玉木一郎

掲げる理想は音楽をどこでも楽しめること
オーディオメーカーと共に実現を目指す
スポティファイジャパン株式会社
代表取締役社長
玉木 一郎
Ichiro Tamaki

音楽のストリーミング配信サービスが国内で続々と開始される中、世界に1億人のアクティブユーザーを有し、“大本命”と言われるスウェーデンの「スポティファイ」がいよいよこの9月からまずは招待制でサービスを開始。本誌では、10月1日よりスポティファイジャパンの新社長に就任した玉木一郎氏への単独取材の機会を得、就任後初というインタビューに臨んだ。アマゾンジャパン合同会社で電子書籍サービスKindleの事業に携わった玉木氏の、新たに手がける音楽事業に対する意気込みやいかに。
インタビューと文・徳田ゆかり(Senka21編集長)/写真・柴田のりよし

人それぞれの好みに寄り添う音楽を提供し
ビジネスのチャンスを大きく広げる

スポティファイコネクトで
音楽の聴き方が大きく変わる

── スポティファイのサービスがいよいよ開始されました。

玉木日本での展開にあたってぜひ申し上げたいのは、弊社のビジネスはオーディオメーカーさんとともにあるという事実です。ストリーミングサービスはコンテンツを入手する手段のひとつで、そこに音楽の再生機器があってこそリスナーであるお客様とのタッチポイントが生まれます。ストリーミングの再生というとスマートフォンがイメージされがちですが、我々はそこに止まらず、リビングでもオーディオルームでも、屋外でも車の中でも、どこにいても音楽を楽しめる姿を理想としているのです。海外市場ではすでに、多くのオーディオメーカーさんと協業させていただいています。

── 協業とは、具体的にどのようなかたちでしょうか。

玉木最大の手段は「スポティファイコネクト」です。スポティファイのサービスと家電製品とをつなげる規格であり、技術環境そのもの。2013年にスタートしており、海外では数百のメーカーさんの対応製品で、即座にスポティファイを楽しめる環境ができています。

即座にとは、スマートフォンとの常時接続を必要としないということ。スポティファイコネクトでは、音楽のストリーミング自体をハードウェア側に完全に委ねられます。ご家庭内のWiFiで機器がスポティファイとつながれば、ボタンひとつで音楽が流れるイメージ。お気に入りのプレイリストやお薦めの楽曲も楽しめる。スマートフォンはリモコンとしても使えますが、なくてもかまわないのです。

外出先ではスマートフォンで聴いていた音楽の続きを、帰宅後は宅内の機器で聴く。ユーザーにとってシームレスな音楽体験になります。対応する機器であれば屋外でも屋内でも、部屋をまたいだマルチルーム環境で切り替えもできる。ご家族それぞれのアカウントで、機器ごとで別々に聴くこともできます。そして車の中や外出先でも、場所や雰囲気、気分や人数などに応じて、20億本以上揃っているプレイリストからふさわしい音楽を聴いていただくことができる。これがスポティファイのある生活のイメージ。音楽の聴き方が大きく変わるのです。

もうひとつの大きな利点は、スポティファイの高音質をできる限りそのままで楽しめること。スポティファイの最大ビットレートも320kbpsとなっていますし、つながる通信の規格としてブルートゥースよりWiFiの方が音質面で有利に働きます。ストリーミングサービスとして高音質であること、さらにその音質を落とさず再生できることもスポティファイコネクトの価値です。

── どこででもシームレスに音楽を楽しむ方向性は、かねてからオーディオメーカーが掲げてきた理想の姿です。

玉木スポティファイコネクトの真の価値は、「聴き方革命」と言えますが、そこで大きな役割を担うのがオーディオメーカーさんです。ストリーミングミュージックが普及している欧米ではここ5年間ほど、ハイエンドクラスのオーディオでもネットワークやストリーミングへの対応が進んでいる状況です。

日本ではストリーミングサービス自体がまだ普及していなかったため、日本の音楽ファンの方々は欧米のオーディオ機器の進化の方向性に違和感を覚えたかと思われます。いつでもどこでも好きなタイミングで音楽が流れてくるのが理想としても、そこに至る何かが欠けていた。完全なコネクテッドサービスはそこを埋める最後の駒です。

