公開日 2025/08/15 10:35

ソニー×NFL「アメフト専用ヘッドセット」開発の裏側。「1000X譲りのノイキャン」だけじゃないこだわりの数々

開発陣に直撃インタビュー

ソニーと米国のプロアメリカンフットボールリーグであるNational Football League(NFL)のコラボレーションにより、NFLコーチ用ヘッドセットが完成した。このプロダクトには、ソニーが持つオーディオの最先端技術と、パートナーであるNFLの期待に全力で応えてきたエンジニアの魂がこめられている。

9月に開幕する2025年レギュラーシーズンから、NFLの全32チームに導入されるソニーのヘッドセットが誕生した経緯を、商品企画担当の和田雄介氏と、商品設計を担当した関根和浩氏に聞いた。

ソニーの和田氏(左)と関根氏(右)に開発の背景を訊いた 

アメフトの試合になぜヘッドセットが必要なのか

ソニーとNFLによるテクノロジーパートナーシップは2024年8月に締結された。以来、NFLのオフィシャルマッチを撮影・放送するための機材がNFLのスタジアムに導入され、ソニーのグループ会社であるHawk-Eye Innovations(ホークアイ)による審判判定支援システムの現場導入も進んでいる。

2025年のCESではソニーグループの十時社長がプレスカンファレンスのステージに立ち、ヘッドセットのプロトタイプを披露した。いよいよ秋には本機がNFLの試合で活躍する。

アメリカンフットボールは、フィールドの外でリアルタイムに戦略を練り、選手を動かすコーチ陣の「頭脳」と、フィールド内を駆け回る選手たちの「身体」をリンクさせ、勝敗を競うスポーツだ。

アメリカンフットボールのチームには、フィールドレベルで選手と向き合いながら指示を出すヘッドコーチ(監督)とアシスタントコーチのほか、スタジアム上方のコーチボックスからフィールド全体を見ながら攻防の戦略をコーディネートするコーチがいる。

離れた場所にいる選手と試合の動向を見るコーチとが連携するため、通信デバイスとしてのヘッドセットが欠かせない。

またコーチが立てた戦略を実行する際、フィールドでプレーする攻撃の司令塔であるクォーターバックと守備の要であるラインバッカーに伝える用途にもヘッドセットが使われる。アメリカンフットボールでは、コーチから選手への無線通信は一方通行であることがルールにより定められている。

これまでNFLの公式ゲームでは、ソニーではないメーカーのコーチングヘッドセットが使われていた。アメリカンフットボールの試合は観客の盛大な歓声に包まれながら行われることが多く、また屋外で試合が行われる際には選手だけでなくコーチも風雨にさらされる。

ノイズキャンセリングや防水・防塵機能、そして高いロバストネス(堅牢性)を備えることなど、NFLの過酷な環境で使われるヘッドセットに求められるスペックは極めて高い。

従来の機材に対する改善の要望、あるいは新たな技術や使い方への期待はNFLの各チームの中で次第に大きくなっていた。NFLは「より高性能で、現場のニーズに即したヘッドセット」を、数々のコンシューマーオーディオ製品を手がけてきたソニーに依頼した。

開発期間はわずか1年。開発者が乗り越えてきた数々の困難とは

ソニーにとって今回のプロジェクトは全く新しい挑戦だった。なぜならば、ソニーにはスポーツのフィールドで使われるプロフェッショナル用ヘッドセットの開発実績がなかったからだ。

ソニーのハイエンドオーディオ製品の設計も数多く手がけてきたエキスパートである関根氏は、「コンシューマー、あるいは音楽制作のエンジニア向けのヘッドホンは数多く手がけてきたが、例えば“防水対応のヘッドホン”はつくったことがなかった」と語る。

しかもNFLの試合環境で使うヘッドセットにはどんな機能・性能が求められるのか、未知の挑戦であった。そのため商品の企画と設計はまさに「手探りから始まった」と、関根氏と和田氏は口を揃えながら語った。

NFLコーチ用ヘッドセットの開発プロジェクトは、ソニーとNFLとのテクノロジーパートナーシップの正式契約が発効する直前、2024年の初夏ごろにスタートした。その時点で、NFLからはソニーに対して「来年(2025年)のシーズンから試合に導入したい」というリクエストがあったという。

開発期間はわずか1年未満。和田氏は「当社が通常、コンシューマーヘッドホンの開発にかける期間に比べて格段に短かった」と振り返る。

NFLの期待に応えるため、ソニーの開発チームは迅速に現場確認を行い、2024年11月頃からはスタジアムにプロトタイプを持ち込んで、NFL関係者のフィードバックを集めたり、歓声に包まれるスタジアムに模した環境をつくり、ノイズキャンセリング機能の実地テストを開始した。

関根氏は「ソニーには1000Xシリーズなど、コンシューマ向けヘッドホン・イヤホンの開発により培ってきたノイズキャンセリングの知見がある。実地テストにより、これがNFLの試合が行われる現場でも通用することがわかったので、チューニングをさらに追い込んで完成させた」と語る。

