世界に発信するアジアの監督たち 〜マレーシア編〜 アミール・ムハマド監督インタビュー (5) (6)

2004年01月03日
アミル監督とドップ・ミンジン(カメラ) 写真:Azrul Kevin Abdullah
アミール・ムハマド監督インタビュー
Interview with Amir Muhammad

インタビュー・文 / 山之内 優子
by Yuko Yamanouchi


5. 個人的体験と社会的現実の接点に気づいた、1987年のある事件


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−2003年に長編第2作として撮影された「ビッグ・ドリアン」は、1987年に実際にクアラルンプールで起こった、下士官による銃の乱射事件を題材にしています。どうしてその事件を題材に選んだんですか?

監督:それは、この事件は、僕が言いたかった他のマレーシアのいろいろな問題への、おもしろい導入になると思ったからです。その事件がおきたときに、僕は、学校とか、ある特別の場所に行ってはいけないといわれました。それで、初めて僕は、政治というものがあるという事や、それが個人の生活に影響を及ぼすこともあるんだという事に気がついたんです。この事件をきっかけに、出版の自由や政治犯の抑留問題、中国語教育問題にいたるまで当時あった多くの問題が、表面化して今にいたっています。

−この映画は、過去の事件についての色々な人たちの証言で構成されています。その中には俳優も使われていますね。笑いをさそうような面白い演技で俳優だとわかる人もいますが、多くの出演者は、俳優なのかどうか最後までわからなかったんですが。

監督:僕が選んだ俳優は、マレーシアのテレビや映画では良く知られた人たちですから、マレーシア人ならば、誰が俳優で誰がそうではないかは、わかるんです。他の国の人には、見分けるのが難しいかもしれない。ただ、この映画を作るのに100人くらいの人にインタビューをして話をきいているんですけれど、映画の中で、俳優に演技をして言ってもらっている証言も、このインタビューで話してもらった誰かの実際の経験です。




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6. 複雑な風合いを持っているドキュメンタリー映画を目指した




−俳優さんと、そうではない人とを混ぜたのはなぜですか?

監督:ドキュメンタリーっていうと、若い人は、何か平板で、つまらない言い方で語られる退屈なものをイメージするでしょう。僕は、役者と普通の人を混ぜて使うことで、より面白くて、複雑な映画の風合い、テキスチャーを出したかったんです。実際、僕が出したかった当時の印象により近いものができたと思うんだけれど。

これは、伝統的ドキュメンタリー映画っていうよりも、もっと、エッセイみたいなものに近いかもしれない。

−この映画には、社会的な問題をとりあげながら、作者の個人的な感情のタッチも感じられますね。

監督:登場する人を好きになって、主題と自分とをひきつけて考えられなければ、映画を作ることはできない。それに、ドキュメンタリーというのは、決して客観的なものではないんです。何かを記録しようということは、まず、あらかじめそれに対して興味を持っていなければ、できないでしょう。主題を選んで、あるやりかたで編集するということは、すでに材料をある形にしているわけですから。ですから、僕は、自分が客観的に作っているとはまったく思わないし、作るものは、まったく一人の人の考えを表していると思いますよ。



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