<ヘッドフォン祭>ウエスギから初のOTL方式ヘッドホンアンプ登場
2026/04/25
「アンプの終着駅」を自負する上杉研究所から、ブランド初となるヘッドホンアンプが登場した。しかもキットも用意され、ちょっとしたハンダ付けで愉しめるという。登場した製品は、果たしてヘッドホンアンプの終着駅になるのか。そもそも上杉研究所とは何かと共にお伝えする。
読者諸兄に馴染みがないかもしれないと思い、上杉研究所について話を進めることにしたい。
上杉研究所は、上杉佳郎氏と11歳年上の兄、卓男さんによって、1971年に創業したアンプ製造を得意とするメーカーだ。上杉佳郎氏は、4歳の頃から半田ごてを片手に真空管ラジオを作ったという早熟の天才ビルダーで、若い頃は個人やオーディオショップから依頼されたアンプを設計・製作していたという。
そして立命館大学理工学部在学中に、エロイカ電子工業から真空管アンプの設計を委託され、後に常務取締役技術部長を務めた。退社後オーディオ評論家としての活動を始めたが、オーディオメーカーへの夢を捨てきれず上杉研究所を設立。「オーディオに於ける真空管の優位性を立証する」ような製品を輩出し、今なお多くの人に愛されている。
当時のウエスギアンプの音を一言で表すなら、刺激的な音を出さないナチュラルサウンドと言えるだろう。あくまでスピーカーを主役とし、アンプは黒子として脇役に徹することを信条としていた。
上杉ブランドで手掛けたコンポーネントは全51機種。さらに佳郎氏は、ステレオサウンド社の季刊誌『管球王国』では3か月に1度「マイ・ハンディクラフト」という連載で真空管アンプの作例記事を寄稿し、完成品やキットの販売も行っていた。作例記事やキットは、比較的安価に上杉アンプが手に入れられることができ、好評を博していた。
個人的な思い出となるが、編集者時代になんどか佳郎氏にお会いする機会があった。といっても普段は神戸にお住まいで、お会いできるのは年に1度か2度。だが、その優しい語り口は今も耳に残っている。そして気づけば不肖のオーディオラックには佳郎氏が手掛けたコンポーネントが並び、JBL パラゴンと共に今も良音を奏でている。
2005年に卓男氏が74歳で亡くなられると、佳郎氏も後を追うように2010年に68歳の若さで他界。上杉研究所は終わるかに思われた。
だが翌2011年4月。日本ビクターのステレオ技術部に在籍した後、フェーズテックでエンジニアであった藤原伸夫氏が事業を継承すると発表。突然の知らせに「エイプリルフールにしては、度が過ぎる」と誰もが思ったことだろう。
後で知ったのだが、佳郎氏は2009年、藤原氏がフェーズテックを退職した際に「一緒に仕事をしませんか」と打診されていたのだそう。
最初は、佳郎氏が残された膨大な資料を読みながら、愛用者からのアンプのメンテナンスを実施。併せて藤原体制下での新製品として、僅か7か月でプリアンプとモノラルパワーアンプをリリースした。
併せて、管球王国にも「マイ・ハンディクラフト」記事を寄稿。先代のスピリットを受け継ぎながら、新しい真空管の魅力を今も伝えている。
もともと上杉研究所は関西にあった。だが、現在は横浜に本社機能を移管している。本社では製品開発のほか、協力工場から納品されたアンプの全数検査、部品発注などの仕入れ業務、そしてアンプのメンテナンスを行っているという。開発スタッフは藤原氏のほか、中堅のエンジニア1名の2名体制。これは上杉兄弟時代と変わってはいない。
会社にお邪魔すると、作業用のベンチ台が2つ並んでいる。そのうち右側の白い事務机は佳郎氏が使われていた机だそう。その横には、近鉄バッファローズファンだった佳郎氏が愛用されていたというキャップが飾られていた。
会社名は変わらないが、佳郎氏が手掛けた製品と藤原氏が手掛けた製品とでは音は異なる。だが「誰もが安心して使える」「オーディオに於ける真空管の優位性を立証する」という基本的ポリシーは変わってはいない。その上で、佳郎氏が全世界から収集した真空管全盛時代に生産された膨大な数量の高品質真空管を製品に活かし、ユーザーへ還元することを新世代の上杉研究所の使命としている。
現在の上杉研究所のフィロソフィーは、以下の5つであると藤原氏は語る。
1. 音楽文化への貢献を通じ、心豊かな社会の実現に奉仕いたします。
2. ユーザーと音楽の感動を分かち合い、我々と共に音楽の世界が広がることを歓びといたします。
3. ハイエンドオーディオがもたらす音楽感動の原点を失わず、謙虚に音楽に対峙し真摯な態度で事業活動を行います。
4. ユーザーの心を満たす商品として、手段・機能を超えた価値を追求します。
5. 明確な設計思想を反映し、ユーザーの潜在意識を触発するハイエンドオーディオ商品を創ります。
商業主義に偏らず、音楽を奏でる製品を作ることを信条としているというわけだ。
そんな同社が最近、力を入れているもののひとつが、OTL(アウトプット・トランスフォーマー・レス)アンプである。一般的に真空管アンプには、アウトプット・トランスというインピーダンス変換のための変圧器を搭載する。それは真空管の出力インピーダンスが高いためだ。ちなみにトランジスターは出力インピーダンスが低いため、トランスを搭載する必要がない。
当然、出力トランスの音はアンプの特性や音質に大きく影響する。また近年はタムラ製作所のトランス生産事業の撤退のように、真空管アンプ用トランスを供給する会社が減りつつある。
そんな中、藤原氏は、技術的挑戦と市場動向、そして音質のメリットからOTLアンプに着目した。
