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【連載】PIT INNその歴史とミュージシャンたち

第18回:山下洋輔さんが語る「ピットイン」の伝説と出会い<前編>

公開日 2012/12/11 11:41 インタビューと文・田中伊佐資
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貞夫バンドを辞め自分のバンドを
それ以来このスタイルを貫いている


佐藤: エルヴィンが本気になった。来日するたびに山下さんとエルヴィンは親交を深めていましたが、なにか共通するスピリットがありますね。さて、話を60年代後半に戻しますが、山下さんは貞夫さんのバンドを辞めて独立し「ピットイン」に自分のグループで出演するようになりました。

山下: それ以降ずっと演奏は自分のバンドでやるというスタイルを貫いています。もちろんセッションやゲスト参加はありますけど、誰かのグループに入ったことはないですね。

佐藤: 当時の山下さんはとても物静かな人という印象でした。いまもそうですが、ピアノの音が温かくてね。3年後の「肘打ち奏法」のイメージはまったくなかったですね。その時代にフリーっぽい匂いはあったんですか。

山下: ありました。コルトレーンの影響もあって演奏が長時間になっていました。勝手になにをやっても許されるムードはありましたね。

佐藤: ミュージシャンたちは、自分のオリジナリティを出したいと模索していた時代でもあり、混沌としたおもしろい時代でもありました。

山下: その通りですね。唐十郎さんが新宿・花園神社境内に紅テントを建てる前に「ピットイン」で共演したこともあった。

佐藤: 当時「シアター・ピットイン」と銘打ってました。

山下:  ぼくらの演奏が終わってから、唐さんが深夜に芝居をするんだけど、そのまま居残って即興でピアノを弾いていた。李麗仙が歌いだすと伴奏したりね。すごい時代だった。それからすぐにぼくは肺を患うんですけどね。

佐藤: 原因はなんだったんですかね。

山下: 過労ですね。結婚してがんばろうと思って昼、夜、夜中と演奏していましたから。渋谷の「オスカー」で演奏していたら倒れちゃった。血を吐いて鍵盤を真っ赤にしたという伝説があるけど、ただ鼻血が出ただけ(笑)。

山下洋輔さんのアルバム 「ディライトフル・コントラスト/山下洋輔ニューヨーク・トリオ with 飛鳥ストリングス」 ストリング・クァルテットとの出会いが産み出す、緊張感とリラクゼーションの絶妙の対比!/山下洋輔(p)、セシル・マクビー(b)、フェローン・アクラフ(ds)ユニバーサル ミュージック UCCJ-2085 ¥3,000

病気で休んでいる間にも論文を
69年に山下洋輔トリオを結成へ


佐藤: 休んでいる間に何を考えていたのか知りたいですね。

山下: 囲碁をやろうかパチンコをやろうかと考えたけど、結局勉強しちゃいました。「ブルーノート研究」という論文を書きました。

佐藤: それで69年の春に復帰、3月に「ピットイン」でリハーサルをやっていると、いきなり始まったわけですね。山下洋輔スタイルの音楽が。

山下: バンドのベーシストが就職してミュージシャンを辞めてしまったので、森山とサックスの中村誠一と3人になったんですね。そのままトリオでやってみたら、全員がのびのびガンガンできるわけですよ。バンドとして初めてうまくいった気がしました。そこからですね、森山のドラムに負けちゃいかんというので、思わず拳や肘が出た。

佐藤: この続きは次号、「山下洋輔トリオ誕生」から始めることにしましょう。


写真 君嶋寛慶

(後半に続く)

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山下洋輔さん Yosuke Yamashita(ピアニスト)


1942年東京生まれ。1969年、山下洋輔トリオを結成し、フリー・フォームのエネルギッシュな演奏でジャズ界に大きな衝撃を与える。国内外の一流ジャズ・アーティストとはもとより、和太鼓やオーケストラなど異ジャンルとも意欲的に共演する。88年山下洋輔ニューヨーク・トリオを結成。国内のみならず世界各国で演奏活動を展開する。2000年に発表した自作協奏曲を、佐渡裕の指揮により04年にイタリア・トリノで再演。07年、セシル・テイラーとデュオ・コンサート開催。08年、「ピアノ協奏曲第3番<エクスプローラー>」を発表、CD化。アルバム『トリプル・キャッツ』リリース。09年5月、一柳慧作曲「ピアノ協奏曲第4番"JAZZ"」を世界初演。7月には、歴代メンバー総出演の「山下洋輔トリオ結成40周年記念コンサート」を開く。10年1月、恒例の東京オペラシティ・ニューイヤーでは、スタニスラフ・ブーニンを招き大きな話題を呼ぶ。99年芸術選奨文部大臣賞、03年紫綬褒章受章。国立音楽大学招聘教授。多数の著書を持つエッセイストとしても知られる。


ホームページアドレス http://www.jamrice.co.jp/yosuke/index.html


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