音楽愛好家にこそ届けたい、オーディオ・ノートの音。小原由夫氏が開発現場を探訪!
世界中に多くのファンを持つ、日本を代表するハイエンドブランドであるオーディオ・ノート。“銀線” ならではの魅力にこだわり、真空管アンプからフォノイコライザー、アナログプレーヤーまで、アナログ関連製品に特化した開発を行っている。今回は小原由夫氏が神奈川県にあるオーディオ・ノートの開発現場を探訪。そこには想像を超えた音楽再生の世界が待っていた。

創業時からの思想を継承しオリジンな製品を輩出
オーディオ・ノートには、実はこれが2度目の訪問だ。とはいえ、それは40年ほど前の話。同社が東急目黒線の不動前駅近くのビルを拠点としていた、文字通りのガレージメーカーだった頃のこと。
代表の近藤公康氏は、オーディオ用導体としての“銀”の可能性を信じ、配線材やトランスのコイル、果てはメッキまで、あらゆる部品に銀を重用した。やがてそのこだわりが実を結び、欧米オーディオ市場/ジャーナリズムにおいて、近藤氏は「The Audio Silversmith」の称号を与えられた。世界初の音の銀細工師たる賞賛を受けたのである。
近藤氏亡き後、そのこだわりとブランド・フィロソフィーは、現代表取締役の芦澤雅基氏に伝承されている。約40年前の初訪時、芦澤氏は当時から既に近藤氏の片腕として手腕を発揮されていたことを私は憶えている。

90年以降、近藤氏と二人三脚で会社を成長させ、海外市場に特化して事業を展開させ、2009年からは再び日本市場での販売を再開。この間に近藤氏は逝去されたが、芦澤氏を中心に現スタッフの弛まぬ努力により、23年に川崎市高津区の現工場に移転し、基幹部品の製造を自社内で行ない、十数名の従業員が世界中のオーディオ・ノートのファン、音楽愛好家に真にオリジンな製品を送り出している。
真新しい工場の一階は、製造部と部品倉庫、出荷検査等のセクションが効率よくコンパクトにまとめられており、若い社員の方々が手際よく組み立てや配線作業をこなしている。例えば絶縁材にはセラミックでもアルミナでもなく、ジルコニアが最適。接点部はロジウムメッキでなく、パラジウムが当社の音には相性がいいという芦澤氏の説明からも、独自性とこだわりを感じる。

案内していただきながら、ある一角のスペースで芦澤氏は立ち止まり、近い将来の夢を語られた。その詳細をここではまだ書けないが、着々と準備は始めているという。読者諸氏には楽しみに続報をお待ち頂きたい。
拍子抜けするほど自然体で穏やかなサウンド
2階に設けられた試聴室は、20帖ほどの広さのウッディな落ち着きのある部屋で、メインスピーカーにはノーチラス801が鎮座する。38cmウーファーを搭載した、90年代末のB&Wのフラグシップ機だ。

愛聴盤LPを今回持参し、まず聴かせていただいたのは、同社のミドルレンジのフォノイコライザーアンプとプリアンプの組み合わせ、「G-700」と「GE-7」である。ミドルレンジとはいえ、前者は600万弱、後者が400万円弱と、ペアで1千万円近くになる!


アナログプレーヤーは「GINGA」、MCカートリッジは「IO-X」で、昇圧トランスに「SFz」を接続した。この送り出しの組み合わせで1千万円超、パワーアンプはモノラル型の「Kagura2」で、こちらは2千万円近くになる。お金の話ばかりで恐縮だが、総額で実に4千万円ほど!!

超高額機器の組み合わせ故、相当に説得力と凄味を効かせた音ではないかと想像する読者が多いものと想像するが、あにはからんや。現実はまったく逆で、拍子抜けするほど極めて自然体で穏やかなサウンドである。「銀の音は高域がしゃくれ上がっている」と、長いキャリアの一部のオーディオマニアが抱くであろう素振りは微塵もない。
ヴォーカルの表情はまろやかで柔らか。ジャズはリズムセクションが堅実なサポートぶりでソロイストを立てる。クラシックの弦や管のハーモニーには硬さも冷たさもない。アンサンブルのグラデーションがとても稠密かつ艶やかに感じられる。
よく見るとパワーアンプKagura2からは電源ケーブルが2本出ている。商品開発部の廣川部長の説明によれば、+B電源とヒーター電源を1本の同社の標準電源ケーブルから給電するよりも、ケーブルの許容値からして個別に給電した方がレギュレーション的に有利との判断からという。実にユニークだ。

演奏者との距離感が近付き体温までも感じられる
続いてプレーヤー周りとパワーアンプはそのままに、プリアンプ「G-1000」、フォノアンプ「GE-10」と入れ替えた。この2台だけで1500万円超。


同社フラグシップ機の組み合わせの音も、驚くほど普遍的でナチュラル。これみよがしな風情は見せず、大向こうを唸らせるようなこけおどしは皆無だ。
音場感はより3次元的な広がりを見せると同時に、演奏者との距離感が近付いた感じがする。具体的には、彼らの体温が感じられる音なのだ。ヴォーカリストの声には湿り気が乗っているし、ジャズの楽器の音色は息遣いや指の動きが生々しい。オーケストラでは派手さや刺激とは無縁の有機的な響きが感じられ、しばし陶然と音楽に身を委ねた。

帰りの道すがら思ったのは、オーディオ・ノートの機器たちが奏でる音に惹かれるのは、ゴリゴリのオーディオマニアではないだろうということ。おそらくは機器の存在に意を介さない、音楽愛好家という意識が根底にあるオーディオマニア的気質の方々だろう。機器やアクセサリーのどこかをいじって、その変化に一喜一憂するようなマニアには響かない音。それがオーディオ・ノートの音の本質に違いない。
私の執筆机の引出しの中には、40年前の初訪時に近藤氏から頂いた1ペアのRCAプラグが未使用のまま残っている。近いうちにこれでケーブルでも作って近藤さんが志向した音に思いを馳せてみようか。
取材photo by 君嶋寛慶
(提供:オーディオ・ノート)
本記事は『季刊・アナログ vol.86』からの転載です