小川理子氏

これは、次の50年間のための新たな第一歩
これからも皆様と一緒に飽くなき追求を続けたい
パナソニック(株)アプライアンス社
ホームエンターテインメント事業部
テクニクス事業推進室 室長 理事
小川理子氏

2008年に展開を終了していたパナソニックのオーディオブランド「テクニクス」が2014年に復活を果たした。欧米を皮切りに、ついに2月から国内展開が始まっている。これを支えたキーパーソンの一人、同社の小川氏に話を聞く。アナログからデジタルへ、さらなるクオリティの追求へと変遷を辿ってきたオーディオの歩みとリンクする自身の経歴とともに、培われた音楽と音に対する強い思い。それらのすべてが、おおいなる復活の原動力となっていた。

 

これまでの20年間は助走期間
デジタルネットワークオーディオは
やっとスタートラインに立ちました

音楽の感動体験を
音楽を愛する
世界中の人にお届けする

女性を含めてより多くの方に
新たな楽しみ方を
味わっていただきたい


写真は2014年10月に開設されたパナソニックセンター東京1Fのテクニクスリスニングルーム。パナソニックセンター大阪1Fにもテクニクスサロンが開設され、双方の場所でリファレンスシステム R1シリーズとプレミアムシステム C700シリーズを試聴できる

人間の身体は
リズムでできている

── ピュアオーディオのブランドとして全世界に名を馳せた「テクニクス」が、今年いよいよ復活を果たしました。そのキーパーソンである小川さんにご登場いただきます。小川さんはパナソニックの社員である一方でジャズピアニストとしても活躍されていて、どんなご経歴なのかをお聞きしたいです。

小川まず3歳からピアノを始めました。もともとクラシックでしたけれど、私自身は与えられた楽譜の通りにピアノを弾くより、聴いたものを次々弾いていくことの方が好きでした。父が色々なレコードをかけてくれるのを一緒に聴いて、それを真似して弾いて。ジャズにはそんな風に触れて、独学でやっていたんです。

進学するときは音大でなく普通の大学を選び、そこでジャズ好きと出会って同好会で演奏活動をしていました。学問として先攻していたのは生体電子工学(メディカルエレクトロニクス)で、医学と工学が一緒になった分野です。たとえば目に刺激を与えると脳波にどんな変化が起こるかを測ったり、カエルの筋電位を計測して人が疲れずに歩ける歩行器に応用したりとか。物理工学と医学を融合した領域ですね。

そこで私が研究していたのは「生体リズム」です。人間の身体は色々なリズムで成り立っているのです。心拍や呼吸も、細胞のひとつひとつや臓器の動きも、すべてある一定のリズムをもち、それぞれに相関関係があります。人間の身体はそうしてバランスを保っているけれど、さらにそこに自然界の色々な動きやリズムも関係していると考えられるのです。天体の動き、月の満ち欠けや潮の満ち引きなどとも関係しているのではないか、というのが私の論文の仮説でした。音楽のリズムも、私にとって非常に興味深いものになります。

卒業して就職するにあたって、研究室の先生が松下電器のオーディオ事業部にいるご友人を紹介してくださいました。早速その方を訪ねましたら、「これからはオーディオの時代じゃない。こんな成熟産業には来ない方がいいよ」と言われてしまいまして。その時は頭をガーンと殴りつけられたようなショックを受けました。けれど、音楽はこの世からなくなるものではないと思い、ぜひこの仕事をしたいと志望したのです。

デジタルオーディオの
黎明期での研究

小川松下電器に入社したのは1986年。バブルの気運が見え出してきて、業界全体が音よりも映像や情報関連の事業にシフトする時期で、オーディオ事業部の方もその流れをいち早く察知していたのでしょう。でも私が配属されたのは音響研究所という部署で、ラッキーにも希望どおりの職種だったんです。

音響に関わる仕事はとても面白く、奥の深さを感じました。目に見えない音を、人はどう評価したり感動したりするのかを追求して。たとえば原音比較をする際でも、映像の場合はAとBを同時に見比べることができますが、音はAとBを同時には聴けませんから、Aの音、Bの音を聴く間に絶対的な時間のずれが生じます。だからこそオーディオがもつ時間軸の芸術というのは、空間性とともにものすごく奥深い。そこでやらなければいけないことが、たくさん出て来るのです。

音楽の本質は、リズムとメロディとハーモニー。さらに音響の中でリズムと低音感には大きな関係があります。リズム楽器であるコントラバスやドラムスも低音の出るものですし、ピアノでのリズムパートも左手の低音ですね。音響をつきつめると、低音感が音の良し悪しに大きく影響しているのがわかります。ですからリズムの観点からすぐれた低音とはどういう音か、それを人間はどう感じるのかも研究しました。

