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連載:世界のオーディオブランドを知る(5)音響科学と品質を追求し続ける「KEF」の歴史を紐解く

公開日 2025/04/16 06:30 大橋伸太郎
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これまでに多くの世界的なオーディオブランドが誕生してきているが、そのブランドがどのような歴史を辿り、今に至るのかをご存知だろうか。オーディオファンを現在に至るまで長く魅了し続けるブランドは多く存在するが、その成り立ちや過去の銘機については意外に知識が曖昧……という方も少なくないのではないだろうか。

そこで本連載では、オーディオ買取専門店「オーディオランド」のご協力のもと、ヴィンテージを含む世界のオーディオブランドを紹介。人気ブランドの成り立ちから歴史、そして歴代の銘機と共に評論家・大橋伸太郎氏が解説する。第5回目となる本稿では「KEF」ブランドについて紹介しよう。

 

それはカマボコ兵舎から始まった〜誕生からBBCとの協業まで

「KEF(Kent Engineering&Foundry)」は、1961年、レイモンド・クックが創業した。1925年にイングランド・ヨークシャーに生まれたクックは、英国海軍で無線通信士の任務に従事したあと、ロンドン大学で電気工学の学位を取得する。1954年にBBCに入社、配属されたのは設計部門だった。

スピーカーの設計にたずさわったあと、1955年、クックはBBCを辞し、スピーカーメーカー・ワーフェデールに入社する。オーディオは変革の真っ只中にあり、スピーカーはプラスティック成形を取り入れようとしていた。

クックの上司はギルバート・ブリッグスだったが、当時ドライバーのサイズでスピーカーの低音再生能力が決まるというのが常識だった。レイモンドとブリッグスは必ずしもローエンドの再生に大口径のユニットを必要とせず、10インチあるいは8インチの小径ユニットでも実現可能と推論した。同社のような老舗といえども既成概念にとらわれているべきでない。それが同社でクックが学んだものであった。

KEF創業者のレイモンド・クック。日本の音楽評論家たちともオーディオとスピーカーのあり方についてさかんに意見交換を交わした

クックは1961年にワーフェデールを辞し、ランクオーガニゼーションを経て自身の会社KEFを設立する。場所はケント州メイドストーン。のどかな郊外にたたずむ英軍から払い下げられた平屋建ての “Nissen Hut” (カマボコ兵舎)に開発の設備を運び込んだ。とにもかくにもこの時KEFの歩みは始まったのである。

このファクトリー内でクックはさまざまな素材を使い、昼夜を分かたずスピーカーの実験に没頭する。ここでダイヤフラムの製造まで可能になり、手応えを得たクックは、自社スピーカーを当時のハイエンドたとえばタンノイGRFと競合するのでなくマーケットのミドルクラスに照準を合わせた。ハイファイはかぎられた富裕層の専有物でなくなりつつあったのだ。

そうしてKEFの最初のラインナップ2機種、フラットパネルウォールマウントの「Picture Speaker」と「K1スリムライン」が誕生する。どちらも時代に10年先駆けたオーディオ機器だった。ことにダイヤフラムにファクトリーでの実験の成果が結実していた。

バスユニットの振動板素材に、紙ではなく真空成形のポリスチレンダイヤフラム平面振動板を採用し、メリネックス製ダイヤフラムトゥイーター「T15」で構成した3ウェイ構造。テクニクスやソニーが平面振動板のシステムを発表するのは十数年後のことである。

両機で自信と信頼を得たクック率いるKEFは、小型2ウェイシステム「CELESTE」を発表。民生用スピーカーは「CARLTON」「CONCERTO」と続き、この新進気鋭は強豪ひしめくイギリスのコンシューマー用ハイファイスピーカーの一角として認知を得る。

「CELESTE」

その一方、クックはイギリスの音響技術の総本山にして、自身の古巣BBCとの業務提携に乗り出していた。KEFはBBCとともにダイヤフラム用新素材の研究を開始。そうして3ウェイベクストレンコーンの「LS5/5」が誕生する。開発の中心は1961年からKEFエンジニアリング部門に所属するマルコム・ジョーンズであった。マルコムは回想する。

「私が初めてプラスティック素材に出会ったのは、カッテージチーズの容器で遊んでいたときだった。その底はドーム形状になっていた。レイモンドは『この素材を試してみようじゃないか』と言ったのさ」

