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【連載】PIT INNその歴史とミュージシャンたち

第10回:坂田 明さんが語る「ピットイン」のステージの快感<前編>

2010/08/12 田中伊佐資
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うまい人と同じことをやっていては無理だとフリージャズへ
山下洋輔トリオとピットインにより自分の道が完璧に開けた


東京にはうまい人がたくさんいたので必然的にフリージャズをやろうと決断

佐藤:でもどうしてフリージャズだったんですか。

坂田:東京に出てきて、僕より数万倍うまいミュージシャンがたくさんいる。これは同じことをやっているんじゃダメだ。20年経っても追いつかない。ビ・バップはあきらめよう。ただ自分なりに力一杯吹こうと思った。その先にフリージャズがあった。でもなかなかミュージシャンとしてはたいへんだったね。客がたったのひとりとか。その人が入場料300円を払う。それを店とバンドと折半なんてことがあった。バンドは150円を3人で分けるんですよ。ひどい時はゼロというときもあった。でも照明が当たれば、客がいようといまいと関係ない。従業員に向かって思いっきり吹いたりもした(笑)。ところが、「ピットイン」はギャラが700円。これは画期的だった。演奏が良かったりするとマネージャーが自分の裁量で1000円にアップしてくれた。


ピットインのステージに立つ坂田 明さん
佐藤:坂田さんはフリージャズだから、演奏の場所が限られていました。「ピットイン」はフリー専門の「ニュー・ジャズ・ホール」という姉妹店を作って、東京でフリーをやる人はそこに100パーセント集まってきましたね。まさにフリーのミュージシャンが共演したり、情報交換したりする場所だった。実は私が坂田さんを初めて、意識したのは、やっぱり山下洋輔トリオに入ってからでしたね。

坂田:その前の話をすると、僕が出始めたときは「ニュー・ジャズ・ホール」がもう無くなる頃で、フリーの連中は「サムライ」というティールームに移ってもっぱら演奏していた。そうしたらある日、森山威男(ドラム)さんが、俺にも叩かせろって感じで飛び入りしてきた。そこに土岐英史(サックス)が来るわ、渡辺香津美(ギター)が来るわで、みんなでぐちゃぐちゃやってた。

佐藤:すごいメンバーですね。

坂田:次、何やるか「イパネマの娘」だ、とか言っても全部フリーなんだよね。

佐藤:気分だけイパネマ(笑)。

坂田:そんなことをやっていたら、72年、ひょっこり私と森山さんにフジテレビから仕事が入ってきた。これが藤純子引退記念番組。30分間、グワーとデュオでフリーを演奏しっぱなし。セットの向こうでは菅原文太がインタビューを受けていて、こちらではセーラー服の女子高生が傘をもってぐるぐる回るという、とてもシュールな番組だった。

佐藤:アバンギャルドな世界だね。

坂田:そういう時代だったんだね。山下さんがそれをテレビで観ていて、なんだあのサックスは、っていうことになったのか、一度セッションに遊びにおいで、と声をかけてくれた。毎週月曜の「ピットイン」は山下洋輔トリオで、これがいつも満員でね。サックスは中村誠一ね。

佐藤:そう。69年から72年は誠一さんだった。

坂田:で、トリオにまぜてもらって吹かしてもらったことがたびたびあった。

佐藤:えっ、そうなの。サックス二人がフロントだった時もあったんだ。

坂田:そう。ティールームが終わってから、僕は山下トリオのセカンドセットにときどき合流していた。それで誠一が辞めるというので、交代したわけです。山下さんもいろいろ後任候補を考えたんだろうけど、うまくいっちゃったんだよね。山下さんに「曲のテーマはなにも吹けないですけど、いいですか」って言ったら、いいよってことで。誠一は物凄くいい演奏していたけど、彼の基本はオーソドックスなスタイル。無茶苦茶やるんなら、こいつに任せておいたほうがいいやと思ったのかもしれない(笑)。

佐藤:その前に山下トリオは、客として観たことはあった?

坂田:もちろん。東京に出てきて、フリージャズをやるなら、このバンドを通過しないとダメだと思ったね。ここがストライクだ、という気持ちはあった。


72年に山下洋輔トリオのメンバーに。一流バンドの凄さを思い知らされた


最近のライブでの坂田明さん。いつも熱い演奏が多くの観客を沸かせる
佐藤:正式メンバーになったのは72年12月。どうでしたか。

坂田:一流のバンドというのはこういうことかと思い知らされましたよ。第一客層が違う。筒井康隆さん、日高敏隆さん、殿山泰司さん、赤塚不二夫さん、もういっぱい有名人が来ていた。水面から顔をあげたら、いろいろなものが見えたという感じ。山下洋輔トリオと「ピットイン」というふたつの要素によって、完璧に自分の道が開けていった感じがしたね。

ああ、そういえば、渡辺貞夫さんがステージを見に来てきて、「いいね」なんて声をかけてくれたことがあった。それには自信がついたね。だって貞夫さんの音楽とはまったく違う方向だったのに、認めてくれたわけだから。日野皓正さんや松本英彦さんや宮沢昭さんも、「おまえは徹底していていい」なんて言ってくれた。

(後編に続く)

写真 君嶋寛慶


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坂田 明さん Akira Sakata (ミュージシャン)


1945年広島県呉市生まれ。広島大学水畜産学部水産学科卒業。1969年上京後に『細胞分裂』を結成。1972年、山下洋輔トリオに参加し、1979年末まで在籍する。1980年、自己のトリオを結成、以来、様々なグループの結成、解体を繰り返しながら音楽シーンの最前線を目指す。現在はレギュラーユニットでの活動と同時に、内外のミュージシャンとの交流も活発で、2005年春には、ジム・オルークとの共同プロジェクトをスタートさせ、『テトロドトキシン』(2005年)、『explosion』(2006年)『ハ行』(2008年)の三枚の作品を発表する。そして、昨年秋にはジム・オルーク、ダーリン・グレイ、クリス・コルサーノとのユニットで日本ツアーを行った。また、オランダのアムステルダムに拠点を置く電子音楽センター「STEIM」との共演なども活発に行われ、今年3月にはヨーロッパ各地でのセッションが行われる。さらに5月には、ジム・オルーク、ダーリン・グレイ、クリス・コルサーノとのユニットでの2度目の国内ツアーを計画中で、9日、10日は新宿ピットインでのライブが予定されている。CDは日本チェルノブイリ連帯基金のために作った「ひまわり」(2006年)と「おむすび」(2008年)が話題を集めているが、3月には「MOOKO」と「NANO SPACE ODYSSEY」の二枚の旧作が復刻、さらには新録音も計画されている。また、長年にわたるミジンコの研究も有名で、その普及活動が認められ、日本プランクトン学会より特別表彰も受けている。

ホームページアドレス http://www.akira-sakata.com/

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