公開日 2018/10/10 06:00

黒崎政男×島田裕巳のオーディオ哲学宗教談義 Season 2「存在とはメンテナンスである」<第1回>

哲学者と宗教学者がオーディオを語り尽くす
季刊analog編集部
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ファースト・プレス信仰


赤い本がオリジナル本。下が翻訳本
黒崎 後半では、いま私が夢中になっている、ファースト・プレスと後盤(あとばん)の違いについて比較をしてみたいと思います。再版盤になるほど劣化する構造を持っているのではないか、と。それはちょうど浮世絵の初版刷りの素晴らしさと、後刷りや復刻版のつまらなさとすごく似ているんです。レコードってプレスするでしょう。デジタルファイルとそこが違って、物質個々の差異が出てくる。本の場合はどうなのか、ということでこんなものを用意しました。J.J.グランヴィルGrandville『花の幻想 Les Fleurs Animees』という1847年にフランスで出た本です。こちらがオリジナルの本、こちらが1993年に日本出た翻訳復刻版です。

島田 なんでそんなの持ってるの?

黒崎 好きだから! 古い挿絵本、特に19世紀から20世紀前半までのフランスの挿絵本が好きで、たくさん持っているんです。この『花の幻想』オリジナル本は手彩色なので一枚一枚、人が手で色を入れたものです。この鮮烈さ。再版は、と言っても1860年代フランスの物なのですが、相当ガクッと落ちます。で、さらに1993年日本復刻版が出た。でもこの日本版を見ると、劣化しているどころかボワーッとしているんですよ。


オリジナル本の挿絵

翻訳本の挿絵
島田 ふーん。なるほど。

黒崎 鮮烈さ、線のきめ細かさ、などが違うでしょう。復刻本のほうは、なにやらボケている、というか、リアリティが薄い、というか。レコードのファースト・プレスと再発盤の違いはちょうどこの本の場合と類比的なんです。両方とも、<プレス>ですからね。一度、レコードの初期盤の素晴らしさを味わっちゃうとこれ以外にない!って思うんです。もちろん再発盤の中にもいいものはあるので、一概には言えないけれど。

では、プレス年が僅差という微妙な違いの2枚を聴いてみましょう。1960年代のドイツ・グラモフォンのベルリン・フィルの音が私は好きで、これはオイゲン・ヨッフムの指揮のハイドン。これがほぼオリジナル盤の1962年プレスと64年のものがここにあります。ジャケットに「STEREO」の表記があります。62年のものはSTEREOの表記が赤く囲ってあります。俗に「赤ステ」と言われます。もう1枚は普通にステレオと表記されてある。


右が「赤ステ」、左が普通のステレオ表記
つまりステレオ盤が大変貴重な時代だったから強調していたということですね。その後ステレオは一般化していったということでしょう。このたった2年の差です。赤ステの方は、レコード盤のセンターレーベルがチューリップラインになっています。チューリップでここの文字が「made in Germany」と書かれていて、ちょっと新しいんです。もう一個はALLE ……なんとかってドイツ語で書かれてある。チューリップのmadeか、チューリップのALLEか。まずは聴いてみましょう。冒頭で。1964年のプレスです。

〜ヨッフム(指揮)/ハイドン:交響曲第88番「1964年プレス:Tulip -made」盤を聴く〜


(LP)「1964年プレス:Tulip -made」盤

〜ヨッフム(指揮)/ハイドン:交響曲第88番「1962年プレス:Tulip- Alle –red stereo」盤を聴く〜


(LP)「1962年プレス:Tulip- Alle –red stereo」盤

黒崎 この違いですよ。空間の情報が保たれていて、音楽の悦びが5倍くらい違う(笑)。オーディオって1対1でじっくり向き合うという孤独の作業ですから、この差は私にとってすごく大きい。クリアネスや空間性がやっぱり初期盤の方がいいのです。版画と同じで。64年はぼやけていく。62年は非常にゆったりしていて音場も潰れていない。それが喜びの根源なんです。


ハイドンの交響曲第88盤のファースト・プレスの音の素晴らしさを力説する黒崎氏
次に、アンタル・ドラティの『火の鳥』です。私は以前は再版盤で楽しんでいたのですが、これは初版までとはいかないけれども、それに近い。ジャケットの後ろがカラーになっていればもっと古いんですけれども。


ファースト・プレスに近い方はジャケット裏面がモノクロ、再版盤はカラーになっている
非常に録音がいいことで有名なレコードで、こんなによく録れているレコードは先にも後にもないんじゃないかと言われているものです。1959年のステレオ録音です。どうぞ。

