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連載:世界のオーディオブランドを知る(7)“唯一無二”に徹した「ティアック」の歴史を紐解く

公開日 2025/07/24 06:30 大橋伸太郎
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これまでに多くの世界的なオーディオブランドが誕生してきているが、そのブランドがどのような歴史を辿り、今に至るのかをご存知だろうか。オーディオファンを現在に至るまで長く魅了し続けるブランドは多く存在するが、その成り立ちや過去の銘機については意外に知識が曖昧……という方も少なくないのではないだろうか。

そこで本連載では、オーディオ買取専門店「オーディオランド」のご協力のもと、ヴィンテージを含む世界のオーディオブランドを紹介。人気ブランドの成り立ちから歴史、そして歴代の銘機と共に評論家・大橋伸太郎氏が解説する。第7回目となる本稿では、「ティアック(TEAC)」ブランドについて紹介しよう。

今回は筆者の個人的な思い出から始めたい。筆者がオーディオビジュアル業界に脚を踏み入れた40年近く前、最初に近しくお付き合いいただいたオーディオ評論家が村田欽哉氏であった。

アルゼンチンタンゴがお好きと聞き、私が恐る恐る「ピアソラはどうですか?」と訊くと、「ピアソラ?ありゃいけません。タンゴを革新するのでなくて破壊していますから」。それでも何となくウマがあって、練馬区平和台のお住まいに足繁く通うようになった。2階の試聴室には、タンノイのスーパーレッドモニターが鎮座していた。

通称 “ムラキン” さん。FM誌のカセットデッキの録音立ち上がり計測記事で一世を風靡した氏は、深川生まれの江戸っ子。甲高い声のべらんめえ調でよく喋る。「俺たちがいうとな、ふかがわでなく、ふかがあ。ビクターじゃなく、びくたあ、になるのさ」。

お祭りの神輿のかけごえが東京でも「わっしょい」でなく、「そいや」になっているのに憤り、嘆いていた。マスコミ、ジャーナリズムに対しても手厳しい。「トレンドを追うんじゃなく、トレンドを作るのがあんたたちマスコミの仕事でしょ?」、評論家に転進する前、村田さんはティアックの広報宣伝の責任者だった。そんな村田さんの口ぐせは「谷 勝馬、ウソつかねえ。」

谷 勝馬氏は、ティアックの創業者で技術者、日本のオーディオの発展に大きな功績のあった方である。この口ぐせにかつてのボスへの敬愛の念が込められていた。一方、若い後輩たちへも尊敬を忘れなかった。「お前さん、彼の仕事の仕方をよく見ておくといい」。 “彼” とは、氏の元部下で、ティアック退職後に映像音響の権威となったF.M.氏のことだ。ライバルだったはずの同輩にも敬意を欠かさない。

ティアックの創業者で技術者であった谷 勝馬氏

「俺とはタイプが違うが、あいつのこだわりと実行力はすごいもんだ」。その後、経営者としてハイエンドブランドのエソテリックを立ち上げ、現在もSACDのマスタリング総指揮者O.M.氏のことである。その後、F.M.氏とご一緒に仕事をする機会ができ、上司の思い出を訊ねると、型破りな人となりについて楽しそうに語ってくれた。

村田さんは、若い時代に結核を罹病し肺の片方を失っていた。ティアックを早期退職したのは体力上の理由なのだが、会社を去るのに無念と蹉跌もあったはずだ。しかし、経営者、同輩、そして若い世代に対して尊敬の念を忘れていない。この時点でティアックは、年商数百億円規模の有名企業だったが、多士済々の社員のあいだに家内工業のような強い絆と共通の想いが感じられた。私は若輩だったが『こうした企業はきっと強いのでは』と思った。

それから40年の歳月が流れ、村田さんはとうに逝去した。オーディオ産業をめぐる環境は大きく変化し、少なくないメーカーが転出したり退場していき、そのなかにはトップブランドや誇り高き老舗も含まれていた。

しかし、地味な “メカ屋” だったティアックが、21世紀の現在も旺盛な活動を続けている。「選択と集中に成功した」「利益率の高い得意分野に経営資源を傾注した」「規模の拡大を慎重にいましめた」「海外でのブランディングに成功した」などといえば、それまでだ。

ではなぜティアックがそれに成功したのか。そこにはティアックの他社にない思想や伝統があったはずだ。それを解き明かすのが今回のテーマである。

ティアックの原点は「ターンテーブル」にあった

東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部の前身)を卒業後、東大航空研究所で航空エンジン開発に従事していた若きエンジニア・谷 勝馬は、クラシック音楽好きの青年だった。蓄音機の針に関する特許を取得、それを持ち込んだ先で知り合ったのが、日本電気音響研究所のちのデンオン、現在のデノンの創始者・坪田耕一氏だった。

