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連載:世界のオーディオブランドを知る(8)不滅の名声とどろく「タンノイ」の歴史を紐解く

公開日 2025/09/04 06:30 大橋伸太郎
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デュアルコンセントリックユニット登場。モニタースピーカーの革命

1947年、タンノイは、神話の原点となるデュアルコンセントリック(同軸)・2ウェイユニット「LSU/HF/15L」を発表する。

15インチコーン型ダイレクトラジエターの低域ユニットと、コンプレッションドライバー+ホーンの高域ユニットを同軸線上の一体構造とし、両方の磁気回路をたくみに組み合わせ、寄り添うようにネットワークケースが付属する。通称、「Monitor Black 15インチ」。同軸構造自体は先例があったが、ワイドレンジ化という点で空前の性能を達成したスピーカーだった。

1947年にオリンピア・ロンドン展に出展された「LSU/HF/15L」。のちに「Monitor Black」の通称で親しまれた初のデュアルコンセントリック・ドライバー

コンプレッションツイーターのホーン先端部が滑らかにウーファーにつながり、一つのホーンを形成する巧みな設計で、ポイントソース(点音源)再生が可能。ポイントソース・ドライバーの開発は、ガイ・ファウンテンが「音は1点から放出される」という自然界の発音メカニズムと同じ方式のトランスデューサーで高忠実再生を求めた結果であり、耐入力の点で優れた2ウェイのシステムが1ユニットで済むという、業務用インストレーションでの利便性の高さも誕生の背景にある。

この年9月、世界大戦の残像を払いのけるようにハイファイの展示会「オリンピア・ロンドン展」が催され、タンノイのブースにこのデュアルコンセントリックユニットが展示されていた。偶然にもタンノイのブースの向かいがデッカ(米日では「ロンドン」レーベル)であった。当時レコードはSPの時代だったが、この時期、デッカはワイドレンジ、高S/Nの研究に余念がなかった。

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デュアルコンセントリックの構造図(写真はHPDユニットの断面図)
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ハイファイの展示会「オリンピア・ロンドン展」のタンノイブースのようす

彼らはこのデュアルコンセントリックユニットを見逃さなかった。デッカはこのユニットを使い、家庭用スピーカーシステム「DECOLA」を発売する。社会が落ち着きを取り戻し、音楽に心を委ねる余裕が人々に生まれていた。次にデッカは、同じユニットをモニターシステムに仕立て、同社の録音スタジオに導入する。厳格さを求められるプロ用途と、家庭での心和ませる音楽鑑賞。両立しがたいふたつが矛盾なく共存できるのが、タンノイのデュアルコンセントリックユニットだった。

1953年、ニューヨークで伝説的なコーナー型システム「Autograph」の試作がお目見えする。搭載ユニットはデュアルコンセントリック15インチ。LPが登場してまもなく、時代はモノラル時代の円熟期だった。Autographのテーマは「オーケストラサウンドの再現、家庭をコンサートホールに」というもので、そのためには低音の質と量が欠かせない。

1953年にニューヨークのフェアで発表された「Autograph」

そのため、エンクロージャーは部屋のコーナーに密着させ、床と直角に交わる二面の壁を延長とするように、低域ホーンを左右に分割したマルチセルラーホーンとする大胆かつ巧妙な設計である。ファウンテンにとっていかに自信作であったか、「署名入り」と名付けたことからうかがえる。試作は装飾的で豪華なヴィクトリアン家具調だったが、プレーンでシンプルなデザインに変更され、晴れて発売された。

1950年代は、ハイファイの大きな変革が相次いだ時代である。LPレコード発売(1948)、FM音楽放送開始、そしてステレオ盤レコード発売(1957)である。Autographは賞賛を持って迎えられたが、ハイファイ愛好家の広がりを前にして、高価かつ大型すぎた。

 
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オリジナルAutographのカタログ
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2001年に発売された復刻モデル、「Autograph Millenium」

タンノイは同軸ユニットを15→12インチに小径化し、バスレフ方式エンクロージャーに収めたシステム「Canterbury」と「ランスドウ」を発表。翌年1954年にはAutographの弟機「York」を、1955年には15インチユニットを搭載しつつエンクロージャーを小型化した「GRF」を発表する。もはや飛ぶ鳥を落とす勢いである。厳正かつ美しい音質への信頼は高まる一方で、イギリスはじめ多くのレコード会社がタンノイのデュアルコンセントリックユニットをスタジオモニターに採用した。

時はステレオ再生時代、最大の技術課題は位相の統一である。最終変換器スピーカーで位相ずれがおきると、正しいステレオ定位が得られない。高域用と低域用のユニットが同軸上インラインに並ぶ、タンノイのデュアルコンセントリック方式はその点圧倒的に有利だった。ステレオ時代到来がタンノイの強力な味方となったのである。同時にコーナーマウンティング型1台置きからフリースタンディング2本使いへの設置法の変化に対応し、タンノイスピーカーのエンクロージャー形式もレクタンギュラー型(箱形)へ変わる。

