巻頭言

「カセット元年」シンポジウム

和田光征
WADA KOHSEI

音元出版に23才で入社した私が24才になった1968年春、フィリップスのコンパクトカセットテープの発表会があった。当時オーディオ用のテープといえばカートリッジ式の8トラック、4トラックのエンドレステープが人気を博し、カーオーディオ、カラオケにも使われ、8トラックはリアジェット社、4トラックはフィデルパック社が展開していた。勝つか負けるかが議論されていただけに、カセットテープの登場は驚愕だった。

オープンリールテープが全盛だった時代で、カセットテープはオーディオ用として無理があるという議論が渦巻いていた。しかし、フィリップスが互換性を厳守することを条件に基本特許を無償公開したことから、カセットテープは事実上の標準規格となった(本項
はウィキペディアより)。

私は掌に乗るカセットテープに強烈なる未来を感じた。人間の向上心と好奇心がきっとその性能をカートリッジテープやオープンリールテープと同等にさせ、お客様の圧倒的な支持を得て、世の中を変えてしまうであろう。私の胸中はそんな思いで溢れんばかりに燃えていた。

私にとってカセットテープは巨大なテーマであり、思いを胸に秘めながら8トラックのミュージックテープメーカーに取材をかけていた。アポロン音楽工業、ビクター音楽産業、クラリオン、ニッポン放送サービス、テイチク等が主であった。前編集長の村田さんに営業に行くと宣言し許可をもらった背景には、こうした取材や調査を通して感じた手応えがあったのだ(前号参照)。

最初に伺ったのがニッポン放送サービス。先方の小林部長が対応してくださったが、承諾はいただけなかった。私が挨拶をして出口に向かって歩き始めると、「和田さん! 夕方にでも電話してみて」と小林さん。私は「分かりました」と言って次の会社に向かった。ミュージックテープ全社にアポイントメントをとってあったので一社一社訪ねたが、すべて結果はNoであった。

夕方再び小林さんのオフィスをお訪ねすると「私が出してあげましょう。私は熱心な和田さんが好きだから出すんです」。小林さんは「ハイッ」と広告原稿を差し出しながら「あなたは見所あがるからしっかり頑張りなさい」と励まして頂いた。私は小林さんのことを胸の中に深く刻み込んだ。

1971年1月にラジオテレビ産業誌を「オーディオ専科」に改名し、オーディオ業界の発展とオーディオ専門店の育成に徹する使命を持ち新たにスタートした。そして私は、アナログオーディオにも全力をそそぎながら、一方ではカセットテープへの思いをふくらませていた。

1971年に27才になっていた私は、「テープ元年」を宣言し、各メーカーを始め関係者30名近くのメンバーにお集まり頂いてシンポジウムを開催した。まさに業界がカセットテープの普及へと動き出したエポックであり、その後カセットテープ市場は繁栄の道を力強く歩き始めたのである。この年は社名も電子新聞社から音元出版へと変えて、出版社としての歩みを始めたわけである。まさに記念すべき年となった。

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