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「オーディオ哲学宗教談義」

【対談】オーディオは本当に進歩したのか<第1回> 哲学者・黒崎政男氏と宗教学者・島田裕巳氏が語る

季刊analog編集部

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2017年09月22日
1969年 〜アポロ11号・安田講堂・バッハ〜

哲学者・黒崎政男氏(右)と宗教学者・島田裕巳氏(左)

黒崎 50、60年代というのは、エレクトロニクス・マイルスしかり、コルトレーンしかり、これまでのチャーリー・パーカーが作り上げた世界を変えてやろうというような、音楽が自然に作り出せた時代でしたね。僕らはそれらをリアルタイムに経験できた。

僕はコルトレーンが好きな一方で、バッハばかり聴いていたんです。「バッハしか音楽じゃない」というくらいに(笑)。高校1年生の頃からそういう時代が7、8年続きました。グレン・グールドのゴールドベルク変奏曲のいちばん最初の盤。それから、カザルスの無伴奏チェロ組曲。SPレコードの焼き直しの演奏が妙に良いわけですよ。

私は、1900〜1950年頃の演奏者たちの録音が一番良いと思っています。それから先は堕落じゃないけど、客観的になりすぎて、演奏がつまらなくなっている。当時から、カザルスのチェロや、ランドフスカのチェンバロ、クライスラーのヴァイオリンなどの復刻盤がいいと感じていて、その後アルゲリッチとか出ても、聴いてみるもののやっぱりいいのはこっちだと。

島田 それは何歳くらいのとき?

黒崎 仙台一高時代ですね。「無伴奏」というバッハ以前しかかけないバロック喫茶がありまして、その隣にはジャズ喫茶があって。真剣にバッハを聴いた後、じゃあ向こうでコルトレーンだ、って聴いていました。

こういうわけで、私の中では、コルトレーンとバッハが同じだったという時代があったわけ。高校の友人の勧めでマタイを聴いてからは、ものすごく衝撃を受けて、人生とは? 生きるとは何かとか、そういう……。

島田 その頃から哲学に?

黒崎 哲学は1+1=2、って本当に正しいのかな?って思ったの。高校で微分積分をやりますよね。習い始めて、「絶対嘘だ」って思うわけですよ。「限りなく0に近い」とかトリックじゃないですか。2点間なんだけど、1点の傾きとか。だけど、その頃ちょうどアポロ11号が月に到着しました。ロケットは微分積分を使って飛んでいるわけですよ。それが月にちゃんと当たるわけですよ。微分積分はライプニッツがだいたいニュートンと同じ時代に作り出した、人間が勝手に発明したツールであるにかかわらず、それを使うと月に当たるなんて! 月はお前、微分積分知っていたのか!?って思うわけですよ! 

島田 そんなふうに思ったんだ。

黒崎 はい、物を投げるとね、放物線で飛ぶでしょう。この投げた消しゴムは高校へ行ったか? 行っていないのに、y=ax二乗で飛ぶわけですよ。放物線という権利は、俺たちの頭の中にあるのか、宇宙自体がこういう数学で成り立っているのかって疑問に思ったのです。

それで数学の先生に疑問をぶつけても埒があかなくて、倫社の先生に聞きに行ったら「ウンウン、それはカントの認識論だよ」って言って。「あ、これって哲学だったのか」と思ったのが、バッハを聴いていた時と同じ頃ですね、。

島田 バッハとアポロ11号。1969年ですね。

黒崎 あの頃、『バロック音楽の楽しみ』という番組があって、皆川達夫先生と服部幸三先生が話していて夢中になりました。ちょうどオリジナル楽器で演奏する「古楽」が出てきて、ものすごく豊かでね。その後、カトリック系のギョーム・デュファイを聴くようになったりもしたけど、その頃はバッハ一辺倒で。

僕は自分を思い込ませるのが得意で、「カントしか哲学じゃない!」と思って10年くらい徹底的にやるので、その後何か来たときにやりやすい。自分の中で判断基準ができるのです。音楽も「バッハしか音楽じゃない」「コルトレーンしか音楽じゃない」って思い込ませるところがあって、それを徹底的に自分のものにする。

カール・リヒターのカンタータ106番『神の時こそ、いと良き時なり』の裏面、26番「ああ、いかにむなしき、いかにはかなき」「もし神がいないのならば」と最後に続くのですけれども、これを聴くと今でも青春時代が襲ってきます。この序曲と2曲目を流しましょう。

〜バッハ:カンタータ26番「ああ、いかにむなしき、いかにはかなき」試聴〜

リヒター(指揮)、ミュンヘン・バッハ合唱団&管弦楽団/バッハ:カンタータ

黒崎 私は高校生から大学にかけて、青春時代の焦燥感、生きるとは何かというようなものを、バッハに投影していました。今は「精神性」ということすら言われなくなりましたが、あの時代はむしろ精神分析とか現存在分析とか。精神的である、というのは非常に重要で、そういった意味でバッハは当たっていたと。もう一方はコルトレーンであったと。神と接しているということとどう繋がるか分からないけれど、ある種……。

島田 僕も、69年の安田講堂の攻防戦や、学生運動の高まりという動きがあったので、政治にも関心があればジャズにも関心があるというか。

黒崎 あの頃は学生運動って必ずやったので、ノンポリって特殊な存在でしたね。ジャズ喫茶に朝日ジャーナルと読書人と図書新聞を持って入るっていうのが当時の生き方。

島田 応援歌だったね。黒崎さん学生運動の経験は?

黒崎 ……ないですね。僕は外側にいました。僕は仙台一高でしたけど、ひとつ上の人は皆やっていたの。よくニュースで中核の内ゲバがあって、内ゲバで殺されました、とか。完全黙秘を貫きましたとか、沖縄返還とかも反対することが普通だった。でも私は勝手にチェロを弾き、オーケストラに入るといった、あまり政治と関係ないことをやっていました。島田さんは?

島田 一年の違いが結構大きいのかな。

黒崎 その違いもあるし、仙台は東京より少し遅れて伝搬してきたの。まあ、昔話になってしまいましたが、コルトレーンが面白かったのは、精神性を追求したアルバムと、『バラード』や『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』など肩の力が抜けたような作品もあったところです。しかし、当時コルトレーンに関しては『至上の愛』が最高だった。

島田 ジャズ喫茶でも『バラード』はあんまりかかっていなかった気がします。やはり『至上の愛』や『アセンション』がかかっていた。

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