幻の1940年東京オリンピックを控え、日本は国産録音機の開発に迫られていた。坪田の誘いで谷は同社に入社、電気式録音機の開発に従事する。1939年のことだ。戦争が終わり、谷は同社を離れ自前でターンテーブルの開発に着手。1953年、弟の谷 鞆馬とともに東京テレビ音響株式会社TTOを東京三鷹に設立する。TTOのターンテーブルの性能が注目され、日本楽器製造(ヤマハ)に招聘されると、谷は東大での経験を活かした発動機の改良から、初期のエレクトーンの開発も手がけたという。

1956年、谷兄弟は東京電気音響株式会社をスタートする。墨田区の下町の一画にたたずむ簡素な町工場であった。それが現在のティアックの始まりである。その年、3ヘッド/3モーター式ステレオテープトランスポートの試作「TD-101」を完成。翌年、再生用アンプを内蔵したテープデッキ「TD-102」が誕生する。

「TD-102」

当時伸長著しい日本のエレクトロニクスは、アメリカのメーカーや販売業界から熱い視線を浴びていた。北米でHi-Fiが一部の富裕層の独占物でなくなり、オーディオの需要が数倍になっていたからである。アメリカからの注文が次々に舞い込み、雑誌「コンシューマー・レポート」(アメリカ版『暮らしの手帖』のような雑誌)のオーディオ製品一斉テストで、TD-102が高評価を得たことは谷ら社員一同を大いに勇気づけた。

TD-102は輸出専用機だったが、1959年、初の国内向けの3モーター/4ヘッドステレオテープデッキ「50SR」が完成。世界初のオートリバース機能付きである。3年後の1962年、社名を「ティアック(TEAC)」に変更する。TEACは「TOKYO ELECTRO ACOUSTIC COMPANY」の略だが、のちに谷は、「TECHNOLOGY EXPERIENCE ABILITY CREAITIVE」のダブルミーニングでもあったと述懐している。ティアックの精神がここに集約されている。

オープンリールとカセットを両輪に、録音再生文化の担い手になる

1965年、3モーター/4トラックのテープデッキ「A-4010」を発売。コンパクトネスと求めやすい価格、68,800円を実現した同機はシリーズ化を果たし、録音専用アンプを組み合わせたモデルともどもベストセラーになる。1960年にFMステレオ放送がスタート、家庭でアマチュアが音楽を録音再生する文化がやってきたのである。

ティアックのオープンリールテープレコーダーは、新しい文化の担い手として音質・機能共に高い性能を持ち、メカニズムにも強い音楽ファンに受け入れられていったが、オープンリール式は一般家庭で設置や操作がしづらいことに加え、構造の複雑さから低価格化が難しかった。

「A-4010」

1960年代はじめ、オランダ・フィリップス社がコンパクトカセットを提唱、1964年に欧米で製品化された。フィリップスは規格を公開したため、オープンリールに比べ格段に扱いやすいカセット式が瞬く間に世界に普及した。1968年登場の日本初の音楽用カセットテープデッキが「A-20」である。価格は35,800円。この価格設定には、谷らの音楽を良い音で聴くことを普及させたい夢が込められていた。

しかし一方で、ティアックらしい技術へのこだわりと独創性が満載されていることに注目したい。カセットオーディオ用に6極ヒステリシスシンクロナスアウターローターモーターを新たに開発して搭載。パーマロイヘッドの採用、オールシリコントランジスタ構成の録音再生アンプを搭載し、VUメーターの装備、プッシュ式オルガンタイプの操作スウィッチも斬新だった。

カセットで家庭録音の可能性を広げた一方、オープンリールデッキは性能と機能を研ぎすましていく。同年、ハイアマチュア向きに民生機初の2トラック38cmデッキ「A-7030」を発売する。2トラックの消去、録音、再生と、4トラック再生ヘッドが独立の3モーター/4ヘッド方式。録音と再生ヘッドにティアック独自のハイパボリック型、再生ヘッドにパーマロイヘッドを採用。録音再生用に3段直結アンプを4基独立して使用する、同社の技術力が凝集して生まれた製品であった。価格は189,000円。

「A-20」

1970年代にエアチェックブームが到来、カセットデッキはオープンの数十倍規模の市場を築く。ティアックは並みいるメーカーの中、マニア好みの上級ブランドとして確固たる地位を築く。キラ星のごとくの名機がひしめくが、筆者が印象深いのが1979年の「C-1mkU」(価格245,000円)。メタルテープに対応の3ヘッド機。色分けされたプッシュ式の操作ボタンが高音質のシンボルだった。

オープンリールとカセット。妥協のない精度の追求と家庭音楽文化の普及の尖兵の両輪がそろい、録音再生機のリーディングメーカー、ティアックの快進撃がここから始まる。1970〜80年代にティアックが送り出したオープンリール、カセットデッキは膨大な点数であり、ここでは紹介しきれない記憶に残る名機、テープオーディオに進歩をもたらした傑作、そしてオーディオファン、音楽ファンあこがれのデッキがひしめいている。

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