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“シネマテーク動画教室”の目指すものとは

ネット時代の「動画撮影教室」で映画の原点に立ちもどる − シグロ代表・山上氏インタビュー

公開日 2011/08/08 13:38 山之内優子
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映画製作・配給会社シグロと(株)第一書林が、7月より“シネマテーク動画教室”を開講している(関連ニュース)。シグロ代表の山上徹二郎氏に、動画が開く映像表現の可能性についてインタビューした。


山上徹二郎氏
山上徹二郎氏 :1954年生まれ。映画製作配給会社シグロ代表。「老人と海」(ジャン・ユンカーマン監督)「まひるのほし」(佐藤真監督)「ぐるりのこと」(橋口亮輔監督)「酔いがさめたら、うちに帰ろう」(東陽一監督)など、数多くのドキュメンタリー、フィクション映画を製作。内外の映画賞を多数受賞している日本を代表する映画プロデューサーの一人。シネマテーク動画教室では、映画コース講師も勤める。

●映像の新しい形

リュミエール兄弟が映画を公開した1895年から、映画というのは、まだ115年の歴史しかありません。これから映画はまだまだ形を変えていく可能性があります。特に、この4、5年はネット上に映像があふれるようになり、ネットで映像を見ることは止められない流れです。機材が簡便になり、映像製作が誰にでもできるようになった。この動きはとまらないでしょう。

「動画」という言葉は、もともとアニメーションのことを指して使われていました。今はYouTubeやニコニコ動画の広がりから、動画と言えば、ネット上の映像を指す、こちらの使用法が定着してきていると思っています。この動画の広がりを見ると、これによって映画のスタイルも変わっていかざるを得ないし、動画の世界に映画の未来があると思っています。といっても、今ある映画がなくなっていくということではなく、動画の広がりが映画の世界にフィードバックしていき、映画の世界がより豊かになると確信しています。

●多くの人が映像制作の可能性を持つ

今回、あえて「映画教室」ではなく、「動画教室」として積極的に次の新しい映像の世界を提示していく場と考えました。といっても映画と動画を全く別のものとして考えてはいません。

動画教室授業風景

この動画教室は映像のプロになる人材を養成することを前提にせず、より間口を広くしました。カルチャーセンター的な趣味としての映像制作から始めていただける場です。まず、身近から始めて、作って、見せて、映像制作の世界に出会ってほしい。動画の世界は、誰もができるという良さがあります。動画制作を始めた方が動画をコミュニケーションツールとして自分を表現する、人とつながっていく、そのおもしろさを感じ、同時に、映像には人を傷つける力もあることを知り、映像とのつきあい方を知っていただければと思います。

動画だからといって、映像の質が落ちるとは思っていません。誰でも詩を作ったり、音楽をやったり、小説を書いたり、また日記を書いたり、絵を描いたりできますが、誰でも詩や俳句のプロにすぐなれるわけではないですね。映像もそういうものと同じところにきつつある。今までの映像の世界で、本当に選ばれた人がプロとして残っているかという視点にたつと、まず、映画がもっと開かれたものであった方がよいのです。映画とは何かという問いに、まだ誰も答えきれていない。動画がこれからどうなっていくかは、誰もわからないのです。

●著作権などの問題

教室で作る動画の発表は、ネット上の公開を考えています。インターネットは、良い面、悪い面の玉石混淆の世界です。インターネットでの著作権、肖像権、などの問題がどうなっていくか、不確かな世界でもあります。しかし問題がおこる可能性を避けようと、この可能性をもった世界に規制の網をかけていくのは好ましいことではない。社会の中にルールがあるように、ネットのルールも必要です。それを、ネット表現を規制するという形ではなく、ネット上の映像のルールについて、意識していく。このことも教室の大事な役割だと思っています。私たちは、映画製作者として著作権や肖像権を考えてきました。この点について私たちの問題意識を伝えていきたいと思います。

自分が作る側に立つことで、映像の持つ力や問題に初めて気づかれることも多いと思います。映像の意図やそこに嘘がないか、それを見抜いていく力をつけることができます。悪いものがネット上に流れていくことを完全に断つことは不可能です。悪いものを見抜く力、意識を持つことが大切ですが、それには作り手の側に一度立ってみることです。

例えば、肖像権について、自分の身近な人間や、家族、自分の子供や夫婦でも本当は肖像権の問題ってあるんですね。それをどう考えるか。

また、肖像権が問題なら、モザイクで顔を隠してしまえば良いか、音声を変えてしまえば良いか。そういう考えで、勝手にモザイクや音声変換をしてしまうことは、表現が本来持っている価値を傷つけてしまうことにもなりかねない。映像表現そのものに対する冒涜ともなり得ることなんですね。というのは、映像を撮るという行為自体、他者とのコミュニケーションであり、自分と自分の外側にある世界とのコミュニケーションなんですが、モザイクや音声を変えることは、自分でそれを疎外することになってしまいます。こういう問題を意識することも教室の役割だと思います。


●映画の創造性を広げる

今回、動画教室の初級、中級、上級の3コース以外に、映画コースを開講します。私がシグロという映像の製作・配給会社を立ち上げてから今年で25年になりますが、この間映画の世界で学んできたことを伝えたいという思いから開講しました。私の体験をお伝えしながら、映画の作り手と観客を隔てている壁をとりのぞくような、そういう試みの一つと考えています。このコースは現状シネマテーク動画教室の中のコースとしましたが、将来的には、もしかしたら、別の教室にする可能性もあります。

現在の映画というのは、とてもハードルの高い、敷居の高い世界です。そして、映画を作る、映画を届ける、映画を見るなどの側面が、従来の業界では分業化されていて、そこで閉鎖的にビジネスとして成立してきました。そのことで、業界が守られてきたところもありますが、それによって、自由な創造性が活かされにくいという面もあると思います。

動画ではそれらを分業化することなく、一人でできる。これは映画の原点でもあります。動画の世界から才能のある人が生まれ、そして結果として映画業界もより広がっていくものと考えています。

(2011年7月23日 市ヶ谷シネマテーク動画教室 )

教室は、現在、初級、中級、上級の動画コースに映画コースを加えて開講中。8月11日(木)18日(木)25日(木)は、一回受講可能の特別公開講座も開かれる。
詳細は以下を参照のこと。

シネマテーク動画教室
http://cinematheque.jp/


(取材/構成 山之内優子)

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