルンに現れます。後半でアルトが歌う重要な旋律で、ドイツ語の歌詞「O Glaube、Mein Herz」(オー、グラウベ、マイン ヘルツ)のイントネーションをそのまま旋律として活かしています。
(11)Qobuz再生 マーラー:交響曲第2番第5楽章 「信じよ、我が心よ」のテーマ(譜例D) 98小節 練習番号7
山之内 肯定的な歌詞の内容に沿った旋律が美しいですね。この直前、コントラバスが半音階の下降音型をピチカートで演奏し、ここから世界が変わることを予感させる役割があります。
黒崎 たしかに世界が一変する。
山之内 そしてついに「最後の審判」の瞬間、わずか2小節の間に打楽器と金管楽器が最弱音から最強音まで一気にクレッシェンドして、「大地は震え墓が開く〜」恐ろしい光景を描きます。ここから壮大な展開部に入ります。
(12)Qobuz再生 マーラー:交響曲第2番第5楽章 「墓が開き大地が揺れる」〜展開部(譜例E) 160小節
山之内 「信じよ、我が心よ」の例を紹介しましたが、この楽章を理解する重要な鍵が言葉なんですね。マーラー自身が肯定的な意思を込めたフレーズは歌詞を与えられて旋律となりますが、たとえば「怒りの日」は既知の主題として音楽は鳴るけど言語化はしてないですね。
黒崎 なるほどね。
山之内 「復活」のテーマもそうですよね。最初にマーラー自身の言葉ありきで、旋律を書いてから言葉を当てたんじゃなくて、ドイツ語の歌詞が持つ抑揚をそのまま旋律にしている。
黒崎 精緻に書かれていることはわかりますが、聴衆に理解されるかどうかは……。
山之内 これだけ繰り返せば旋律は記憶にとどまり、歌詞が出てきたときに、あーそうか! と納得する。マーラーはそれを狙ったんでしょう。
黒崎 私も今回暇があればずーっと「復活」を鳴らしていたんで、パッセージは大体わかるんですけど、ただ、そういう意味だぞというふうな分析的にはわからない。その意味はやっぱり難しいっていうか深いっていうか。理解したら面白すぎるんですけど、なかなかそうならない気がする。
最初に現れたテーマが後に複雑に組み合わされ繰り返される深い構成力
山之内 もうひとつ、マーラーの卓越した作曲技術として、実際の光景が目に浮かぶようなオーケストレーションにも注目したいです。さきほどの「墓が開き、大地が揺れる」もそうですが、このあとで聴く夜啼鳥の場面も虚ろな風景の広がりを見事に描写しています。
3楽章の蠢く魚のイメージもまさに光景が目に浮かびました。 マーラーは「目に浮かぶ」ことを重視していて、じっくり見ることを意味するドイツ語の「anschauen(アンシャウエン)」にこだわっていました。実際に見ているように音楽を書く必要があるんだって、何度も言っているんです。
黒崎 審判を受けるために大勢が並ぶ、その光景が目に浮かびますね。ピアニシモからのモルトクレッシェンドはまさに大地震をイメージさせます。
山之内 この後は展開部になるんですね。形式的に展開部ってどういうことかというと、いろんなテーマを変形しながら複雑に組み合わせて、表現の次元を高める。この5楽章の場合、聴き手に恐怖や葛藤の苦しみを印象付けるような場面なんですけど、それが恐ろしければ恐ろしいほど、復活のコラールで強く揺さぶられ、感動するんですね、。
マーラーは「少しぐらいやったのでは意味がない。過剰なくらいやらなきゃダメなんだ」って友人に説明しているんですが、まさに極端なまでに展開部を書き込んでいます。
黒崎 若いからね(笑)、そうなんだね。
山之内 まぁ、でもオーケストレーションは見事ですよ。単なる大騒ぎにはならず、切迫感があるし、現実の世の中はこんなに厳しい、あるいはこんな障壁があるという体験が音楽から自然に伝わるような世界を作っているんですよね。
途中で付点音符の動きに「あっ、これどっかで聴いたな」と気付くと、なんと1楽章の再現なんです。最初と最後がつながる。
黒崎 最初に「怒りの日」や「復活」のテーマが準備されていて、それが最後の方で言葉として繰り返されるというのがわかって聴くと、本当に面白いですね。
