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90周年第二弾となる一体型のトップエンド

ラックスマンの純A級プリメイン「L-590AXII」レビュー。生音本来の立ち上がりを再現

公開日 2015/12/15 13:05 井上千岳
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何の抵抗もないかのように音が立ち上がり“音楽が本来備える軽さ”を表現

全く何でもないようにするりと出てくる印象だが、もうひとつこれまでと違うところがある。何だろうとしばらく考えて思い当たった。軽いのである。ふわっと来る。もちろん楽器の質感は密度が高くきめ細かくはあるのだが、それがぎゅっと詰まっていないで、何の抵抗もないようにすっと出てくる。それがふわっとした感覚の正体なのである。

本来、音楽の音は軽いものだ。重低音とよく言うが、あれは映画の効果音であって作り物である。楽器の音はどんなに低い音でも、例えばコントラバスやティンパニーやキックドラムなどにしても、ズドンとかドシンといった音はしない。十分に低く腹に応えるようなドスッとした低音であっても、出方はあくまでふわりとしているものだ。重低音などという言葉に惑わされてはいけない。


解像度が高いのも、その再現性向上に大きく貢献している。ことに低域の分解能はちょっとないもので、ジャズのウッドベースやオーケストラのティンパニーなど音程と音色がどんな状況でもはっきり描き分けられている。驚くほど下の方まで伸びているため、少しも混濁することがないのだ。そもそも低音というのは伸びれば伸びるほど出方は軽く、無理がなくなってゆくものである。

ウェールズ弦楽四重奏団の『モーツァルト:不協和音』(フォンテック)は、弦楽器の音がちょうど目の前で演奏されているような艶と軽快な響きに富んでいる。弱音のごく微細な弦の感触、チェロの存在感、アンサンブルの新鮮さなど、汚れのまるでない澄み切った鳴り方が快い。素のまま、ステージそのままという録音が、そっくり生かされている。

外山啓介『ショパン:バラード全集』(エイベックス)のピアノも一聴するとなんでもない出方だが、ステージまでの距離感や楽器自体の実体感など、空間のでき方がいかにも自然だ。低音部の深さが利いている。繊細な弱音のニュアンスも鮮やかで、ダイナミズムの広さも満喫できる。

“現在最も生に近い出方をするアンプ”と言っても過言でない

生々しさという点では、バロックがいい例だ。エンリコ・オノフリとイマジナリウム・アンサンブルによる『コレッリ:フォリア』(アンカー・レコード)では、バロック・ヴァイオリンのやや粘りをおびた艶やかな音色がまさしくそのまま聴こえる。弓遣いの微妙なニュアンスが鮮明に捉えられ、バロック・チェロやリュートといったアンサンブルの各楽器も繊細な質感を備えながら存在感が明瞭だ。数人のアンサンブルが、少し離れた位置に点在している様子がありありと浮かぶ。条件は違うが彼らが来日したときのコンサートに、非常によく似た鳴り方である。

先にも少し触れたが、オーケストラは言うまでもない。尾高/札響による『ブルックナー:交響曲第7番』(フォンテック)は、どこまで伸びているのかわからないような低音のスピードに支えられて、オーケストラ全体が揺れ動くような躍動を見せる。金管やティンパニーが鋭く、弦楽器は瑞々しく鮮烈だ。そしてトゥッティの大音量になったときのエネルギーは、邪魔者が何もないような容赦のない峻烈さで描き出される。引っかかりがないというべきか、強靭な力感がそれこそふわりと飛んでくるのである。

聴いてみて少し考えてしまったのは、セパレートのハイエンド機も含めてこういう出方のアンプはあっただろうかということだ。記憶にあるかぎり似た音は幾つか知っているが、ここまで軽い音は聴いていない。その意味で現在最も生に近い出方をするアンプ。そう言って差し支えないように思う。

(井上千岳)

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