公開日 2025/07/28 11:13

イマーシブ録音の新たな地平を開く。“ジャポニズム”をテーマとしたピアノソロ作品『未来のノスタルジー』発表会

福井真菜さんがピアノ、入交英雄氏が録音を担当
編集部:筑井真奈
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ピアニスト・福井真菜による『未来のノスタルジー “ジャポニズム”』三部作の配信が、Apple Music、Amazon Music、Spotifyなど主要配信サービスにてスタートしている。ステレオに加えて、ドルビーアトモス音源も配信。そのイマーシブ録音を体験できる発表会が開催された。

『未来のノスタルジー “ジャポニズム”』をリリースしたピアニスト・福井真菜(左)と録音を手がけた入交英雄氏(右)

このアルバムをリリースしたRME Premium Recordingsは、スタジオやプロ向け機材として世界的にも定評あるドイツ・RMEのオーディオインターフェースを用いて、高い音質を追求した作品作りを行う音楽レーベル。今作が15作目のアルバムとなる。

『未来のノスタルジー』は、タイトルの通り「ジャポニズム」をテーマとした3枚のアルバムから構成される。1枚目では、19世紀末にパリで開催された万国博覧会を機に、フランスで盛り上がったジャポニズムの影響下で作曲を行ったラヴェルやドビュッシーの作品をフィーチャー。

3部作として構成された『未来のノスタルジー“ジャポニズム”』

2枚目の「ジャポニズムとオリエント」は、シマノフスキやスクリャービンなど当時の作曲家に加え、そういった西洋音楽の影響を受けた日本人作曲家・武満徹の作品をセレクト。3枚目「珠玉の小品」は、マイナーだがジャポニズムの文脈で重要な作曲家であるリリ・ブーランジェなどの小品を集めた作品となっている。

今作は、フランスのジャポニズムに魅せられた福井さん自身が楽曲をセレクト。福井さんによると「19世紀末のフランスにおいては、神秘思想などオリエントへの憧憬が強くあり、東洋思想の影響を受けたとみられるものが多くあります」とジャポニズム流行の背景を解説する。

今作のコンセプトを語る福井さん

録音は、過去にもRME Premium Recordingsで作品を手がけてきた入交英雄氏が担当。入交氏は『冨田勲・源氏物語幻想交響絵巻』で日本プロ録音賞を受賞するなど、そのイマーシブ録音に関する手腕の評価も高い。今回は、山梨県のやまびこホールにて、新しく考案したマイクアレイによる録音を実践した実験的なプロジェクトとなっている。

録音にはもちろん、RMEのオーディオインターフェースを多数採用。モニタースピーカーにはジェネレックの「8341A」を持ち込んでいる。一昔前ならば中継車を必要とするクラスの録音を、コンパクトに実現しているのも今作の録音のポイントだという。

今回の収録で活用されたRMEのオーディオインターフェース

入交氏は今作のイマーシブ録音について、「演奏空間をできる限り正確にキャプチャすること」と、「ブリリアントなピアノを表現する」の2点を重視して録音に挑んだと振り返る。「大抵の音楽ホールには、一番いい席で聴けるS席があるわけですが、ここにマイクを置いたからといっていい音にならない、という不思議があります」と指摘し、メインマイクとスポットマイクを組み合わせて「いい音」にしあげていく「録音のイリュージョン」を生み出すことに腐心していると説明。

ピアノの直接音を捉えるメインマイクに加えて、ホールの空間を再現するべく、アンビエンス用のマイクセッティングも新たに考案。ステレオ録音では、一般に「デッカツリー」と呼ばれるマイクセッティングが用いられることが多いが、イマーシブ録音では高さ方向も捉えるために、ウニのようにマイクが四方八方に飛び出したマイクアレイが採用されることが多い。

ピアノの直近のスポットマイク、デッカツリー方式を採用したステレオマイク、イマーシブ用に新たに考案したマイクアレイをそれぞれ最適な位置に配置している

入交氏は、イマーシブ録音において「マイクは点対称に配置するべき」と考えているという。過去の実験結果を踏まえ、それぞれのマイクの配置が「お互いに100cm離れており、隣り合う2本のマイクの角度がそれぞれ50度」がもっとも空間のキャプチャに優れていると判断、そのマイクアレイを福井さんの録音にて実践している。ちなみにステレオ用のデッカツリーも配置されているが、今回は不使用。配信のステレオ音源についても、イマーシブ音源からダウンミックスして作成しているという。

ホールの空間を捉えるために最適なマイクアレイをさまざまな実験を通して作成

さらに、音質追求のためにヴィコースティックのルームチューニングパネルをピアノの下に配置するほか、ピアノの足元にWELLFLOATの「WELLDELTA」をセット。ピアノの音を自然に拡散させること、また濁りのない音を録音するために配置されたもので、実際にホールで聴いて効果を感じたものを採用したそうだ。

ルームチューニングパネルやインシュレーターも最大限活用

シンタックスジャパンの試聴室にて、今作から4曲を実際に体験した。スピーカーは、モニターに使われたのと同じジェネレックの「8341A」を活用した7.1.4chシステムを構成。PCからRMEの機材に送り出して再生している。

モニターとしても活用されたジェネレックの「8041A」を7.1.4chにて構成

最初に聴いたラヴェルの「マ・メール・ロワ」からそのイマジネーション豊かな音世界に圧倒される。福井さんによると、「マ・メール・ロワ」とは「マザーグース」という意味で、いわゆる子供向けの童話をベースに音楽が作られているもの。前後左右360度方向から聴こえるピアノの音に囲まれると、福井さんのピアノの一音一音から物語が紡ぎ出され、その世界にまるごと取り込まれてしまったかのよう。

これまで多くのイマーシブ録音を試聴してきたが、今までとはまたひとつレベルの違う音体験と感じた。どちらかといえば「圧倒的な情報量で、楽器の位置関係も音色感もつまびらかに露わにする」作品の多いイマーシブ録音だが、今作はステレオ再生とはまた違った、別種のイマジネーションの世界に導かれる。すべての音のディテールに耳を奪われ、感性が研ぎ澄まされていくのを感じる。福井さんの指の動きひとつひとつ、細やかなペダルワークに込められた意味を解きほぐしたくなる。

特に面白かったのは武満徹の「雨の樹 素描」。福井さんはジャポニズムがフランスの作曲家に与えた影響として、「不完全なものへの美」という気づきがあるのではないか、と指摘する。ありのままの自然と対比し、人間の手による完全性や絶対性を芸術(アート)として育んできたヨーロッパ文化の中に加えられたひとつぶのシミ。

武満徹の音楽は不協和音に満ちているが、福井さんのピアノで聴くと、その不協和音の中にも心地よいきらめきを感じる。ひとつの音が弾かれ、余韻とともに消えゆくその只中に、次の音が放たれる。その残り香をいかにコントロールし次の音とともに響かせるか、彼女のピアノにはその響きの重なり合いへの精緻な視線を感じた。

そしてそれを、いかに「正確にキャプチャするか」という点に入交さんの尽力がある。ホールのアコースティックな響きも含めたこの音楽は、確かにイマーシブ録音でなければ味わい尽くせない世界かもしれない。

『未来のノスタルジー “ジャポニズム”』は、日本のイマーシブ録音の新たな地平を開く作品であると感じた。「良い音」という言葉は様々な意味で用いられているが、「豊かなイマジネーションを開く音」というのもまた、ひとつの大切な要素であろう。録音芸術の可能性をまたひとつ見た思いであった。

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