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連載:世界のオーディオブランドを知る(10)総合音響メーカー「ヤマハ」の歴史を紐解く

公開日 2026/08/03 06:30 大橋伸太郎
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これまでに多くの世界的なオーディオブランドが誕生してきているが、そのブランドがどのような歴史を辿り、今に至るのかをご存知だろうか。オーディオファンを現在に至るまで長く魅了し続けるブランドは多く存在するが、その成り立ちや過去の銘機については意外に知識が曖昧……という方も少なくないのではないだろうか。

そこで本連載では、オーディオ買取専門店「オーディオランド」のご協力のもと、ヴィンテージを含む世界のオーディオブランドを紹介。人気ブランドの成り立ちから歴史、そして歴代の銘機と共に評論家・大橋伸太郎氏が解説する。第10回目となる本稿では、「ヤマハ(Yamaha)」ブランドについて紹介しよう。

製品で辿る、ヤマハ・オーディオの軌跡

ヤマハが最初のスピーカーシステム「NS-30」を発売したのは1967年のこと。日本にHiFiオーディオのブームが到来しつつあった。そうした中、各社が共通して脅威とみなしていたのがヤマハだった。HiFiを手がけるメーカーのほとんどすべての出自が電気だったのに対し、ヤマハだけが違った。そのバックボーンは楽器製造、音楽であった。

コンサートグランドからコンパクトなアップライトまでのピアノ、エレクトーン、クラビノーバ。アコースティックからエレキまでのギター、多種多様な管楽器の製造。

そしてピアノで育まれた高度な木工技術。音楽とのつながりは楽器にとどまらない。プロアマ演奏家やコンサートホール、音楽団体、大学等音楽の現場からのフィードバック。ぼうだいな数の音楽教室ユーザーとの絆。

さらに時代が進むと、ポプコンや世界歌謡祭の開催、つま恋や合歓の郷を初めとした音楽リゾート地のプロデュース…。

1960年代終り、日本人と音楽の最大の接点がAM/FMラジオ放送だったが、毎週月曜日から金曜日の夜11時に某在京キー局にステイチューンすると、ヤマハ提供の音楽番組「YAMAHAナチュラルサウンド」が流れてくる。オンエアされるのはジャズやポップス、シャンソン、カンツォーネなど、歌謡曲はかけない。

ナビゲーター・佐々木紀子さんのしっとり落ち着いた語りの一味違う大人の音楽番組として絶大な人気を誇った。音楽の合間にヤマハ「ナチュラルサウンドステレオ」のPRが入るが、最大パワーが何ワット、スピーカーユニットが何基、とかでなく、ヤマハのステレオが著名な音楽ホールの経験から誕生していること、コンサートグランドピアノの魂をを分け与えられていることが紹介され、リスナーはみな熱心に耳を傾けた。

ヤマハのオーディオ参入時、他の専業メーカーにとって脅威だったのは社会に浸透したブランドイメージ。楽器やコンサートホールなど音楽関係にとどまらなす、オートバイをはじめ、スキー板やテニスラケット、ゴルフクラブ。ヤマハ発動機によるトヨタ「2000GT」やレーシングマシンのチューンアップ。高級システムキッチンや家具、インテリアなど「ヤマハ」ブランドは多岐に渡って日本に浸透していた

ヤマハのHiFiオーディオのバックボーンには音響工学があった。S/Nや高調波歪率、ダイナミックレンジといった測定可能な静特性に優先されるものとして、楽音の響きの自然な伝達があった。ヤマハは膨大なデータとノウハウを持つ総合音響メーカーの強みを生かし、HiFiオーディオの世界で存在感を増していく。

1970年代、ヤマハはスピーカー、アンプ、ソース機器等コンポーネントの名機を次々に生み出していくが、デザインも国産製品ばなれしていた。いかつい業務用機の簡略版でなく、音楽愛好家の美意識に寄り添い感性に訴える大胆でユニークなフォルムをまとっていた。ヤマハがあったればこそ日本のオーディオは欧米に追いついたのである。

連載「世界のオーディオブランドを知る」は第9回までブランドの誕生から隆盛、現在までを時系列で年代記的に追ってきたが、第10回は、ヤマハのオーディオ部門に焦点をしぼり、日本と世界のオーディオの歴史を作った名作の数々をハイファイからホームシアター機器まで紹介してみよう。

ヤマハは楽器製造が祖業だが、年代がくだるにつれコングリマット化し半導体等の電子部品製造まで幅広く手がける多角経営企業に発展していくからだ。まず、「ナチュラルサウンド」を標榜して登場、日本のHiFiオーディオ業界に衝撃を与えたスピーカーシステムから語り起こしてみよう。