スポティファイコネクトでやっていくのはそういうこと。日本のオーディオメーカーさんもスポティファイのようなサービスがあることを前提にハードウェアをつくっていける。今までは日本と海外の市場の方向性の違いで製品づくりを分けざるを得ない局面もあったかと思いますが、ひとつの製品で海外市場でも国内市場でも戦っていく方向で開発がしやすくなり、製品づくりをグローバルに捉え直す好機になると思います。

リスナー、アーティスト
音楽業界の皆をハッピーに

清水三義── 日本でのサービス開始はグローバルで60ヵ国目ということですが、慎重に準備されたのでしょうか。

玉木あらゆるプラットフォームサービスにとって、ビジネスを多国籍化する際に真にその国に合うサービスを展開するのは想像以上に難しいこと。スポティファイはサービス開始から8年ですが、この期間に60ヵ国に進出できたことは驚異的ではないでしょうか。世界各国で独自の市場や業界の特性、制約条件があり、法律を始め、ユーザーの視聴環境などあらゆる違いの中ですべてをクリアするには時間が必要なのです。アメリカでの開始にも4年を費やしましたし、日本でも同様に時間がかかったということです。

やろうと思えば、拙速なやり方でもっと早くサービスを開始することもできたかもしれませんが、時間をかけて丁寧に進めた。サービスがこれからずっと続いていくためにその時間は必要でしたし、時間をかけることを創業者のダニエル・エクは躊躇しなかったのです。

スポティファイのビジネスモデルはまったく新しい形態で、単なる定額制の配信サービスではありません。今世界で著作権を侵害して提供されている音楽配信はあまりにも多く、その規模は正規の音楽産業より遥かに大きいとも言われています。これらに対抗し、音楽業界にきちんと還元されるかたちで、またユーザーにとってもいつでも好きな音楽を楽しめる、その環境をつくるというのがスポティファイのそもそもの始まりです。

無料であることがユーザーを惹きつけている違法ダウンロードに対して、それを遥かに超える使いやすさや価値を提示し、ユーザーに合法的かつ無料でも音楽を提供する。そして収益を音楽業界に還元する。これが会社の根幹をなすビジョンです。いわば近江商人の「三方良し」の考え方ですね。聴く側だけのメリットを追求すると非合法に陥る可能性があり、業界のことだけを考えると聴く人が著しく不利益を被るサービスになってしまう可能性がある。それらを解決し、さらにアーティストの活躍の場を提供する。我々がユーザー一人ひとりの好みを理解し、最適な楽曲を最適なタイミングでお薦めできれば、アーティストと音楽ユーザーを自然につなぐことができ、アーティストにとって収入源を広げることができると考えます。

これまでにない新しいサービスモデルであり、またフリープランを有するがゆえに業界やアーティストの利益を損なうのではないかと誤解されることもありましたが、我々は時間をかけて説明し、責任をもって存在を証明してきました。そしてこの8年間に、スポティファイのサービスだけで音楽業界に5000億円以上を還元できました。今の成長速度を維持できれば、それはさらに大きくなるはずです。

── 楽曲のキュレーションも大きな強みとしていますね。

玉木日本国内だけで見ればニッチな楽曲ジャンルであっても、世界規模では非常に大きな拡がりをもっているかもしれません。そのためにもプラットフォームがグローバル規模であることは重要です。我々のアクティブユーザー数は一億人超ですがその数は増加を続けており、同時に可能性もますます拡がっています。

アーティストや楽曲とリスナーが国を越えてつながる方法は、これまでもウェブを通じてなどあったかもしれませんが、そこにパーソナライズの考え方はありませんでした。どんな音楽であっても、届ける相手を誤ればその価値は理解されにくいもの。逆に人それぞれの好みに寄り添って音楽を提供できれば、音楽体験は楽しくなり、ビジネスのチャンスも広がります。スポティファイはそれを世界規模で実現することが可能であり、これが大きな強みといえます。

まずテクノロジーの力で、個々のユーザーの音楽の好みや視聴傾向を深いレベルで理解する。精度の高いアルゴリズムはスポティファイの根幹をなす技術で、ユーザーが使えば使うほど好みに合うおすすめの楽曲を提示してくれます。それもダイナミックに、まったく知らない海外ミュージシャンの音楽も含めて。私自身も日々そのような出会いを楽しんでいます。