この新しいNFLコーチ用ヘッドセットに採用されているANCや音質向上を実現するための基礎的な技術は、多くが既存のコンシューマ向け製品の技術に由来しているようだ。

強力なノイズキャンセリング機能。電源は「あえての乾電池」を選択

ところで、なぜNFLコーチ用ヘッドセットにノイズキャンセリング機能が必要なのか。その答えは、試合中にはスタジアム内がとてつもなく大きな歓声に満たされるからだ。

アメリカンフットボールは戦略スポーツであることから、コーチ間、あるいはコーチと選手が交わすコミュニケーションが、選手のプレイや勝敗の行方を左右する場合がある。

このことをスタジアムに集まる観客もよくわかっているので、応援するチームと「一緒に闘う」ため、あえて大きな歓声を上げて、敵チームのプレーコールやコミュニケーションにちょっかいを出すことがある。

だからこそ、コーチ陣は高性能なノイズキャンセリング機能を搭載するヘッドセットを必要としているのだ。

ソニーは左右どちらかの「片耳タイプ」と「両耳タイプ」の計3種類のヘッドセットを開発した。片耳タイプのヘッドセットは、音声コミュニケーションと同時に周囲の環境音を聞きながら指示を出すコーチが使用する。電源を投入すると、ノイズキャンセリング機能も同時にオンになる。

本体には音声入力用のブームマイクがある。マイクはイヤーカップ下側との接合部分が回転する機構としており、跳ね上げると自動的にミュートになる「フリップミュート機能」を搭載する。

ブームマイクの先端は自在に曲がり、口もと近くまでユニットを引き寄せることができる。「マイク部分の防水・防塵性能を高めることにも腐心した」と関根氏が話す。

NFLには、冬場の気温がマイナス20℃以下になることもある屋外スタジアムが本拠地のチームがいくつか存在する。そのためソニーはマイク部も含むヘッドセット全体が、マイナス20度以下の極寒環境で性能を発揮できるよう、様々な耐久試験を徹底的に実施した。

また試合中にはヘッドセットが激しく叩きつけられたり、落下することも有り得ることから、通常よりも極めて高い堅牢性を追求している。

ノイズキャンセリング機能を動かすためには電源が必要だ。ソニーはあえて充電式のバッテリーではなく、単3形乾電池2本を電源とする方式を採用した。

乾電池を入れるユニット部

ヘッドセットのバッテリー切れや不具合によりNFLのゲームが中断することは許されないため、万一の事態にも即座に現場で対応できる乾電池の方が現場のオペレーションに適していると判断されたからだ。

実際、ゲーム時には数十台単位のヘッドセットが使われる。それぞれを満充電にする手間を考えると、新しい乾電池に入れ替える方がテクニカルスタッフの手間が軽減され、安全・安心な試合の運営にもつながる。

電源スイッチも試合中に意図せず動かしてしまわないようにあえて操作しづらいつくりにしている

技術面ではWH-1000X系のノイズキャンセリング機能を応用し、片耳のみでのノイズキャンセル性能の最適化も図った。

関根氏も当初は片耳だけのノイズキャンセリングに意味があるのか疑問を持っていたが、スタジアムに足を運んでテストしたところ、音声通話の明瞭度が飛躍的に高くなることがわかり、納得したうえで仕様を詰めることができたと語る。

ソニーの「オーディオのエキスパート」たちが集結

このヘッドセットは関根氏と和田氏をはじめ、ソニーの様々なオーディオ製品を担当するエキスパートたちが一時的に結成した、特務隊のようなチームが手がけたプロダクトだ。マイクの開発にはゲーミングギアのINZONEシリーズの電気設計を担当するスペシャリストが関わった。

和田氏は「ソニーのオーディオの各分野で最前線に立つスタッフが、それぞれの専門性を活かしながらNFLの期待に応えるヘッドセットをつくった」と胸を張る。

前例のないカテゴリーのプロダクトをつくることは簡単ではなかったが、それぞれが自由闊達に意見を交しながら、迅速な決定を下せたことも、約1年の短い期間にNFLからのオーダーを満足させるプロダクトを完成に導いた。

このプロジェクトを通じて得られた経験や技術的な知見が、今後ソニーのコンシューマ向けのオーディオ製品に活かされる可能性もあるのだろうか。関根氏は「ぜひそれを実現したい」と応えた。

例えば、今回のヘッドセットには通話に特化した、従来のブームマイクの設計とはまったく異なるマイクが搭載されているのだという。屋外の騒音環境下でもユーザーの声をクリアにピックアップできるマイクの可能性が広がったと関根氏は語る。

この技術を採用した具体的な製品の構想の有無は、今回の時点で関根氏から聞くことはできなかった。だが筆者は、たとえばeスポーツの試合会場で、選手たちのコミュニケーションをサポートするノイキャン+マイク付きのヘッドセットなどで、ソニーの存在感が発揮できると考える。

インタビューの後で、ソニーのNFLコーチ用ヘッドセットの実機を試着させてもらった。もっとプロ用機材っぽい、ゴリッとした装着感やハンドリング感を想像していたが、佇まいはどことなく1000Xシリーズのヘッドホンを彷彿とさせる。

筆者の山本氏も実際に製品を体験

イヤーパッドの心地よくソフトな当たりと、ヘッドバンドが適度なクランプ圧(側圧)を備えているので、柔らかく包まれながら高い遮音効果が得られそうな手応えがあった。

本機はNFLのアメリカンフットボールの試合環境に特化した、ソニーによる特注対応のオーディオ製品だ。今回の開発で得た知見は、これから他のプロフェッショナルスポーツの領域に活かせるはずだ。ヘッドセットは完成を迎えたが、ソニーの挑戦は続いている。

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