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<連続レポート>3名のオーディオ評論家がDCD-SX1のサウンドに迫る

デノン「DCD-SX1」に貝山知弘が感じた“由緒正しき血統” とは?

公開日 2014/02/10 10:30 貝山知弘
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■紛れもなく練り上げを重ねた、DSD-SX1のサウンド

ソプラノ歌手の女王、アンナ・ネトレプコのCD『ヒロイン/ヴェルディ・アリア集』(ユニバーサルUCCG-1635)からは冒頭の一曲、歌劇『マクベス』でマクベス夫人が登場する時のアリア「勝利の日その女どもに出会った」を聴いた。

アンナ・ネトレプコ『ヒロイン/ヴェルディ・アリア集』(ユニバーサルUCCG-1635)

これはネトレプコの強い歌唱がどこまで歪まずに聴けるかがホイント。やわなプレーヤーではフォルテッシモで歌い上げた時に音がサチッてしまうことさえある。DCD-SX1は強さの表現に長けたフレーヤーだ。聴いてみると難なくこなしているように思えるが、格下のプレーヤーで聴くとたちまち歪みが気になってくる。

貝山氏の自宅試聴室「ボワ・ノワール」に設置されたDCD-SX1

お気に入りのディスクの「美」をDCD-SX1がどこまで引き出せているのか、貝山氏はとことん耳を傾けていた

チヨン・ミョンフン指揮ソウル・フィルハーモニー管弦楽団が演奏した『チャイコフスキー/交響曲第6番《悲愴》』(ユニバーサルUCCG-1619)で聴いたのは、ショスタコーヴィチのシンフォニーと同じポイント。だが、低域では力感よりも量感が優先しがちで、ブーミーになりやすいソースだ。

チヨン・ミョンフン指揮ソウル・フィルハーモニー管弦楽団『チャイコフスキー/交響曲第6番《悲愴》』(ユニバーサルUCCG-1619)

しかし、DCD-SX1はみごとにその難関を突破した。量感が優先されるのは否めないが、それを支えるだけの音の芯の強さが好ましいニュアンスで効いているのだ。この曲のコントラバスの響は死の影の表現でもある。最終楽章の最後では、この楽器が他の弦楽器とは異なるパッセージを演奏しているが、その暗く重い響きは聴くものの胃に負荷を与えてくるのだ。

これを聴き取った時、わたしが思い出したのは、プルーストの小説『失われた時を求めて』で登場する作家の表現だ。彼はフェルメールの絵を見に出掛けるのだが、朝食べたものの消化が悪かったせいか、重い胃を我慢しつつ美術館にたどり着きフェルメールの「デルフト風景」を観、画の中に今まで自分が知らなかった黄色い壁があることを観、この画家がこの小さな描写のために絵の具を重ねていった経緯を考え、作家としての自分の仕事もそうでなければならぬと反省しつつ倒れ、その場で死んでしまう。

私はふと考えた。DCD-SX1のサウンドは、紛れもなく練り上げを重ねた音だ。製品がこの次元に至るまてでの経緯を考えると、これまでの労苦が目に見えてくる。わたしが書く評価も、それに見合う推敲を経ているだうかと自らの仕事を考えていた。

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