それはエレクトーンから始まった。ナチュラルサウンド(NS)スピーカーの夜明け

ヤマハ(旧名日本楽器製造株式会社)は1887年に山葉寅楠が創業した。オルガン製造に始まりピアノ、他の楽器へと製作の範囲を広げ、以後、大正、戦前戦後を経て世界最大の総合楽器メーカーに成長を遂げる。

パワーアンプは真空管としつつ、そのほか発音部にはトランジスタを使った電子オルガン「D-1」が誕生したのは1959年のこと。生みの親のヤマハはElectronics+Tone=エレクトーンと命名。電子化によってエレクトーンは演奏上の機能と音色の表現幅を増やし販売台数も順調に伸びていった。

ヤマハ(Yamaha)というブランド名は創業者・山葉寅楠氏の姓に由来。幼少期から西洋の科学技術に親しんでいた同氏が、1887年に浜松の小学校でオルガンの修理を成功させたことが、ヤマハ(旧名日本楽器製造株式会社)に繋がってゆく。

1959年に登場した電子オルガン“エレクトーン”第1号機「D-1」。当時の電子回路は真空管が主流であったのに対し、メインアンプ以外をすべてトランジスタとした画期的な製品だ

この時期、LPレコードとFM放送が普及し日本にHiFiブームが到来していた。ヤマハはHiFiレコードプレーヤー「A-1」1954年に世に送り出していたが、楽器製造と電子技術をHiFiオーディオ製品の開発に活かすようになる。そうして「NS-30」スピーカーシステムが誕生する。1967年のことだ。

NS-30はエレクトーン用スピーカーユニットから生まれた。筐体内部に据え付けられていた自社開発の平坦な形状の振動板(発泡スチロール製)をフルレンジとしてレキュタングラー型のエンクロージャーの背面いっぱいに移植。コーン型スコーカー、ホーン型トゥイーターと組み合わせた3ウェイである。

音楽を自然な響きで聴かせることを使命にNatural Soundスピーカーと命名。NSはそれ以降もヤマハのスピーカーシステムのイニシャルとして現在まで継承される。

しかし、いかんせんNS-30の外形寸法1030H×740Wmmは日本の家庭に大きすぎた。エンクロージャー背面から放射される音を背後の壁に反射させる音場型スピーカーのコンセプトも時期尚早だった。

「NS-30」は、ナチュラルサウンドスピーカーの第1号機。忠実な音の再生のみならず「音楽を聴く」ことを志向したスピーカーとして、エレクトーン用に開発したユニットを導入した

そうして1972年、捲土重来、オーディオのヤマハの名を一躍知らしめるブックシェルフスピーカー “NS-600シリーズ”が登場する。

コンパクトブックシェルフ、中級価格帯の「NS-620/630/650」が先陣を切り、翌1973年、上級機の「NS-670/690」が発売された。

いずれも独創的なNS-30とことなりオーソドックスな3ウェイだが、新技術が随所に盛り込まれていた。しかし、“600シリーズ”が他と一線を画していたのは、ヤマハの音響工学と高度な工作技術から生まれたスピーカーだったのだ。

“600シリーズ”5機種が揃ったタイミングで日本の某高級オーディオ専門誌が内外のスピーカーシステム数十機種を一堂に会して一斉試聴する特集を組んだ。試聴は当時のトップクラスのオーディオ評論家三名である。

NSシリーズ全機種がそろって高評価、最上位NS-690は、タンノイ、エレクトロヴォイス、セレッション、JBLといった海外の名機と肩を並べる最高評価を得たのである。当時、アンプやソース機器で台頭の目覚ましい国産オーディオ製品だったが、スピーカーシステムはまだまだ、というのが定説だった。

NSシリーズが常識をくつがえした。ことに、三人のテスターの一人、故・菅野沖彦氏の評価はこう始まっていた。

「素性のいいスピーカーシステムはセッティングに手間取らない

忖度とは無縁の率直で厳しいが愛情にあふれた論調で知られる菅野氏である。単刀直入なこの書き出しから日本にも世界に誇れるスピーカーシステムがついに誕生した、という氏の感慨と興奮が伝わってくる。

当時高校生だった筆者もワクワクを禁じ得なかった。国産スピーカーが欧米に追いついた瞬間に立ち会っているのだ、と。

1972年、ブックシェルフスピーカー “NS-600シリーズ”が登場。画像は最上位モデルの「NS-690」。スピーカーユニットはこれまでから完全に刷新され、ソフトドーム型のトゥイーターとミッドレンジ・ウーファーといった、のちのヤマハスピーカーのスタンダードとなる技術がここで確立している

NS-670/690は事実、国産スピーカーシステムの枠の中におさまらない製品である。

スコーカー、トゥイーターは欧州勢同様にソフトドームを採用、布地に熱可塑性樹脂と粘弾性ゴム系樹脂を二重コーティングしたヤマハオリジナル素材。ボイスコイルボビンと振動板の一体化設計である。

