橋本典久(はしもと のりひさ)氏
プリミティブメディアアーティスト。明治大学総合数理学部先端メディアサイエンス学科特任講師。桑沢デザイン研究所非常勤講師。1973年生まれ、2000年筑波大学大学院芸術研究科修了。10年にわたる武蔵野美術大学での「映像前史」学生指導や、子どもたち向けのイベント開催を通じ、日本における映像装置の仕組みを研究、その歴史を掘り起こして記録しており、3Dプリンターを使った映像装置(おもちゃ)の復刻にも取り組んでいる
そもそもなぜ映画が動いて見えるのか? 撮影の仕組みや上映の仕組みはどうなっていたのか? ——コンテンツもデバイスもデジタル全盛の時代に、映像の仕組みを見つめ直すため、京都・西陣にある「おもちゃ映画ミュージアム」に赴いた前回。今回は、その博物館のために初期映像装置「ミュートスコープ」を復元したプリミティブメディアアーティストの橋本典久氏にスポットを当て、映像装置のルーツとその魅力について訊いた。
おもちゃ映画ミュージアム(TOYFILM MUSEUM)には、映画研究や映画祭活動、玩具映画復元プロジェクトといった活動を通じて蒐集した機材が多数保管されており、映画(シネマトグラフ)初期の家庭用映写機や、写真/マジックランタン(幻灯機)/光学玩具などを通じて、映像前史(プレシネマ)の原理やはたらきが理解できる。
展示物の中には、オーナーの太田夫妻が蒐集したサイレント時代のおもちゃ映画(上映後、家庭用に切り売りされた断片のほか、新たにつくられたアニメーションもある)や、それを見るための手回しの映写機が数多く存在する。
初期の映像機器のルーツを調べたりなど活躍しているのが、橋本典久氏(以下、橋本氏)。東京都写真美術館(TOP)の展示でも「フェナキスティスコープ」のレプリカや、古川タク氏が1970年代に制作した「おどろき盤」を手回し式にアレンジしたものが展示に使われた。
橋本氏が映像装置の歴史研究とともに、装置自体の復元まで手がけるようになったのは、長年行っている大学生に向けた講義がきっかけだった。
「わたしが行っていたのは、興味や特性が異なる新入学生に対し『カメラ・オブスクラ』や『ソーマトロープ』といった映像装置の仕組みを教える授業でした。グループワークを通じて討論の仕方も学ばせながら、最後にオリジナルの装置を制作させるといった授業です。
以前勤務していた武蔵野美術大学には、そうした古い映像装置の現物が保管されていました。しかし、学生が触るたびに、少しずつ壊れていく。そこで気兼ねなく触ってもらえるようにと、映像装置のレプリカを年に1つずつ作り始めました」
そんな理由から映像装置を作り始めた橋本氏は、プリミティブメディアアーティストと名乗りながら、あくまで歴史上の装置の復元自体に興味があるのであって、芸術家にはなりたいという気持ちはそれほど強くないと打ち明ける。
「わたしは映像の装置や原理に興味があり、メディアとしてどう機能するのかを突き詰めたい。そして、その装置があることで新しい交流や場が生まれ、気づきが生まれることによろこびを感じます。
作品をつくるのが作家すなわちアーティストで、それが何らかの意図が載ったものをつくる人だとすれば、わたしのやっていることはちょっと違う。映像装置を制作するのは、コンテンツをつくりたいからではなく、手を使ってつくりながら、映像原理を学んでいくのが目的です。ただみんなでいっしょに装置をつくり、スゴいねと共感する。そういう人でありたいのです」
かつての映像装置の復元とともに熱心に取り組んでいるのが、映像装置に関わるルーツの探究だ。資料や博物館で展示を目にしたことはあっても、実際に動かしたことがない装置や、日本にいつ導入され誰が名前を付けたのかもわからない装置を調べていくうちに、やがてそれらの映像装置に関わった人物が歴史に埋もれていることに気づく。まさに “歴史を掘り起こす旅” のはじまりである。最近では、こんな発見も。
「ウィキペディアでフェナキスティスコープを見ると、古川タクさんが『おどろき盤』と名付けられたとされています。でも、このような装置は1830年代につくられたものであり、それ以前はどう呼ばれていたのか疑問がわきました」
調べていくと、元々日本では、1834年にイギリスのウィリアム・ジョージ・ホーナーによって発明された「ゾートロープ」のほうを「おどろき盤」と呼んでいたことがわかったそう。「ところが古川タクさんは、フェナキスティコープの方を『おどろき盤』と名付けてしまったんです」と橋本氏。
さらに、明治7年に来日したヘルマン・リッテルの講義をまとめた「物理日記」には、すでにこういった映像装置が載っていたことを突きとめている。安政年間に、長崎の出島でそれを「三宅艮斎(ごんさい)が息子・三宅秀(ひいず)に買い与えた」という記載があったというのが根拠。本当の「おどろき盤」は、国立科学博物館か東大博物館に寄贈されているようだ、というところまでわかっているという。
橋本氏は、かつて昆虫標本を高解像度スキャナーでスキャンし、人間と同じような大きさにプリントした展示会「超高解像度人間大昆虫写真 [life-size]」を開催し話題となった。筆者が橋本氏と最初にお会いしたのは、その頃である。
そんな橋本氏に、近年の4K/8Kといった高解像度化の流れについて訊いてみた。すると「映像はキレイで、そこにあるモノはクリアに映っているのですが、どこか温かみがない気がします」と橋本さん。
わたしは往年のフィルム作品をレストアした4K UHD BDのなかには、かなり生々しくてエモーショナルなものがあると思っているが、オーディオの世界ではハイレゾからアナログへの回帰ブームとなっており、写真の世界でも若い人たちの間でフィルムカメラが流行っているといわれている。
橋本さんが取り組んでおられる、映像が見える原理を巧みに利用した玩具映写機や家庭用映写機の復元。その過程で行う、映像に関わる重要な人物にまつわる歴史を紐解く調査。いくつもの点が線となり、背後にある人々のストーリーまでもが浮き彫りにされ、全貌がわたしたちの目に触れるようになるのも、そう遠くないだろう。
プリミティブメディアアーティスト。明治大学総合数理学部先端メディアサイエンス学科特任講師。桑沢デザイン研究所非常勤講師。1973年生まれ、2000年筑波大学大学院芸術研究科修了。10年にわたる武蔵野美術大学での「映像前史」学生指導や、子どもたち向けのイベント開催を通じ、日本における映像装置の仕組みを研究、その歴史を掘り起こして記録しており、3Dプリンターを使った映像装置(おもちゃ)の復刻にも取り組んでいる