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演奏家と聴衆者の間に紡がれるインタープレイ

聴き手のオーディオ観を問う“問題作”。『ケルン・コンサート』が導く、山口ちなみの深化を紐解く

公開日 2026/07/10 06:35 安田脩理
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キース・ジャレットの1975年の完全即興アルバム『ケルン・コンサート』を、現在、日本人のクラシックピアニスト・山口ちなみが、採譜された譜面をもとに再演していることが、昨年より話題となっている。

寺島レコードからそのスタジオ録音盤、ライブ録音盤がリリースされてきたが、71日には、その2枚をセットにしたSACDが発売された。ここでは、キース・ジャレットのピアノ演奏のためにオーディオ追求を続けている安田脩理氏が、山口ちなみの一連の活動について綴ったレポートをお届けする。

山口ちなみ『The Koln Concert』SACDシングルレイヤー(寺島レコード TYR1142 TYR-1143 8,800円/税込)スタジオ録音とライブ録音の2枚組

ケルン・コンサート再現アルバムへの複雑な想い

山口ちなみの眼差しは真っ直ぐだ…… 。

筆者が『analog誌 91号』でショートレビューした経緯から、5月28日のJZ Brat  SOUND OF TOKYOでのライブ終演後、少し会話する機会があったときにそう思った。その大きな瞳で真っ直ぐに見据える人なのだと。

山口ちなみ 5月28日 JZ Brat  SOUND OF TOKYOにて Photo by Junichiro Matsuo

初盤である『ケルン・コンサート』(スタジオ録音盤)は昨冬、センセーショナルに登場したが、その再現作を予見できなかった多くのキースファンにとっては、唐突感や戸惑いを抱きつつ迎えたリリース日だったのかもしれない。

筆者は偶然にも、昨年の5月頃だったか、facebookのタイムラインで霞町音楽堂でのケルン・コンサート再現演奏会のリーフレットを見た。すぐにチケット予約しようと試みたのだが、すでにソールドアウトだった。

こうした経緯があったため、筆者にとってはアルバムのリリースを戸惑いよりも期待感をもって迎えたのだが、封を切って自身のシステムで聴くまで、些か複雑な想いがあったことも隠せない事実である。

キースの『ケルン・コンサート』は、筆者の音楽観やオーディオによる音楽再生をある意味で決定付けた演奏である。それ故に、山口の初盤にどう接していいのか、先入観なく聴けるのか、という想いがあった。

しかし、キースのトーンと創造性に捧げた自身のシステムで、CH Precision D1のプレイボタンを押してPart Iを聴き始めてから数分経った頃には、キースの幻影から離れて山口の構成力や運指に心のフォーカスが合いつつあることを知った。

山口ちなみの『ケルン・コンサート』は、ジャズ批評誌「ジャズオーディオ・ディスク大賞2025」で銀賞と特別賞を受賞し、今ではロングセラーとなっている。だがリリース当初、「即興演奏の再現にどのような意味が見いだせるのか?」「一過性の即興だからこそ貴いのではないか?」「クラシックピアニストにはグルーヴが出せないのではないか?」といった懐疑的な意見も散見された。それも真なり、という側面も確かにある。

しかし、キースのオリジナル盤も当時、「これはジャズではない」「CMにお似合いなヤワな環境音楽だろう」「ジャズ喫茶でかけるアルバムじゃないだろう」といった批判に晒されてきた。

そう、革新的な試みやチャレンジは、物知り顔のマニアや論評好きな音楽ファンにとっては、いつだって格好の餌食となりやすいもの。

山口のチャレンジに正当な評価を与えるべきだ

では、なぜ、そのような懐疑的な眼差しを向けられたキースの『ケルン・コンサート』はこれほどまでに時代を超えて聴き続けられているのか。

キースの類稀な創造性と誰の心底にも美しく浸透してくる深いトーンがそうさせたのだろうが、筆者はキースも永続的なチャレンジの中で進化と深化を遂げてきたからだろうと考える。

『フェイシング・ユー』『ソロ・コンサート』『ケルン・コンサート』『サン・ベア・コンサート』といった一連の流れと時間軸の中で、その革新性と旋律美が見事なまでに融合した、唯一無二のフォームとなり、いつしか即興演奏はキースを代弁し象徴するものとなったのだろう。

確かに、山口の初盤にグルーヴは感じられない。しかしそれは山口の資質の問題やクラシックピアニストというバックグラウンドに起因するものではなく、グルーヴという、その演奏家にしか醸し出し得ないフィーリングの問題だからだ。誰がフィーリングを譜面化できるというのか。

今やジャズピアノのレガシーとなった『ケルン・コンサート』に、そして、偉大なキースの幻影に果敢にチャレンジした行為の素晴らしさに我々は正当な評価を与えるべきだと個人的には考える。

『フェイシング・ユー』から『ソロ・コンサート』『ケルン・コンサート』『サン・ベア・コンサート』と盤を重ねたキースのように、山口もキング関口台スタジオ録音の初盤と、霞町音楽堂のライブ録音盤を対にして目を向けられるべきだと。

最早論点はキースのオリジナル盤を唯一のリファレンスとした比較論ではなく、山口の原点ともなり得る初盤とライブ録音盤、そして、霞町音楽堂やJZ Brat SOUND OF TOKYO、BLUE NOTE PLACEなどのライブに接しつつ、一連の経緯の中で語る段階に来ていると思う。