ウーファーは銅リボン線エッジワイズ巻きボイスコイルの最新スペック。オール新設計のユニットをピアノフレームの冶金技術から生まれたフレームでバッフルに固定する。

そして密閉型エンクロージャーは、ヤマハならではの断面を見せない三方留め構造が天然白木の仕上げを引き立てる。

こうした設計上の工夫が一致してめざしたものは、人工的な電気臭さのない自然な音響。NS-670/690は日本のみならず海外でも高評価を獲得し、日本製スピーカーシステムの地位を飛躍的に高めた。

楽器の製造技術から生まれた「奏でるスピーカー」NS-6901980年のマークIIIまで発展、国産スピーカーのロングセラーとなる。しかし、それは序章だった。

スタジオモニタースピーカーの誕生。国内外のプロ・アマに愛されるベストセラーに

1974年、ヤマハは初のスタジオモニターグレードのブックシェルフスピーカー「NS-1000M」を発売した。

最大の特長は、トゥイーターとスコーカーにピュアベリリウム振動板を世界で初めて採用したことにある。ハイスピードなベリリウムは早くから理想の振動板素材と注目されていたが、脆く腐食しやすく加工しにくいため実用化にいたらなかった。

ヤマハは、電子楽器に搭載するLSI製造でノウハウを得た電子ビーム真空蒸着法とピアノフレームの特殊合金技術を応用し、純度99,99%の純ベリリウムをプラズマ化して振動板形状に蒸着・成形することに成功。

33mmベリリウムドームトウィーターと88mmベリリウムスコーカーに、新設計の30cmウーファーと組み合わせてNS-1000Mが誕生した。

その音調は、それまでの日本いや世界のどこにもなかったハイスピード、ハイレスポンス、ワイドレンジで、カラレーションというもののない音。「スピーカーシステムは一種の楽器。固有の音色をたのしむもの」の概念を覆すものだった。

NS-1000Mは世界から賞賛を持って迎えられた。

1976年、スウェーデン国営放送が正式局用モニタースピーカーに採用し1000台を納入。Bowers & Wilikns、セレッション、Bang & Olufsenといった定番を抑えての指名である。

1978年にはフィンランド国営放送が200台を発注。クラシック音楽発祥の地ヨーロッパのプロの耳を征したのだ。

国内においてNS-1000Mはオーディオマニアあこがれのスピーカーとなり、「NS-2000」、「NS-1000X」といったバリエーションを増やしながら23年間に20万台が生産されるロングセラーとなった。

1974年に発売されたブックシェルフスピーカー「NS-1000M」。ピュアベリリウム振動板を採用した最初のスピーカーシステムとなる。1976年にスウェーデン国営放送が公式モニタースピーカーに採用するなどプロモニターとしても信頼を得た

NS-1000Mから遅れること2年。耳の肥えた音楽ファン、プロシューマーに現在も愛用される「小さな巨人」がデビューする。コンパクトモニター「NS-10M」である。

NS-600シリーズ”もNS-1000Mも、耳の肥えたヴェテランのオーディオファン/音楽ファンに向けたスピーカーだった。決して安価ではない。ヤマハが次に向かったユーザーは若者であった。

コンパクトでシンプルな2ウェイ。価格はペア5万円。左右対称配置のユニット、「YAMAHA」のエンブレムと、NS-1000Mをそのままダウンサイジングしたアピアランス。そこにはNS- 690/1000Mの技術要素が濃く凝縮されている。

磁気回路はアルニコからフェライトに変更されたが、ソフトドームの高域ユニットはタンジェンシャルエッジ一体成形の3.5mm、黒色艶消し塗装天然突き板仕上げのエンクロージャーは贅沢な三方留め構造を採用した。

さて、NS-10Mのシンボルのホワイトコーンウーファーがなぜ白いか、ご存知だろうか?

お椀型に紙を漉いて成形することを止め、板紙を丸めてつないでお椀型にしたのだ。白いほうが「継ぎ目」が分かりにくいのである。

ひとつ前の機種「NS-451」で初採用のコストダウンのためのアイデアだったが、NS-10Mのシンボルのホワイトコーンウーファーはこうして生まれた。

1978年に登場した コンパクトモニタースピーカー「NS-10M」。スタジオモニターとして多くのユーザーに支持され、30万台を超えるベストセラーとなった。ブラックの筐体にホワイトコーン・ウーファーが印象的

はたしてNS-10Mは想像をはるかに越えたベストセラーとなる。現代のデスクトップのさきがけのようなNS-10Mが置かれたのは若者のプライベートルームだけでない。ソリッドで飾らない音質が音楽のプロ(エンジニア、ミュージシャン)に認められ、コンパクトなプレイバックリファレンスとして音楽制作の現場に進出していった。