レコード産業におけるタンノイの信頼と名声は他の追随を許さなかったが、ステレオ時代になり、録音スタジオも増加の一途をたどり、モニタースピーカーの小型化が求められた。そうして1961年に10インチデュアルコンセントリックユニットの銘機「III LZ」が登場する。音質を継承しつつ小口径化を実現したユニットを、密閉方式エンクロージャーにおさめた小型ブックシェルフシステム「IIILZ in Cabinet」は、タンノイの音質を広く音楽ファンが享受できる待望のスピーカーシステムとして世界中、とりわけ日本で万雷の拍手を持って迎えられた。

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1961年発売の銘機、「IIILZ in Cabinet」
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IIILZへのオマージュとして2024年に登場した「Stirling IIILZ Special Edition」

1974年、ふたつの世界大戦をかいくぐり働きづめに働き続けたガイ・ルパート・ファウンテン氏は、74歳で体力の限界を自覚、引退を発表する。タンノイはイギリス、いやヨーロッパを代表するスピーカーメーカーに成長を遂げていた。

1950年代にタンノイ・アメリカを設立し、北米向け製品を手がけた時期があったが、ファウンテンの引退で、本体の経営がアメリカのオーディオ・コングロマリット(多国籍企業)ハーマン・インターナショナルに託された。その3年後、ファウンテンは約50年前に小さな整流器メーカーが旗揚げをした地、ロンドンで永眠した。享年77歳。

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1953年登場の通称「Monitor Silver」。タンノイはこのユニットを収めて上述のAutograph、York、GRFなど数々の銘機を生み出した。型名や磁気回路、振動系はオリジナルと変わらないが、武骨だったフレーム形状がややスマートになり、シルバー色のハンマートーン仕上げに変更、12インチモデルも登場した
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1957年登場の「Monitor Red」。15、12インチに加えて1961年に10インチの銘機IIILZも加わり、1967年の「Monitor Gold」登場までロングランを誇った。従来よりも磁束密度が高まり、耐入力も強化され、ステレオ時代の高音圧再生に耐える仕様になった
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1967年登場の「Monitor Gold」。トランジスターアンプの台頭にともなって、インピーダンスを従来の15Ωから8Ωとし、ネットワークにロールオフ、エナジーのコントロールが加わった
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1974年ハーマン傘下に登場の「Monitor HPD」。後述する “ABCDEシリーズ” などの銘機が生まれた。HPDは「ハイ・パフォーマンス・デュアル」の略で、従来よりも広帯域、低歪、ハイパワー駆動を目指して設計され、マグネットもTiconal GからAlcomax 5へ強化された。

新生タンノイのスタート。そして「ティアック」との出会い

ハーマン・インターナショナルは、生前のファウンテンとの約束通り、タンノイの個性と製品作りのポリシーを遵守した。しかし、残されたタンノイの人々はあくまで独立独歩の道をのぞんだ。

1978年、新経営者ノーマン・クロッカーが経営権を買い戻す。新生タンノイのスタートである。その前年、レガシーのデュアルコンセントリックユニット搭載のシステムを拡大。「Arden」「Barkley」「Cheviot」「Devon」「Eaton」等が世界中で好評裡に迎えられていた。ことに日本で高嶺の花だったタンノイは、この “ABCDEシリーズ” で大幅に愛用者を増やす。

写真左からEaton、Barkley、Devon、Arden、Cheviot。信頼性の高いスタジオモニターの設計をベースに、角にカーブをあしらった分割式グリルなど、英国王室デザイナー、ジャック・ハウ氏による美しいデザインが施され、家庭用スピーカーとして大ヒットを記録

ところで、このタンノイ復活劇には、強力な支援者の存在があった。1976年、ティアックが日本における輸入代理店に名乗りを上げたのである。タンノイ・デュアルコンセントリックユニットの声望は日本で神話の域にあった。世界のどこよりもタンノイを愛する国のこのメーカーこそ、新たなパートナーにふさわしかった。

1980年代、デジタルオーディオの時代になる。デュアルコンセントリックユニットは世代を重ね進歩を続けていたが、良さを引き出すためには巧緻を尽くしたエンクロージャーが欠かせず、ユニットとエンクロージャーの両面で製造コストがかさみ、量産に向かなかった。

かくしてマルチユニット構成のタンノイスピーカーが誕生する。家庭用「Venus」「Mercury」シリーズは軽快な音質と使い勝手のよいパッケージング、幅広いラインナップ、求めやすい価格でタンノイの支持層を増やすことに成功する。それは勃興したばかりのAV(ホームシアター)の「声」としての要請に答えるものでもあった。

