ストリーミングサービスがもたらす理想の音楽鑑賞スタイル。ネットワークオーディオの楽しみ方、山之内 正氏の場合
音楽を楽しむ目的に最短で近付ける
リンのDS、DSMを使い始めてからほぼ20年。最初はそこまで長い付き合いになるとは思わなかったが、いまは不可欠な存在どころか、音楽を聴く手段として紛れもない主役の位置を占めている。最初から最善の選択肢を選んだおかげで、まわり道や迷路に迷い込まずに済んだのだ。
私にとって最善とは、些末な雑事に煩わされず集中して音楽を楽しむ環境を提供してくれるハードウェアとソフトウェアを選ぶことに尽きる。データ形式やプラットフォームごとの設定を意識するのは音楽を聴くこととは別の話で、そこに煩わされるのは本末転倒。面倒な操作や設定が必須だとしたら、そのシステムはいまだ完成していないとみなすべきだろう。音楽を楽しむという本来の目的に最短で近付ける使い勝手の良さこそが最優先なのだ。
そして、重要な条件がもう一つある。その選択肢を選ぶことで、最善の使い勝手と同時に最良の音が手に入るということも肝心だ。「最良の音」に絶対的な基準はないかもしれないが、私にとっては、演奏に集中できるかどうかが重要な尺度になる。本来の音を引き出せない環境で聴くのはストレスを生むので、音にこだわる立場として、そこは譲れない。
20年前の時点ではその2つの条件を満たすのはリンのKLIMAX DSが唯一の存在だったが、いまは複数の候補が揃い、自分に合った最適な製品を選べる環境が整っている。製品形態、選曲方法、デザインのバリエーションが広がり、手頃な製品からハイエンドまで価格のレンジも一気に拡大した。
いま自宅と仕事場の試聴室には複数のDS以外に3〜4系統のネットワーク再生システムが常時つながっていて、用途に応じて使い分けている。
たとえば、脇役的な位置付けにはなるが、Amazon Musicを聴くためにBLUESOUNDの「NODE X」をつなぎ、Apple MusicとApple Music Classicalでなければ再生できない音源を楽しむために「Apple TV 4K」を使うこともある。いずれもメインのオーディオシステムではなく、AVアンプと組み合わせて手軽に楽しむスタイルが中心だ。
本来なら1つに絞りたいところだが、Apple MusicとAmazon Musicは再生環境に制約があり、ハイファイオーディオとの親和性が低い。音をきわめるには役不足という重要な課題がいまだ解決していないのだ。どちらも契約リスナーの数では優勢だが、「最良の音」を条件に加えると主役の候補からは外さざるを得ない。
私の試聴室での「最良の音」の現在の担い手はリンの「KLIMAX DSM/3」だが、主にDACの設計思想の違いが生む音楽表現の個性を確認する目的で、dCSの「LINA Network DAC」と「LINA Master Clockを」ネットワーク再生のオプションとして実験的に再生システムに組み込んだ。
ヘッドホン再生ではなく、プリアンプを介してスピーカーを鳴らす使い方でも、LINAのRing DACとKLIMAX DSM/3のORGANIKの間に存在する表現の差は明らかで、ハイエンド・ネットワークオーディオの奥の深さをあらためて思い知らされる。
詳細な比較は別の機会に譲るとして、要点だけ紹介すると、ORGANIKは旋律楽器やヴォーカルの表情を力強く描き出すエモーショナルな表現に長け、Ring DACはそこまで踏み込まないものの、素直でバランスの良い描写が得意だ。
自由に曲選びができる環境は手放せない
自宅と仕事場で聴く音源の半分以上はストリーミングで、残りの半分の時間はローカルサーバーのファイル音源、CD/SACD、LPをほぼ同じ比率で聴いている。ストリーミングの大半はQobuz、特定のプラットフォームでなければ聴けない音源については、さきほど説明した通り、Apple Musicなど、別のプラットフォームを選ぶこともある。
Roonの再生環境も用意しているが、以前に比べて使用頻度は高くない。自動車の車載オーディオでQobuzが再生できるようになったこともあり、Roon ARCを使う機会もほとんどなくなった。
サービスの数を絞ったとしても、複数のストリーミングを併用する場合はアルバムや曲の検索に少しだけ工夫を凝らす必要がある。サービスごとに検索するのは手間がかかるし、使用するアプリによってはサービスを横断して再生キューに登録できないこともあるからだ。
その詳細については近日公開予定の別の記事で説明するが、少なくともリンが提供するアプリ「LINN」では契約しているすべてのストリーミングサービスとローカルサーバーの音源を横断して同時に検索し、どのプラットフォームの音源であれ、すべて同じキューやプレイリストに並べることができる。
次に聴きたい曲を選ぶとき、その音源がどこに存在するのかを意識する必要がないので自由な選曲ができるし、思考の流れにブレーキをかける必要がない。自由に曲選びができる環境を一度手にすると、二度と手放すことはできなくなる。
演奏と録音から新たな気づきを得られる
ネットワークオーディオの潮流が広がってきた10年ほど前、「ソースが一つ増えただけで、音楽再生の基本はなにも変わらない」という意見もあった。ダウンロードした音楽ファイルの再生にとどまっていた時期ならその見解にもそれなりの説得力があったが、ストリーミングが浸透した時代、「なにも変わらない」という見方がそのまま通用するとは考えにくい。
私自身、ストリーミング漬けの日々を送っているが、その環境での鑑賞体験を通じて、少なくとも20年前、10年前とは異なる大きな変化が起きている。少なくともソースが一つ増えただけという次元の変化ではない。
特にクラシックの場合、多くのアルバムは過去から現在まで同じ作品の異なる録音が数多く存在し、そこにあえて新たな録音を加えることにアーティストは重要な意味を込めている。100年に及ぶ膨大な音楽資産の存在をふまえたうえで新たな解釈や提案を行い、演奏家の個性を発揮しながら作品の価値をさらに高めたり、新たな発見をもたらすことも視野に入れているのだ。
視点を変えれば、過去の録音資産を繰り返し聴く熱心な聴き手が存在するからこそ、演奏する側の新たな提案が意味を持つとも言える。リスナーが音楽と接する手段が広がり、鑑賞体験が深まるほど、そうした聴き手の反応を期待し、演奏家の表現意欲が掻き立てられるのだ。
この演奏は往年の大家の演奏がヒントになっているとか、この解釈はこれまで誰も形にしたことがないという具合に、リスナー側にも多くの気付きが生まれ、演奏の意図が伝わる環境が育っていく。過去から現代を縦横無尽に行き来する鑑賞スタイルの浸透は、音楽文化の深化を促す側面を持っているのだ。
ストリーミングが普及する少し前から、動画を見て弾き方を真似るなど、ネット環境の浸透によって演奏技術の上達が加速したり、多くの音源に接することでリスナーの鑑賞スキルが高まるなどの変化が起きていた。また、CD時代にも演奏家と聴き手のコミュニケーションが深まる素地はあったが、物理的な限界やタイムラグが存在していた。聴きたいと思った瞬間に無数の音源にアクセスできるストリーミングほどには、自由な鑑賞スタイルを許してはくれなかったのだ。
いま手にしている再生環境は、私が音楽を聴き始めた頃から夢見ていた理想の鑑賞スタイルに限りなく近付いている。そして、これからもその充実した再生環境を享受できることが楽しみでならない。音楽好きならこの環境を手放したくないと考えるのは当然だと思う。