いっぽう、アマチュアの世界では、やや高域寄りのバランスを補正するために、トゥイーターのグリルにティッシュペーパーを貼って簡易イコライジングしたり、さまざまな使いこなしを生んだ。

1987年に「NS-10M PRO」に進化するなど累計で30万台以上が生産されたギネス記録もののHiFiスピーカーNS-10Mは、「アマチュアの耳を育てる」スピーカーでもあったのだ。

1980年代に入ると、音質至上で高密度のコンパクト2ウェイ「NS-1 classics」2000年代になると、精密構造のユニット、高度な木工技術のリジッドなエンクロージャーといったヤマハのスピーカー作りの原点に回帰した“Soavoシリーズ”を送り出す。

現在は2016年に発売、専門誌のアワードを総なめにした「NS-5000」がヤマハNSスピーカーのDNAをひときわ印象付けるがそれは第5章に譲りたい。

アンプ、プレーヤー、カセットデッキ。機能とデザインの既成概念を覆し、世界をリードする総合オーディオメーカーに

1973年、ヤマハはHiFiアンプの分野でも時代を画する名作を生み出す。

「それは、降り積もった雪に大粒のクリスタルの結晶を置いたイメージだ」

ファイルウェブ配信元・音元出版とつながりが深く、日本のオーディオ評論家を代表する存在だった故・岩崎千明氏はプリメインアンプ「CA-1000」の印象をこう表現した。こんなにロマンティックに詩的に語ることのできるオーディオが過去日本にあっただろうか。

音楽誌のこの紹介文を読んだ筆者はいても立ってもいられなくなり、一目見にその週末、店頭に駆けつけた。

CA-1000は、プリメインアンプの常識を越えた製品であり、ヤマハのオーディオの世界観が文字通り「結晶」していた。1973年当時、国産プリメインアンプはパワー競争の只中にあったが、本機はいち早くそこから抜け出していた。

1973年に登場したプリメインアンプ「CA-1000」。 パワーアンプ部がB級/純A級で切り替えられる画期的な機能を搭載。1955年のオートバイ「Y-1」以来ヤマハと繋がりの深いデザイングループ「GK」が手がけた、アルミ製フロントパネルと天然白木キャビネットが継ぎ目なしで連続するスタイリングも特徴

B70W+70W20Hz 〜 20kHzch動作時)と純A15W+15W動作をスウィッチで切り替えるパワーアンプ部のB級/A級切り替え機能を搭載。プリメインで世界初である。

それを包み込む筐体のアピアランスが、従来のアンプと隔絶していた。シルバーのアルミ製フロントパネルと天然白木(キャストール)のキャビネットが継ぎ目なしで連続し、内部機構の充実を気付かせないほど優美に包み込んでいた。

オーディオにおけるグッドデザインはそれまで、使用パーツの品位や物量、回路設計を直截に映し出す、武器やレースカーに似た機能美かあるいはクオードに代表される引き算の用の美であった。CA-1000は違った。ひとが音楽に期待する官能美や情緒を具象化したのである。そこには華があった。デザイングループ「GK」参画の賜物である。

CA-1000は世代を重ね1976年に「CA-1000III」の発展形でアンプ技術の集大成「A-2000」が完成、「A-9」1979)を経て純A級/AB級コンビネーションのフラグシップA-2000が完成(1986)。A級/B級論争に自ら終止符を打つ。

一方セパレートアンプである。ヤマハ内製SIT(縦型パワーFET)搭載のパワーアンプ「B-1」1974)、デュアルFETDCアンプで薄型フォルムを実現したプリアンプ「C-2a」1976)、大型のトランスやヒートシンク無用のスウィッチング電源X電源、アナログX増幅採用で一見奇抜だが合理的形態を実現したピラミッド型パワーアンプ「B-3」1980)にGKの造型感覚が光る。

デザインの面でもオーディオ界を先導する存在となっていたヤマハ。イタリアのデザイナー、マリオ・ベリーニを起用したカセットデッキ「TC-800GL」(1976年)は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の収蔵品に選定された

1976年にイタリアのデザイナー、マリオ・ベリーニとコラボレート、人間工学から計算された傾斜デザイン、ベリーニ・アングル採用のカセットデッキ「TC-800GL」を世に問う。本機はニューヨーク近代美術館(MoMA)の収蔵品に加わった。

1982年、“Gigantic &Tremendous”をテーマにレコードプレーヤー「GT-2000」を送り出す。ハウリングの封殺を目的にプラッター単体重量5.8kg、総合質量28kg。剛体構造を実現した重量級プレーヤーである。

これ以降、国産プレーヤーは重量競争に突入する。もう遅れてやってきた一社ではなかった。ヤマハのオーディオは存分に翼長を広げ、回路技術、性能、造型。そのすべてで日本と世界のオーディオを先導する存在になっていた。

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