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「ブートレッグ・シリーズ」の第15作

ディランはやっぱり怪物だった。「はるかに出来のいい」テイクを収録した3枚組LP『トラヴェリン・スルー』

2019/11/06 和久井光司
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■決定バージョンよりもはるかに出来のいい別テイク達

『トラヴェリン・スルー』はまず、 “カントリー・ロック一番乗り” と言っても過言ではない67年10月17日と11月6日のナッシュヴィル・セッションから、『ジョン・ウェズリー・ハーディング』収録曲の別テイクを聴かせていく。バック・ミュージシャンと一緒にスタジオに入り、メロディやアレンジも決まっていないテイク1から本気で唄うのがディランのレコーディングだが、テイクを重ねる毎にメロディや歌詞を変えたり、リズムの解釈をまるで別のものにしてみたりするから、それぞれにしかない魅力が生まれる。テイクを重ねるうちに、曲がまるで違うものになっていったりするから、テイクを聴き比べることに大きな意味があるのだ。

ボックスの中には資料性も高いブックレット(英語)も同梱される

「ブートレッグ・シリーズ」で蔵出しされてきた別テイクには、世に知られることになった決定バージョンよりはるかに出来のいいものが少なくないため、ディランが何をもって “決定” としているのかが余計にわからなくなるのだけれど、その “逡巡” からはノーベル文学賞を獲る男の “思考” も垣間見える。テイクを重ね、アプローチを変えていくディランが、だから、面白いのである。

ナッシュヴィル・セッションは69年2月13、14日に飛ぶ。4月に発売される『ナッシュヴィル・スカイライン』のレコーディングである。声まで変えて “カントリー歌手” になりきったアルバムは、日本では当時理解されなかったが、アメリカでは週に10万枚ずつ売れていくほどのヒットになった。

先日、「ブートレッグ・シリーズ」に最初から関わっているプロデューサー、ジェフ・ローゼン氏を招いたコンヴェンションがソニーミュージックの乃木坂スタジオで開催されたのだが、選曲・構成を一手に引き受けている彼でも、蔵出しされたテープからどんなディランが飛び出してくるか、毎回興奮させられるそう。『ナッシュヴィル・スカイライン』のセッションでは、カントリー・ロックを具体化するためにバンドのアレンジを変えてみることが多かったようで、決定版よりもワイルドな演奏が楽しめる。

■アメリカ音楽の真髄に迫ろうとしたディランの“怪物”さ

ディスク2は、今回の目玉と言えるジョニー・キャッシュとのセッションだ。ふたりは63年に初めて会ったそうで、とても気が合ったのだという。レコード会社が同じコロンビアだったことが共演を簡単にしたのだが、ここでは一枚半に及ぶセッションからディランのアルバムに収録されたデュエットは「北国の少女」だけだった。

キャッシュのバンドにカール・パーキンスを加えての演奏は、「マッチボックス」などカントリー・ロック・クラシックスにも至って、とても興味深い。ふたりでオリジナルの新曲をつくるところまで行けば共演盤も夢ではなかったはずだが、69年2月17、18日の二日間でセッションは終わり、3月1日に収録が行われたABCテレビの『ザ・ジョニー・キャッシュ・ショウ』にディランがゲスト出演して幕となるのだ。

ディスク3のB面は、DVD化もされている『ザ・ジョニー・キャッシュ・ショウ』からの2曲。そして3月3日には翌年リリースになる『セルフ・ポートレイト』が始まるのだから、その変わり身の速さには驚かされる。

「ブートレッグ・シリーズ」では同作の膨大な未発表テイクから編まれた『アナザー・セルフ・ポートレイト』がすでに出ているため、ジョニー・キャッシュ・ファミリーの代表曲「リング・オブ・ファイア」と「フォルサム・プリズン・ブルース」のみがここに収録されることになったわけだが、キャッシュとの共演の “前後” という今回のコンパイルのしかたは素晴らしいと思った。

ラストは70年5月17日に、ニューヨークのトーマス・B・アレン宅で録音されたアール・スラッグス・ファミリーとの5曲。ブルーグラス界を代表するバンジョー奏者であるスラッグスとの共演は、ドキュメンタリー番組のために企画されたもので、71年のスラッグスのアルバムでも部分は聴けたが、ディランとの5曲が完全収録されたのは初めてのことだ。カントリー・ロック期のディランをブルーグラスで締め括るところは、プロデューサーであるローゼン氏のみごとな手腕と言っていい。

アメリカ音楽の真髄に迫ろうとした26歳から29歳にかけてのボブ・ディランは、やっぱり “とてつもない怪物” である。

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