結局KEFが使用を決めたのはベクストレンだった。他の多くの素材にない減衰特性をもっていたのである。

「LS3/5A」「MODEL104」で放送・音楽業界の信頼を築く

BBCとの協業で次々にモニタースピーカーが誕生していくが、最も有名で現在も名声の衰えない存在が小型モニター「LS3/5A」である。

「LS3/5A」

テレビは成長を続けコンサート収録、スポーツ中継、BBCの現場はスタジオの外へ飛び出していた。放送中継車用に可搬型モニタースピーカーを、というBBCの要請に答え、1970年に10cmコーンユニット「KEF B110」、2cmドームユニット「KEF T27」、クロスオーバーフィルター「FL6/16」という構成で、伝説的傑作「LS3/5」が誕生する。

密閉方式の2ウェイ構成で入力15Ω(後に8Ωもある)。ダドリー・ハーウッド、スペンサー・ヒューズらエンジニアたちの合作であった。1974年にはBBCのライセンシーを受けたメーカーの競作となり、民生用モデル「LS3/5A」がロジャース、ハーベス等から発売される。

現代のDTMやデスクトップシステムを先取りしていたかのようなLS3/5Aは、21世紀の今も高い人気を持ち、生産が続いている。放送音声のプレイバックリファレンスという使命に対して、忠実に人の声を明解かつリアルに再現する設計は、現在も強い説得力を持つ。余談だが、筆者の試聴室でもテレビ放送のARC音声の再生用にロジャース製LS3/5Aが活躍中である。

この時期、KEFの名声を決定づける傑作「MODEL104」が登場する。低域ドライバーには20cmコーン型「B200」、高域用にLS3/5AのソフトドームT27を使用。注目は低域を伸ばすために平面型パッシブラジエーターで構成した2.5ウェイ構成となっている。

「MODEL104」

比較的小型薄型の密閉式エンクロージャーだが、BBCとの協業の成果を踏まえ広帯域で高感度、正確なだけではない。よく弾むしなやかな低音に支えられたいきいきとした音楽が魅力だ。MODEL104はイギリスで初めて放送局用標準モニターの認定をかちとるスピーカーとなった。

興味深いエピソードがある。1967年にレイモンド・クックの息子マーティンは、KEFのスピーカーをロンドンのさる顧客に納品する役を仰せつかった。顧客のアパートを訪ねると、紳士が彼に礼をいい一枚のLPレコードを差し出した。それは、出来上がったばかりのザ・ビートルズの最新アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のサンプル盤であった。顧客はザ・ビートルズのマネジャーのブライアン・エプスタインだったのである。

この時期、イギリス音楽のプロの間で音の基準として浸透していくKEFのすがたが伝わってくる。余談だが、新宿の有名レコード店の5Fロックレコード売り場のリファレンスは、ヴィンテージのMODEL104である。発売から何十年の104から毎日ザ・ビートルズのアナログサウンドが流れている。レコードファンの聖地だけあって、さすがに音楽に詳しいだけでなくスピーカーもわかっているのだ。

1970年代、KEFはすでにコンピューターによる解析を開発に取り入れていた。それを背景に104に続き、時代に先駆けた3ウェイモニター「105」を世に問う。位相と伝達スピードの統一がテーマであるとして、そのため中高音ユニットを独立したチャンバーに収め、メインユニットから分離、全帯域で均一な音の放射特性に先駆けたのである。

105はリファレンスシステムとして世界でKEFの評価を決定的なものにし、より大型の「107」始めスピーカーの歴史に残る傑作を生み出していく。いっぽう105は105/2、105/3へ発展し続け、ユニット間の位相管理とタイムアライアメント調整(伝達時間の整合)をさらに追求していくが、これは次代のKEFを象徴するより合理的な新技術を予告していた。

KEFはLS3/5Aのオリジネーターだが、自社のバッジを付けたシステムを長らく作らなかった。すでに3社にライセンスが与えられていたからである。KEFの名のもとリアパネルにレイモンド・クックの署名の刻印された「LS3/5Aシグネチャーモデル」が発売されたのは1995年になってである。

その記念すべき年に残念な出来事がおきる。創業者クックが没したのである。享年70歳。しかしKEFの歩は止まることがなかった。アンドリュー・ワトソン博士を音響プロジェクト責任者にすえ、クックの薫陶を受けた後進たちが創業者の挑戦心を受け継ぎ、次々にスピーカーの革新を成し遂げて行く……。

アンドリュー・ワトソン博士

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