だがOTLアンプは、使える真空管が限られるほか、安定性や発熱、大きな消費電力と技術的課題は多い。それゆえ製品化された例は少ないのが実情だ。難産の末、藤原氏は2024年に「U・Bros-333OTL」を発表。現在もバックオーダーを抱えるほどの人気を博している。
そこで得た知見を基に、藤原氏はヘッドホンアンプの設計に乗り出した。ヘッドホンなら、大出力を必要とせず、さらにヘッドホンそのもののインピーダンスが高いからだ。なにより、近年オーディオの主流がスピーカーではなくヘッドホンに移りつつあるというニーズも見逃せないという。
藤原氏はヘッドホンアンプ開発の背景について、「芸術再生の宿命である、再生クオリティの向上が音楽芸術の本質に接近する真理は、世代を超えて引き継がれています」とオーディオ再生の本質を踏まえたうえで、「ヘッドホン関連のイベントは20 - 30歳代の若いオーディオファンにより活況を呈しており、かつてのオーディオブームを彷彿とさせる賑わいです。再生クオリティにこだわる当社の存在意義を問うものとして、真空管式OTLヘッドホンアンプ TAP-101HPの製品化をおこないました」と新しい世代へのアプローチを語る。
TAP-101HPは、出力段に双3極管6DJ8/6922を2本用いた低電圧大電流動作パラレルプッシュプル構成のOTLヘッドホンアンプ。白い筐体は上杉アンプの原風景であり、藤原氏以降のマイ・ハンディクラフトではお馴染みの外装だ。
回路は初段に松下製12AX7A、シンプルなカソード結合型のドライバー兼位相反転段にシーメンス製12AU7を用いた3段増幅構成。プリント基板を多用した内部はかなりスッキリした印象を受ける。
入力はリアパネル側にアンバランス(RCA)2系統のほか、携帯端末からの入力に便利な3.5ミリステレオプラグ1系統。RCA入力は上段がLチャンネル、下段がRチャンネルとなる。
ヘッドホン出力は6.3mm出力のほか、4pin XLR×1(シングルエンド出力)の2系統。ちなみに同時接続は推奨していないので注意して頂きたい。対応するヘッドホンのインピーダンスは32Ω - 600Ωで、フロントパネルには3段階のインピーダンス切替スイッチが設けられている。
本製品は完成品(44万円)のほか、部品取り付け済み基板と全真空管が付属するキット仕様(33万円)が用意されている。半田ごてとテスターは必要なものの、セレクターや基板間、ソケットなどを取り付けるだけと簡単なので、ぜひ挑戦して頂きたい。
試聴はヘッドホンにSENNHEISER「HD 800S」とオーディオテクニカ「ATH-ADX5000」の2種類を用意。送り出し機器として、拙宅からaurenderのネットワークプレーヤー「A1000」を利用。内蔵SSDに納められた音源を中心に、試聴時はLANケーブルを抜いて行った。LANケーブルを抜いたのは、よりクリアな音楽表現になるからだ。
上杉のヘッドホンアンプの音は、ポリシーとする「ハイエンドオーディオがもたらす音楽感動の原点を失わず、謙虚に音楽に対峙し真摯な態度で事業活動を行う」というものであった。
ヘッドホンの個性を失わず、そしてヘッドホンアンプそのもので何か音を創り上げることはしない。真空管だからメローな音に仕立てるということもなければ、狭帯感であったり、ヘッドルームが低い、S/Nがトランジスター型に比べて劣るということもない。ソースに入っている音を、高品位かつ丁寧に描く、そのような印象を受けた。
ただ、ヘッドホンとの相性があるのでは、という気もした。というのもゼンハイザーの場合、両者の個性といえるカチッとした部分が相乗され、やや音楽表現が折り目正しく感じたからだ。その点、オーディオテクニカの方が良い塩梅で柔らかな質感で、どの音楽も心底楽しめた。
ステレオサウンド社がBD-ROM形式で販売するエルネスト・アンセルメ指揮コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団の「ロイヤル・バレエ・ガラ」(DSD)は、オーケストラの全景が見渡せるような広いステージ感と、個々の動きが見えるかのような精緻な描写が両立した、まさにヘッドホンでなければ楽しめない音世界。彼方から重厚に鳴る金管楽器、柔らかな質感の木管楽器の描き分けが実に見事で、その名演に思わず心が躍る。
同じくイシュトヴァン・ケルテス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ドヴォルザーク:交響曲第九番「新世界より」」(DSD)は、ケルテスの気迫が光る名演。第一楽章冒頭1分後、ティンパニから始まるダイナミックで荘厳、張り詰めたかのような空気を、余すことなく、切れ味よく耳元に伝える。それゆえ聴き手がたじろぐほど。
TMネットワークの名曲「STILL LOVE HER (失われた風景)」(PCM)を聴いた。分析的に聴けば、リードシンセから入り、木根尚登のフォーク的なギター、パーカッション、ドラム、生音のピアノなどが重なるという、小室哲哉による細かな構築がよくわかる。だがそれ以上に宇都宮隆のセンチメンタルなヴォーカルと、木根尚登の素朴なハーモニカが泣かせる。スピーカーで聴くのも良いが、ヘッドホンもイイナとシミジミ思った。
上杉佳郎氏に、この音を聴かせたかった。藤原氏の愛を届けたかった。もう誰一人、その想いを伝えることができないけれど、きっと天国の佳郎氏も優しい笑顔で微笑んでいるのでは。上杉の音を聴き、佳郎氏の写真を見ながら、そのような気持ちになった。