HOME > インタビュー > 記事

インタビュー

音楽に新しい楽しみ方のカタチ

奥田民生さんのライブで大反響 − 『お持ち帰りCD』の魅力とは?

ファイル・ウェブ編集部

前のページ 1 2 3 次のページ

2012年04月19日

「お持ち帰りCD」を起点に拡がるビジネス


ーー 例えば、色々なところで一斉に「お持ち帰りCD」をやりたいと言い出したときに、御社では対応できるものなのですか。

白川 ある程度はできると思いますし、反対に、うちでは手に負えないくらい増えてくれば、ひとつの文化としてもっと面白くなると思います。

今回は何れも東京の会場となったが、ディーアンドエーミュージック・小川高明氏は「電源等が問題となる海外の場合はともかく、国内であれば地方であっても対応はもちろん可能です」と説明する

今回、東京の会場に行かれなかった地方の人からは「俺のところでも是非やって欲しい」といった声もあがってきています。少し多めに作って後で売るのもひとつの方法。一方で、やはり、ライブ会場でしか手に入らない希少性も大事なこと。会場に来た多くの方に感動を持ち帰っていただくためには、数曲を抜粋したカタチで買いやすくするのもまた、ひとつの方法です。

いろいろなアイデアがあると思いますから、メーカーやアーティストの方が、「お持ち帰りCD」を通して存分に遊んでいただけばいいのではないでしょうか。心配なのは、これから真似されるところが出てきたときに、品質の悪いデュプリケーターや安価なメディアを使って、音質や互換性の低いものを安易につくられてしまうことですね。

 新しい文化の創造だからこそ、痛みも伴うものだと思いますし、そうしたハードルを乗り越えていくことも必要ですね。

白川 だからこそ、「お持ち帰りCD」は単なる“グッズ”ではなく、“音楽”をメインにしていくことが大切だと考えています。それが結果として、「お持ち帰りCD」そのものの価値を上げていくことにつながる。ビジネスにしてもさらに裾野を拡げていくことができます。

ーー まだ緒に就いたばかり。いろいろなところへ関心の目が拡がっていきそうですね。

白川 すでに、ライブ会場に出店するCDショップなどからは、「是非やってみたい」といった問い合わせをいただいています。各レーベルでもごく普通にやれるようになってくるといいですね。「お持ち帰りDVD」もやってみたいですね。オーサリング時のスピードなど課題はありますが、コピーに関してはすでに実現できる状態にあります。

完成した「お持ち帰りCD」が次々と用意されていく

 厳しい市場環境にあることは否定できませんが、今回の「お持ち帰りCD」の大きな反響に、改めて、原点を見つめ直すことで、まだまだ万策尽きたわけではないことを強く感じることができました。

「お持ち帰りCD」も数を重ねていくことで、もっと学ぶこともあるでしょうし、さらにいろいろな発想が出てくると思います。ワクワクさせる“遊び心”を忘れずに、今後も、力をあわせて取り組んでいきたいですね。

ーー 「お持ち帰りCD」という愛称が、もっと身近なもの、誰もがわかるものになるように拡げていきたいですね。

CDの生みの親 中島平太郎氏が絶賛
「これこそ私がCDでやりたかったこと!」

「CDを1枚からつくります」をキャッチフレーズに1989年に設立されたスタート・ラボ。しかし、設立1ヵ月目のCD-Rの売上げは僅かに27枚、売上金額は8万円という厳しい船出となった。

初代社長として就任された中島平太郎氏は「コンビニエンスストアで買い物をしている間に自分好みのCDをつくりたい。これがCDDA(コンパクトディスクデジタルオーディオ)を商品化した時からの願望でした」と語る。自分だけのCDをつくることができたらという“夢”がそこにはあり、その実現には、CDコンパチブルの記録メディアの開発が必要であった。

ライブ音源をその日のうちに持ち帰ることができる「お持ち帰りCD」は、まさにその夢を現実にしたもの。「まさにこれが、設立当初にやりたかったができなかったことです。今ではこういうことができるようになったんですね」と興奮気味に語る中島平太郎氏。「市販されているものより、明らかに、『お持ち帰りCD』の方が価値があります」とその限りない可能性に注目された。

<プロフィール>
1921年生まれ。福岡県出身。1971年ソニー(株)入社。(株)アイワ社長を経て、1989年に設立された(株)スタート・ラボの初代社長に就任。2006年にビフレステック(株)を設立して会長に就任、現在に至る。1993年には、CDを開発した功績により紫綬褒章を受章する。


【START Lab(Sony Taiyo Yuden Advanced Recording Technology Laboratory)】

CD-Rの開発を受けて、1989年6月14日、太陽誘電(株)とソニー(株)の折半出資で設立された。CD-Rは1995年、コンピューターの標準的な周辺機器として急成長。2003年には生産枚数が100億枚を突破した。



奥田 民生さんプロフィール

1965年5月12日 広島生まれ。1994年にシングル『愛のために』でソロ活動を本格的にスタート。ファーストソロアルバム『29』と共にミリオンヒットとなる。以後、井上陽水とのコラボレーションや、プロデューサーとしてPUFFY、木村カエラを手掛けるなど、その才能をいかんなく発揮。2009年にロックバンド「ユニコーン」が突如、再結成。アルバムリリースや全国ツアーなど、以前を上回る規模で活動中。また弾き語りで故郷の広島市民球場や宮島・厳島神社でのライブを行ったり、世界的なミュージシャンであるスティーヴ・ジョーダン、ピノ・パラディーノらとThe Verbsの正式メンバーとしてレコーディングやツアーを行うなど、活動形態は様々。2010年3月には「奥田民生ひとりカンタビレ」と題し、前代未聞の一人レコーディングライヴツアーを行うなど、その独自の活動でリスナーのみならずミュージシャンからも愛されているアーティストである。

前のページ 1 2 3 次のページ

関連リンク