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<山本敦のAV進化論 第203回>

ソニーが時空を越えたアーティストのコラボを実現、「AI音源分離」技術とは何か

2021/06/23 山本 敦
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完全に生まれ変わった日本語版「イノック・アーデン」

光藤氏は本作の音源分離を実現する際、技術的に苦労したポイントについて次のように語っている。

「元の録音はピアノと朗読が同じ音量で完全に混ざっていました。両者の音をただ分離するだけでなく、音楽作品として考えた場合にはグールドのピアノ演奏を高品位に分離する必要がありました」

高品位な音源分離を実現する際に、1961年に元の録音が行われた米ニューヨークのコロンビアスタジオで撮影された1枚のモノクロ写真が多くのヒントを与えてくれたという。「ピアノに2基、朗読に1基のマイクを配置した録音環境の写真から、マイクどうしの相対的な空間情報が把握できました。加えて音楽信号そのものにも収録されている音源どうしの位置情報をベースに、AIによる音源分離のチューニングを練り上げています」と光藤氏。

1961年10月2日〜4日 コロンビア30丁目スタジオ(ニューヨーク)での収録の様子 Photo: Don Hunstein/Sony Music Entertainment

分離されたグールドのピアノに、東京・乃木坂のソニー・ミュージックスタジオで収録した石丸幹二による朗読を加えた全4チャンネルのマスター音源をつくり、ステレオ音源にミックスダウン。マスタリングの工程で清音処理をていねいに行った。

筆者も自宅で「イノック・アーデン」を再生してみた。元は英語の朗読があったことが全くと言っていいほどにわからない。ピアノの演奏も非常にクリアで表情が豊かだ。1961年の録音であることを感じさせないほどに生々しい空気感が伝わってくる。グールドのクールで繊細なピアノの演奏に、石丸幹二の温かくふくよかな声が重なるコントラスト感がとても印象深い作品に仕上がっていると感じた。

元の作品は英語による朗読を一部台本の都合によりカットしている。「日本語版はカットなしの2枚組・完全版。オリジナルの『イーノック・アーデン』をぜひ最新鋭の音源分離技術により実現した高音質な録音で楽しんでほしい」と小山氏が呼びかける。

2020年10月15日 ソニー・ミュージック乃木坂スタジオ(東京)での収録の様子 写真提供:ザ・ライブラリー

名画の音声を忠実に再現、迫力のサラウンド・サウンドに作り替える

ソニー独自のAI Sound Separation技術は、ほかにも様々な分野のエンターテインメント作品、コミュニケーションデバイスの音声機能に応用が広がりつつある。

例えば過去に、同じ音源分離のAIに映画用として使えるようにチューニングを加えたアルゴリズムを用意して、古い映画のマスターテープから音源を抽出し、音声のリマスタリングや、最新サラウンド音声フォーマットにアップミックスしたパッケージ作品として制作・販売された。その一例がアメリカで発売された「Columbia Classics 4K Ultra HD Collection Volume 1」のBOX作品に含まれる『アラビアのロレンス』だ。ソニーでは本作で活用した音源分離技術のデモンストレーション動画をYouTubeに公開している。

ほかにもスマートフォンのXperia 1 IIが、内蔵カメラによるビデオ録画の際に効果を発揮する風切り音防止機能「インテリジェントウインドフィルター」を搭載する。ソニービジネスソリューションが商品化するスマホ対応のインカムアプリ「Callsign(コールサイン)」と専用ヘッドセットの組み合わせにより実現する騒音低減技術「インテリジェントノイズフィルター」にもやはり、ソニー独自のAI Sound Separation技術が活きている。

北米で発売された「Columbia Classics 4K Ultra HD Collection Volume 1」のBOX作品に含まれる『アラビアのロレンス』の制作にも音源分離技術が使われている

「音源分離機能」としてオーディオに組み込まれる可能性もある

音源分離技術は今後どのような形で普及する可能性を秘めているのだろうか。

ソニーのAI Sound SeparationはLINE MUSICのように、様々なスマホで楽しめる汎用性の高いアプリケーションに組み込まれた。今後は「クオリティ」の視点からも用途をさらに研ぎ澄ますことを考えた場合、例えば専用設計のハードウェアに組み込んで、これを例えば、高音質な音源分離機能を搭載するウォークマンのようなソニーのポータブルオーディオ機器、楽器練習用のデバイス等に展開する可能性がありそうだ。

音源分離技術から派生した「インテリジェントウインドフィルター」を搭載するXperia 1 II

光藤氏はソニーの外から、音源分離技術のライセンス提供に関する問い合わせも多く受けているという。LINE MUSICに対してこれを実現できたように、今後もサービスとハードウェア、双方のパートナーが音源分離技術を活用するための環境をソニーは整えていくようだ。

ソニーには、今後も音源分離技術の発展に貢献、リードしていきたいという強い思いがあると光藤氏は語っている。ソニーでは現在、フランスの国立機関とともに音源分離の技術に携わるエキスパートたちをクラウドのプラットフォームに集めて、自由闊達に研究のための意見交換ができる場を「Music Demixing Challenge」と名付けて用意した。今後技術の発展を促すためにアワードの仕組みも設けている。「理論に止まらず、実践で使える音源分離の品質を高めるため、ソニーがいまできることから貢献したい」と光藤氏は意気込む。

ソニー・ミュージックレーベルズの音源分離技術を活用した次回作

ソニー・ミュージックレーベルズの小山氏は、今後に向けて音源分離技術を使った作品の構想をいくつか温めているようだ。

「イノック・アーデン」については、諦めかけていた企画が高品位な作品として蘇ったことにとても満足し、大きな手応えを小山氏も得ている様子だ。古く録音状態の悪いレコーディングから、音源分離技術を活かしながら高音質版デジタルリマスター作品をつくる可能性が見えてきた。小山氏によると、イギリスの世界的に有名なバンドの古い来日公演を、再び音源分離の技術を使って先日商品化したようだ。CDと映像を組み合わせた豪華パッケージの本作も実に楽しみだ。

あるいは360 Reality Audioのような立体音源を、過去の音源から再構成してリッチなアーカイブを充実させることも可能だろう。過去の名演奏がリアルに蘇るようなコンテンツが今後も最先端の技術により次々と誕生することを筆者も大いに期待しようと思う。

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