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【連載】PIT INNその歴史とミュージシャンたち

第16回:渡辺貞夫さんが語る「ピットイン」とジャズに生きた日々<前編>

公開日 2011/07/25 18:10 インタビューと文・田中伊佐資
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バークリーに留学することが決まって
歓送コンサートが行われたものの…


佐藤:それは貞夫さんの一大転機ですよね。その後56年に秋吉さんがバークリーに留学する。

渡辺:私達が銀座のキャバレーで演奏していたら、来日していたJATPのオスカー・ピーターソンが遊びにやって来ましてね。そこで認められて渡米しました。それからは、私が後を継いでバンド・リーダーになったんです。ところが米軍が撤収したでしょ。一気に仕事がなくなりました。秋吉さんが渡米する寸前はひどかった。ギャラはお客さんに対する歩合なので、5、6人ぐらいだと一晩100円とか300円とかでね。

佐藤:ヘタすると高校時代のほうが稼いでいた(笑)。

渡辺:ビッグ4のジョージ川口さんが声をかけてくれて、ビッグ4+1というかたちで演奏したこともあるんです。月給は10万円でした。その時代に八木正生さんをはじめいろいろなミュージシャンと交流ができましたね。

佐藤:秋吉さんはやがてチャーリー・マリアーノと一緒に帰ってくる。そして次に貞夫さんが渡米するわけですね。期間は62年から約4年間弱です。

渡辺:秋吉さんから「ひとりだけバークリーの奨学金をもらえる枠があるからどうですか」と声をかけられて、それはぜひ、ということでね。忘れもしないのが、出発前に草月会館で仲間がやってくれた歓送コンサート。20万円もの餞別をもらったんです。

佐藤:一財産ですね。

渡辺:ところが2月出発のはずが手違いで、8月に延期になっちゃった。お金をもらったのに日本にいるのはバツが悪いし(笑)、仕事はまったく入れていないから何もすることがない。そこでワイフの兄貴に誘われてゴルフを始めて、のめり込むことになった。


1982年のクリスマスに行われた渡辺貞夫さんの白熱のステージの様子(左・右・下)



気っ風のいい女性と出会い24歳で結婚
家族の支えがあってこそ今の自分がある


佐藤:貞夫さんと私はゴルフ仲間でもあるし、そちらの話は止まらなくなるのでよそに置いておくとして、それよりも貞夫さん、結婚はすでにしていたんですね。

渡辺:24歳のときにね。バークリーは29歳だったから。

佐藤:奥様の貢子さんとの出会いについてぜひ聞きたいですね。人間渡辺貞夫を語るうえでこれは外せません。


渡辺:有楽町の駅前に「コーヒーコンボ」というジャズ喫茶があってね。この店はなぜか日本のジャズ喫茶を語るときに出てこないんだけど、パーカーやマイルスやロリンズの新譜が聴けた唯一の店だった。仕事の前や後によく聴きに行っていたんだけど、ある日かわいい娘が店のお手伝いに来ていた。通っているうちに親しくなって、後に私のワイフになるということなんだけどね。

彼女の話によると、高校生のとき偶然店の前で転んで、おかみさんが手当をしてくれた。それがきっかけで手伝うようになったらしい。つまり高校生だった。こっちはそうとは思わなかったけどね。

佐藤:ミュージシャン渡辺貞夫がビッグネームになったポイントはどこかと訊かれたら、そこかもしれない。貢子さんの内助の功は素晴らしいですからね。貞夫さんが芸術祭大賞や紫綬褒章を授与されたときに必ず出てくる言葉が「家族」。家族の支えということですよね。家族があるから自分があるという感謝の気持ち。

渡辺:彼女は人形町の生まれで、生粋の江戸っ子。気っ風がいいというかね。男気があるというか。私が持っていないところを全部持っている。そこに惹かれましたね。ただ向こうは向こうで、私にまいっていると思うけど(笑)。

佐藤:まいったな。ごちそうさまです。話が終わっちゃったじゃないですか(笑)。ちょうど区切りもよさそうです。次回は、アメリカから帰国した貞夫さんとオープンした「ピットイン」のかかわりから始めましょう。


写真 山本博道

(後半に続く)

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渡辺貞夫さん Sadao Watanabe(サックスプレーヤー)


1933年宇都宮市生まれ。18歳で上京後、秋吉敏子のコージー・カルテットをはじめ数々のバンドへの参加、バークリー音楽大学への留学等を経て、日本を代表するトップミュージシャンとして、ジャズの枠に留まらない独自のスタイルで世界を舞台に活躍。2005年“愛知万博”では、世界中から集まった子供達との、国境や文化を越えた歌とリズムの共演という長年の夢を実現させ、本活動は更に海外へと広がる。こうした長年の音楽を通しての様々な活動に対し、2009年1月「第50回毎日芸術賞」音楽部門特別賞を受賞。今年6月、NYのセントラルパークで開催された「Japan Day @ Central Park 2010 〜Share the World〜」では米国在住の子供達70名と共演。演奏はもちろんのこと、日米友好の架け橋となるステージは大きな話題を呼んだ。


ホームページアドレス http://www.sadao.com/


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