またそれとは別に人的なキュレーションにも力を入れており、テクノロジーとの両輪としているのです。各国に音楽のプロであるキュレーターがあわせて50名ほど存在し、彼らが独自に楽曲をセレクトします。またキュレーター同士は、日々楽曲やアーティストの情報をやりとりしており、キュレーターが気に入ったものや、その国のユーザーに合うものがあれば積極的にプレイリストに取り入れて紹介しています。無理矢理押し込むのではなく、各国のキュレーターがお互いに情報交換をしながら、ユーザーに音楽を提案しています。

私自身もまだ日は浅いですが、スポティファイに入って一番楽しいことは、全員が音楽を愛し、音楽という一つの目標だけに向かって進んでいることです。皆が常にピュアに音楽のことばかりを考えている。キュレーター以外のスタッフも、音楽に対する情熱を皆強く持っており、良い音楽を一人でも多くの音楽ファンに届けたいという強い思いで仕事をしており、それは非常に楽しいことです。

玉木一郎音楽の楽しみ方を拡げ
業界に貢献する

── ご自身は電子書籍に関わられた経歴をお持ちですが、音楽ストリーミングとともにこれらをどうご覧になりますか。

玉木出版業界と音楽業界は非常に似た環境にあり、どちらも変化の前夜にいると感じます。電子書籍は日本で10年以上の歴史がありますが、Kindleがスタートして大きく成長した。Kindleの日本語書籍タイトルは当初5万冊したが、わずか3年で50万冊に増えました。市場も急激に伸び、今や国内で2000億円ほどの規模になっています。

その一方で紙にも普遍的な魅力があり、電子書籍に完全に置き換わることはないと思います。紙という情緒的な価値を追求するメディアと電子書籍という利便性を追求するメディアが対立概念として共存しているのです。電子書籍が読書の手段を広げ、市場をけん引役しているというのが今の共通認識だと思います。

それに比べると音楽の世界は不思議な印象です。1980年代初頭のCDの誕生と共に日本は世界でもいち早くデジタルへの転換を果たしたにもかかわらず、利便性の追求というデジタル化の本質が共通認識になっていないように思えます。CDは、デジタル化した音楽を運ぶ手段ですが、なぜか日本ではそれ以上の意味をもち神聖化されている。私はメディアがアナログからCDへあまりに早く移行した弊害ではないかと思っています。アナログレコードが果たしていた情緒的な価値、モノとして愛でられる役割を突然CDが担うことになり、その結果デジタルメディアであるCDをアナログレコードの代替として見る考え方が広がったのだろうと推察します。

たとえばドイツではデジタルに移行するまで時間がかかり、CDはデジタルとしてアナログの対立概念として徐々に理解されてきました。逆にストリーミング配信が出て来ると、同じデジタルであるCDからの移行は非常に早く進みました。そしてアナログレコードも、ビジュアルな部分も含めて価値を受け入れられている。

私個人の見方では、日本はCDの時代になりアナログから急速に移行したため、そこから身動きがとれなくなっているような気がします。デジタルが持っている「利便性」という価値を堂々と進化させてゆくことによってこそ、音楽から離れてしまったユーザーを取り戻すことにつながると信じています。そのためにも、いつでも世界中の音楽シーンに簡単にアクセスできるスポティファイのようなサービス、そしてその音楽をいつでもどこでも簡単に、そして高音質で楽しめるオーディオ機器の存在が鍵になってくるのではないでしょうか。

そのようなシームレスな音楽体験をなるべく早く実現することが、私の大きなミッションだと思っていますし、世界のオーディオ大国である国内メーカー各社との連携によって新しい価値を世界中の音楽ファンに届けることが日本人としての私の夢でもあるのです。

◆PROFILE◆

玉木 一郎氏 Ichiro Tamaki
1992年上智大学外国語学部卒、独フランクフルト大学経済学部留学。SAPジャパンバイスプレジデント、ミスミグループ執行役員等を経てアマゾンジャパンのバイスプレジデントとしてKindle事業および同社デバイス事業を統括。2016年10月1日より現職。

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