〜ドラティ(指揮)/ストラヴィンスキー:『火の鳥』 ほぼオリジナル盤を聴く〜


(LP)ドラティ(指揮)/ストラヴィンスキー:『火の鳥』1959年からまもない初期盤
黒崎 ウィルマ・コザートという女性が録音ディレクターで、素晴らしい仕事をしています。この再発盤が2015年に、オーディオファイル用に出ています。180g重量盤。その音はどうなっているか聴いてみましょうか。

〜ドラティ(指揮)/ストラヴィンスキー:『火の鳥』 再発盤を聴く〜


(LP)ドラティ(指揮)/ストラヴィンスキー:『火の鳥』2015年再発盤(重量盤)
黒崎 悪くはないのですが、私には魂が抜けてしまっているような形骸化した音に聴こえます。オリジナル盤のように、奥底から魂が揺さぶられるようなものはないんです。

男性C 音圧が違うように聴こえました。

黒崎 こちら(再発盤)の方が線が細く感じますよね。

男性D 両方ともアナログですけども、1番目の方がよりアナログらしい感じがしました。2番目はデジタルとは言わないまでも、音をいじっているような感じがしました。

黒崎 私も、実は前回(Season1)のこの対談で、LP12でかければ、古い盤だろうが再発だろうが同じですと言っていたんですけど、お恥ずかしながら、すっかり転向してしまいました。

島田 いつ転向したの?

黒崎 今日かけたマーラー「大地の歌」を買った時から、です。この会でかけようと思って探したの。そしたらクレンペラーのものが売っていて、有名だし良いかもな、でもどうせかけるなら初期盤を買おうって。去年の12月でしたでしょうか。で、買ったらとんでもなく新鮮な音がする。驚くようにいい音がする。

あちゃー、と思って他も買って聴いてみた。ヨッフム指揮のベルリン・フィル演奏「ブルックナー:交響曲第9番」。先に1枚盤で出ていたんです(1965年)。ところが、後に2枚組にして4面目に「テ・デウム」を収録したものが出た(1966年)。これは、1枚裏表分のものを1枚半にしてゆったりカッティングしているわけなので、音が良くなっているかなあと思うのですが、どうも弦にちょっと歪みが出るんです。一方初期盤をかけると、なんて美しいんだろうと。弦と管の絡みとか、すごく綺麗に見えてくる。普通だったらカッティングに余裕がある盤がいいはずなのに、やはり、初期盤のほうがずっとよかった。その差を一回味わってしまうと、全部がそうではないとはいえ、確かめられずにいられなくなった。あまり変わらないものもありますが、感じとしては、半分ぐらいは初期盤が素晴らしいんですよ。

島田 変わらないものもあるんですか?

黒崎 あります。ただ、これは一枚一枚、個別的に違うので、一概に言うことはできないけど。

島田 それは技術的な問題で、作る人の問題ではないの?レコードのオリジナル盤云々ということとは違う気がする。

黒崎 よくリマスターって誰がリマスタリングするかによって、変わってくる、と言われる。そういう意味では、「オリジナルを超えたリマスタリング」という言い方をするけど、それは「オリジナルを変えたリマスタリング」なのかも (笑)。

初盤には時間が付着しているという幻想があるわけですよ。つまり、初盤というのは、その時の空気の中で作られて、それが今まで残ってきた。でも再発ものは、形だけを今作った。そこには、ものが持っている時間性はない。骨董の持つ魅力と同じですね。ジャケットもほぼオリジナル盤の方がいいんです。再発盤のジャケットを作る際はオリジナルを元に作ることが多いので、コピーのコピーになってしまうわけです。さきほどの本で紹介したように。

オリジナル信仰っていうのは恐ろしい。自分でも嫌になりますけど、骨董が持つような魅力は、オリジナル盤にこそ宿る。それは幻想でなく確かなものです。「音楽を聴く」とは何を聴くということなのか、そういうことに関わってくるし、音楽体験そのものに関わると思っています。

島田 僕は初版は嫌い。

黒崎 嫌い?

島田 だって、物書きしていると初版で終わっちゃうことが多いもん。

一同 (笑)

島田 初版で終わるのが大半なわけだから。重版と初版の重みの違いっていうのはすごいものがある。

黒崎 なるほど(笑)。島田先生でもそう思うの? 僕の本だってほとんど初版で終わりですよ。

島田 あなたは大学から給料もらっているからいいんだけどさ。そうじゃない人間からすると、初版というのは憎むべきもので、絶対嫌なもの。だから、今の黒崎さんみたいな話、聴くだけでちょっと不愉快になる。

一同 (笑)

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