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巻頭言

1972年の輝き

和田光征
WADA KOHSEI

1972年の5月、小社の創業24周年記念に「オーディオ専科」が創刊され、業界から最大級の賛辞と支援を頂いた。それは業界発展のリードオフマンとしてのご期待と大きな使命を頂いたのだと私は認識した。

その年の5月13日に28歳になっていた私はこうした責務を果たすべく、岩間社長と共に輝かしい未来へ向けて踏み出した。「建設的な業界の発展に寄与する」を理念とし、「生まれる価値のあるものは育てよう」の考えをベースとして動き出した訳である。

私は私なりに種々学んできたが、23歳頃から愛読していた松下幸之助翁の著書「商売心得帳」の一節にある「異業種から羨ましがられる業界でなければならない」の言葉が、私を捉えて離さなかった。そもそも業界とは何なのか、私は自問を重ねた。そして導き出した信念が、メーカー、販売店、ユーザーの「三位一体論」である。

一般的に業界を構成するものとして表現されていたのはメーカーと流通であった。しかし私は編集者として、ユーザーこそが業界のベースであると認識し、その認識を有機的に拡充することによって、独自の「業界論」と「認識論」に辿りついた訳である。何よりもユーザーこそがもっとも大切な存在であり、業界のベースであり、ユーザーの動静が商いを決定して行くと確信した。さらにユーザー行動が生き生きと連鎖することが、業界の存続を左右するのだと結論づけた。

そしてそれは、需要創造の普遍性につながる。徹底したユーザー志向をもってマーケティングの重要性を認識、これを実践することこそ、業界の「本質」であると、結論づけたのだった。これこそまさにユーザー本質論であり、そこから販売店、メーカーのあるべき姿が具現化するわけである。この本質論は現在を超え、ずっと先の未来にまで生きるものでなくてはならない。

このように本質を認識しなければ私は動かないし、また動き始めたらぶれることなく思想を実践し、確立していく。このことは今日において証明されているはずである。業界の期待にお応えし、実務を遂行するために以上のような思索をめぐらせ、行くべき方向を導き出して行動を起こしたのだった。この私論が音元出版の将来をも決定づけたと言っても過言ではない。

とりわけ私が28歳になった1972年5月は、かつてない思いと行動を起こした時だった。今までの世界から全く新しい別の世界へとまさに飛翔した時だったのである。「オーディオ専科」創刊号を編集実務から任されていた私は、このような思索の原石を散りばめ新たな個人としての行動を始め、圧倒的な賛同者を得てさらに前へ前へと進んだのであった。

「オーディオ専科」創刊号は、購読者増と広告出稿の増を果たし、おそらく業界専門誌の常識を打ち破ったのではないだろうか。そして1974年の新年号は376ページを有する雑誌へと拡大成長し、その勢いは充分に業界の附託に応え、未来へ向けた領域にまで到達していたといえよう。

5月に雑誌「オーディオ専科」を創刊し、9月に小社は社名を株式会社音元出版に変更し出版社として歩み始めた。その1972年は、今思っても輝かしい年だったと感慨深い。そして今、「業界の建設的な発展に寄与する」の理念のもと、小社の歩みはさらに深くさらに拡がり、2019年5月の創業70周年へと力強く向かっているところである。

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