山口にしか醸し出し得ないフィーリングがある

そのような意味において、7月1日に発売となったSACD2枚組は、ピアニスト山口を点ではなく、先につながる線として聴くことができる。そこにこそ、この盤の価値がある。

SACDならではのディテール表現に長け、階調性に富んだピアノやホールトーンを感じさせるこの2枚を続けて聴くことでしか視えてこないものがある。

一聴すると、ベーゼンドルファーとスタインウェイの違い、そして、スタジオ空間と音楽堂での倍音の広がりの違いに意識が行きがちであるが、そうしたオーディオ的な聴き方から離れて耳を澄ますと、Part Iの最初の数小節だけで、山口のタッチや間のとり方に明らかな変化があることに気付かされる。

スタジオ録音盤では譜面に忠実であろうとする意識が所々垣間見られるような印象を受けるが、ライブ録音盤の運指には、演奏会場のホールトーンやオーディエンスの反応と自身のタイム感をハーモナイズさせることへの意識が自然に爪弾かせたような感触がある。

実際、5月28日の演奏は素晴らしかった。「今日のケルン・コンサートをお愉しみ下さい」との言葉から始まった当夜のコンサート。譜面やキースの幻影を追うことなく、山口の心の動きとシンクロするような情景が垣間見られ、気持ちと運指がピタリと一致するからこそ生み出される芯のあるタッチが印象的だった。ジャズのグルーヴとも、キースのオリジナル盤に聴こえるグルーヴとも違う、当夜の山口にしか醸し出し得ないフィーリングがトーンとタイム感に現出していた。

「先日のJZは、リハーサルでいろいろと音を作り込んでいただいて、本番は本当に気持ちよく、そして今までにないアイデアもその場で浮かんで来て、初めての感覚もありました」と山口が語ってくれた通り、そこには果敢なチャレンジの先にようやく見出した本人の心の均衡や先を見据えるタッチがあった。

山口ちなみ 5月28日 JZ Brat  SOUND OF TOKYOにて。Photo by Junichiro Matsuo

JZ Brat SOUND OF TOKYOの入口にて Photo by Junichiro Matsuo

その帰路は少し霞がかった満月に美しいピアノのトーンの記憶が重なり、心地よい夜だった。

「ケルン・コンサート」の先に拓ける新境地とトーンに期待したい

山口自身が名付けたというアナウンスがあった、その夜限定のオリジナル・カクテルは「rencontre / rɑ̃kɔ̃ːtr」(フランス語で「出逢い」)という名だったが、その意味するところのように、山口はこれからもさまざまな出逢いと響きを重ねて深化していくことだろう。

ケルン・コンサートの先に山口は何を視るのか?

その真っ直ぐな眼差しの先に拓けるであろう、ピアニスト山口ちなみの新境地とトーンに期待したい。

個人的には、『メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー』のフェイヴァリットトラックである「My Wild Irish Rose」や、キースの即興演奏での創造性が極まった『カーネギー・ホールコンサート』のPart VIII、そして、クラシックピアニストならではのタッチと構成力を生かしたヨーロピアンジャズのピアノのカヴァー(「亡き王女のためのパヴァーヌ」や「ノクターン」をピアノトリオでアレンジしたカレル・ボエリー・トリオのカヴァー)などにも淡い期待を寄せている。

グルーヴなどの幻影に囚われず、山口の美しいタッチと素晴らしい構成力にシンクロする楽曲にもチャレンジしていって欲しい。

そこに新たな情景を紡ぐrencontre / rɑ̃kɔ̃ːtrがあるはずだから。

そして、ピアノの美しい音色と響き、キースやベーゼンドルファーの深いトーン、スタインウェイの艷やかなトーンを愛する音楽愛好家の方、オーディオによる音楽再生に何かを懸けているオーディオファイルの方には、先入観を捨てて、ぜひこの2枚組のSACDに耳を傾けていただきたい。

ここにあなたは何を視るのか……。

そこに視えてくる情景には、きっとあなたの音楽観が投影されていることだろう。先入観なく臨めたなら、そこには音楽の新たな地平線や創造性の在り方が拓けてきて、音楽の真の多様性や解釈の幅など、オーディオによる音楽再生への示唆がもたらされるはずだ。

だからこそ、音楽という素晴らしいアートを愛する我々も、音楽の本質を視えにくくしてしまう先入観を捨て、山口が真っ直ぐ見据える先に意識を向けようではないか。そういう演奏家と聴衆者の間に紡がれるインタープレイの先に、新しい音楽が創造されるのだから。

二度にわたる脳卒中によってキースの再演が叶わぬ世界線にあって、ピアニスト山口は一つの希望である。少なくとも、今の筆者にとって。

発売中の山口ちなみ 『ケルン・コンサート』関連アルバム

『The Koln Concert』(スタジオ録音)
CD:寺島レコード TYR1135/3,300円
LP:寺島レコード TYLP1135/11,000円/180g重量盤・2枚組

『The Koln Concert - Live at Kasumicho Ongakudo』(ライブ録音)
CD:寺島レコード TYR1136/3,300円
LP:寺島レコード TYLP1136/11,000円/180g重量盤・2枚組

『The Koln Concert / The Koln Concert - Live at Kasumicho Ongakudo』(スタジオ録音・ライブ録音の2枚組)
SACDシングルレイヤー:寺島レコード TYR1142/8,800円

 ※価格はすべて税込

7月11日の15時からは、SACD盤の発売を記念したサイン会とミニライブが、タワーレコード渋谷店8Fにて開催される。

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