いっぽう、レガシーのデュアルコンセントリックユニット搭載機が「Prestigeシリーズ」としてルネッサンスを迎える。大型バックロードホーンの「Canterbury」「Westminster」で一時入手難から非搭載だったアルニコマグネットが復活した。「GRF Memory」「Stirling」「Edinburgh」と相次いで登場、世界中の、とりわけ日本のファンを狂喜させることになる。

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1998年発売の「GRF Memory HE」(1981年の初代から5世代目)
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1983年発売の「Stirling」(初代モデル)

1981年、タンノイは米ハーマン・グループから株を買い戻し、英国資本の会社として再スタートを切る。その記念すべき第一号モデルがPrestigeシリーズ「GRF Memory」。英国ブランドとしてのアイデンティティーと再スタートへの強い想いを込め、創業者ガイ・R・ファウンテンへのオマージュとして、残されたスケッチを元にして誕生した。プレステージシリーズは英国を代表するスピーカーとして世代を重ねて今日まで続くロングランシリーズだ。

一連の集大成が21世紀の今、相次いで誕生しているスーパーハイエンド・スピーカーのさきがけとなる記念碑的なフラグシップ機「Kingdom」である。1997年登場。タンノイ初のSuperTweeter、18インチスーパーウーファーを搭載した弩級の4ウェイ構成。姉妹モデル「Kingdom 15」「Kingdom 12」の3機種でシリーズを構成した。

古典的なPrestigeシリーズに対して1997年にモダン・タンノイのステートメントとして登場した「Kingdom」

その一方1991年、同軸ユニットが新たな進化をみせる。プロ用途に “STUDIOシリーズが誕生、ツインマグネットシステムを搭載し、振動板に新素材を採用した。従来のオーソドックスな木工調から一転、グレー塗装のソリッドなMDF製エンクロージャーに身を包み、新時代を見据える精悍な顔付きが、前進するタンノイを物語っていた。

2002年にデンマークのTCグループ傘下となり、その後グループごとMusic Tribe傘下に入って現在に至るが、タンノイの製品作りの矜持はゆるがない。2006年にPrestigeシリーズがSE(スペシャル・エディション)として進化し、2013年に「Prestige GR(Gold Reference)」が登場。2010年には新たなフラグシップ「Kingdom Royal」が誕生し、名門の威光を輝かせる。

2010年にKingdomの後継モデルとして誕生した「Kingdom Royal」。大口径3インチコンプレッションユニット搭載のデュアルコンセントリック・ドライバー、マグネシウム振動板を採用したSuperTweeter、ネットワーク回路など全てを刷新。高能率・高音質化しているが、性能面のみならずデザインもより流麗なフォルムに進化した、モダン・タンノイの新しいステートメント・モデル

「Kingdom Royal」における開発成果をプレステージシリーズに投入し、新しく生まれ変わった「Prestige GR (Gold Reference)」シリーズ(写真はWestminster Royal/GR)。合計8モデルでシリーズを構成しており、2025年現在も継続しているロングランシリーズ

スピーカー作りは社会と文化への貢献。音楽があるかぎりタンノイは不滅

タンノイはただ一つ、1940年代に生まれたデュアルコンセントリックユニットによって神話になった。タンノイは電機メーカーとして誕生したが、当初は家電でなく、信号機や公共施設のパブリックアドレスを手がける公益性の強いメーカーであった。社会貢献を背負った「公」がタンノイの出発点にあったのである。

イギリス人にとっては、芸術としての音楽も人類共通の文化財産である。日本人がクラシック音楽ときいてイメージする中心は、ヴィヴァルディやJ.S.バッハらのバロック期からマーラーやブルックナーらの後期ロマン派までの約200年だが、この時期にイギリスからめぼしい作曲家は生まれなかった。

イギリスのオーディオの紹介を始めるにあたり、その歴史的文化的背景について書いたのだが、字数の都合で割愛した。いずれ機会があればあらためて紹介したいが、その反動のようにイギリスは19世紀末から20世紀にかけて音楽産業がめざましく発展し、同時に世界のハイファイの中心になった。

生国がやれドイツだ、イタリアだではなく、人類共通の財産である音楽をゆがめたり粉飾したりせず、正しくありのままに聴き手に届けなければならないという使命感が生まれたのではないか。そうした音楽へのフェイスフルな姿勢は、イギリスのスピーカーに共通のものだが、タンノイからひときわ強く感じられるのだ。

音質に優れるスピーカー作りは崇高な文化貢献なのである。それがタンノイの出自から生まれた哲学であることは、もはや繰り返すまでもない。ガンコで誠実なタンノイを、やはり音楽へのリスペクトを欠かさない私たち日本人は時代を越えて愛し続ける。音楽がある限り、タンノイは不滅である。

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