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[連載]高橋敦のオーディオ絶対領域

【第150回】田村ゆかりさんに捧ぐ!ラジオ「いたずら黒うさぎ」歴代OP/ED曲をオーディオ目線で語る

2016/03/25 高橋 敦
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▼雨のパンセ(シングル「好きだって言えなくて」より)

2015年03月14日から現在に至るまでのED曲。直近のツアー「LOVE LIVE *Sunny side Lily*」の千秋楽、代々木体育館でも本編最後の曲として披露された。曲に入る前に光と音の演出で観客を自然とサイリウム消灯に導き、静かな青い世界で展開されたその歌は、それが終わったときに僕らが歓声を上げることもできずただ拍手するしかなかったほどに、美しくも壮絶だった。

雨のパンセ(シングル「好きだって言えなくて」より)

この録音音源ではボーカルハーモニーの美しさ、主メロと声質を変えてハーモニーを重ねる巧みさなどにも唸らされるが、しかしライブではハーモニーの同期音源は薄めにしか入れられておらず、ステージ上のゆかりさんの歌だけで圧倒的なものを伝えてきていた。

なのでここでもあえて、ゆかりさんの歌うその歌そのもの。そこだけに焦点を当てていこうと思う。それぞれ「歌を聴くならこのオーディオ!」と思い浮かぶシステムを想像し、あるいは実際に聴きながら、読んでみてもらえたらと思う。

この曲もゆかりさんの声のあの手触り、「猫の舌のように心地よいざらつき」「書道の半紙の表裏のツルツルではなくザラザラな方」が特に生かされている曲だ。しかし歌詞の一人称「僕」にも対応した少年っぽさを感じさせる「君をつれて」のそれとは違い、こちらは大人の女性の声であり歌だ。

あの声あの手触りは田村ゆかり独特のものでありながら、しかしひとつに固定されたものではない。あの声の中にも大きな幅があり、あの声を使った表現にも大きな幅がある。それが田村ゆかりという歌い手の力なのだと思う。

この歌ではあの声は、「大人の女性の吐息まじりの独白」といった雰囲気を生み出すために用いられているように思える。息の成分を強く出したこの声が、その吐息がまじるような切なさをより切なく伝えてきてくれている。そう感じる。

声と歌の表現としてもうひとつ挙げておきたいポイントは、AメロBメロからサビにかけては少しずつ断片的に、そしてサビの始め「好きになった。ただそれだけ」からではもう少しはっきりと、声の明るさを変えているところだ。

松井五郎さんが歌詞に込めたその意味、ゆかりさんがそれを解釈して表現した意味とは違うかもしれないが、僕にはここは、思い悩み尽くした末に「好きになった。ただそれだけ」といういまさらどうしようもない答えに行き着いてしまった、そのもう笑うしかないような想いを表現した、悲しい明るさのように思える。だからこの少し明るい声色がまじることでこの歌は切なさを増しているのだと。

ゆかりさんが歌い続けてきた「片思い」。そこにあるいくつもいくつもの感情の中でも、その切なさ、やるせなさを特に強烈に、美しく、悲しく、歌っている歌だと思う。

はじめに触れたライブ「LOVE LIVE *Sunny side Lily*」もBD化されている。お手持ちの方は映像でも確認してみてほしい。ゆかりさんの声だけではなくその顔の表情も、言葉ごと、いや一瞬ごとに歌を表現している。その声と顔に時折まじる明るさがこの歌の切なさを強めていると、強く実感してもらえると思う。

次ページそしてラストを締めくくるのは「Gratitude」

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