山之内 この曲のスコア(総譜)を見ると、上から下まで40段近くあり、しかも弦楽5部をさらに細分化しているので、余計に音数が多くなる。再生装置で聴く場合、いろいろな意味で解像度が高く、空間的にも時間的にもセパレーションが良い音で再現しないと真価が伝わりにくいということはありますね。 特定の楽器が埋もれてしまうと、演奏効果が半減しちゃうんです。ハープやグロッケンシュピールはその一例ですが、他にもたくさんある。ここぞという重要な箇所で楽器を選び抜いているんです。
黒崎 聴こえてこないと意味ないもんね。昔はごちゃっとかたまりになった状態で聴いていたのでわかりにくかった。極限まで聴こえる解像度の高い装置だと、ホール以外でもマーラーが意図したことを聴ける。これはすごく重要なことですね。
山之内 楽譜の指示の細かさも異常なくらいですよ。できるだけ遠くからとか、少しずつ近付くようにとか、バンダの4本のトランペットを客席を挟んで対照的な位置に配置しろとか、現代のサラウンドのような効果まで意図して書いている。 立体的な音響がもたらす効果についてマーラーがいかに豊かな想像力をはたらかせていたかは、3番の交響曲からもよくわかります。
いよいよ「復活」の合唱。感動的な独唱が浮かび上がり、頂点へ
山之内 展開部は飛ばして、復活のコラールを聴きましょう。何度か紹介したナイチンゲールの場面に続いて、いよいよ「復活」の合唱が登場します。
(13)Qobuz再生 マーラー:交響曲第2番第5楽章「復活のコラール」(譜例F) 472小節 練習番号31
黒崎 あ! すごいな、ついに復活しましたね。
山之内 このコラールは7小節間は伴奏が一切なくて、歌だけ。しかもピアニッシシモで囁くように歌う。途中で低弦やヴァイオリンが弱音器付きで加わりますが、それより重要なのがソプラノの独唱ですね。合唱と一緒に歌い始めて、途中から独唱が浮かび上がる。この曲のなかでも特に感動的なフレーズのひとつです。

黒崎 途中からソロだけ上に上がるところですね。ただ強調するんじゃなくて、違う旋律を歌う。
山之内 しかも合唱のソプラノがDes(レのフラット)をピアニシシモで歌うのと同時に独唱はEs(ミのフラット)で歌い始める。この2度の音程の緊張感がしびれますね!
黒崎 恐ろしいほど微妙なハーモニー!
山之内 そして、またもや感動的なフレーズ、アルト独唱の「信じよ、我が心よ」に移行します。
(14)Qobuz再生 マーラー:交響曲第2番第5楽章 「信じよ、我が心よ」〜終結部 561小節 練習番号39
黒崎 マーラーが書き換えた部分ですね。「お前はむなしく生まれたのではない」から「生まれたものは必ず滅び、滅びたものは必ず復活する」
山之内 ここの強弱の対比はとても重要なところで、歌詞の内容に沿ってピアニシシモとフォルテッシモを使い分けます。
黒崎 「生きるために死のう」と力強く歌って、終結に進む。ここ、すごいですね。
山之内 最後はオルガンの圧倒的なサウンドで頂点まで盛り上がります。
黒崎 オーディオがここまで進化したことによって、作曲家が130年前に意図していた世界が蘇る! 若い頃聴いたのは、ただ団子になって何が何だか分からなかった。でも実は緻密に音が重なって構築されていることに気付くと深い感銘を受けますね。
山之内 音楽表現と音響効果を駆使すれば確実に人の心を揺さぶることを130年前のマーラーが想像していたことが、いまさらながらよくわかります。 歌、言葉を交響曲に融合させるという功績では、ベートーヴェンと並ぶ存在かもしれません。 復活が最初の象徴的な例で、この後の3番で次のステップを目指す。マーラー自身は、3番を書いているとき、2番のことを散々に悪く言うんですよ、まあ、あれは若い時の作品だからって(笑)。
黒崎 そういう側面は、さっきも言ったけど私はちょっと気にしていた(笑)。思想的にはね。でも、音楽としては非常に素晴らしい。マーラーが130年前に思ったことを、いま私たちが体験できたっていう、非常に幸せな時間でした。私としては「復活」が復活したみたいな感じ(笑)。





