カーオーディオを手がけた時には、車の中でいい音に満たされる感覚は、お母さんのお腹の中にいるときの赤ちゃんの感覚に似ているとわかりました。羊水の中では高音は減衰してしまうので、赤ちゃんは低音のゆらゆらした海の中で10ヵ月間、音の振動を皮膚で感じ、耳で聴いて育つのです。そして生まれた瞬間に、空気のざわめきや自然界のもつ低音、ゆらぎのある木のざわめきとか風の音を初めて感じ取る。人間はそういう心地よさの中で自然界とのバランスを保っている、とわかったのです。それは私が大学時代に研究していた、生体リズムと天体リズムとの相関に関わることでもありますね。そういった研究をして、開発にフィードバックしていたのです。

1982年に世界で初めてCDプレーヤーが出ましたが、私が入社した頃はちょうどオーディオがデジタルに突入した時代です。でも、「アナログの方が音がいい」と皆が口々に話題にしていました。だから私も、デジタルオーディオでいかにいい音を再生するかを研究しました。

アナログの音は、エジソンの蓄音機の発明から100年間かけて芸術性も文化性もすべて高みに達し、一定の完成度を得ました。そこから一転してオーディオはデジタル時代を迎えて、なぜ音が悪いと言われるのか。メディアに押し込むためにコンテンツの情報量を欠落させていることもひとつ。またマイクからスピーカーまで制作のプロセス全てをデジタルに替えても高位平準化ができていず、コンテンツそのもののレベルもバラバラだったこともひとつ。レコーディングエンジニアやミキシング、マスタリングエンジニアもデジタルの技術を試行錯誤で追求していました。それはまさにデジタルオーディオの黎明期で、ホットな一瞬でした。

上司が教えてくれた
音楽の大事なこと

小川氏── ミュージシャンとしてのご活躍はいつ頃から始められたのでしょうか。

小川実は音響研究所の私の上司が、ジャズのドラマーだったのです。それも日本でも有数の、ニューオリンズスタイルのアマチュアの第一人者、ニューオリンズの名誉市民にもなっている木村陽一さんという人です。毎週土曜日にドラムを叩いていました。

そして私は音響研究所で7年目を迎え、バブルの崩壊とともに加わっていたプロジェクトが解散したのです。30歳になる年でしたから、会社を辞めて結婚するか、違う仕事をするか、それともこのまま会社に残るかと、すごく悩んでいました。すると上司である木村さんが、「まあまあ、そう落ち込まず一緒に音楽をやろうや」と。それがきっかけです。木村さんがやっていたニューオリンズスタイルというのはジャズの原点なんですが、私はそれまで聴いたことがありませんでした。木村さんに、ジャズが好きでこれからもやりたいのならぜひ勉強するべきだと言われて。大学時代もジャズは遊びでやっていましたしその時も最初は趣味の延長線上でしたが、やり出すとすごく面白い世界だとわかってきたんですね。

それで1880年代、1890年代のラグタイムから原点を聴きだして、あるときハーレムストライドスタイルに出会いました。それは左手がものすごく正確にドライブ感のあるリズムを奏でる弾き方です。ジャズに必要なのはこのリズムか、と思いました。そこに大学の勉強もオーディオでの研究もすべてが結びついて、やっぱりこれは私のライフワークだと。そこから演奏も真剣にやり出したのです。

木村陽一さんはニューオリンズラスカルズというグループの一員ですが、そのグループはメンバーが70歳代、日本でのニューオリンズスタイルの草分けで世界的に有名です。私は今でも年に1〜2度は木村さん達と一緒に演奏していますし、また別の方と組ませていただくときもあり、定期的に演奏活動を続けています。

コンテンツ配信で
新たな時代の幕明け

── パナソニックでのお仕事のその後は。

小川音響研究所には15年間在籍し、オーディオの扉を開けて根本的なことをいろいろと勉強させていただきました。前半はテクニクスブランドとしてデジタルオーディオでのいい音を追求しましたが、次に関わったのはCDの次のメディアとしてのDVDオーディオでした。映像からフォーマットができたDVDがオーディオに取り入れられることになって、DVDオーディオのアライアンスで標準化活動のメンバーに入ったのです。今でこそ「ハイレゾ」が盛り上がっていますが、その当時から96kHz/24bitの音源を扱っていて。自分でレコーダーを担いで収録してまわったり、スタジオをつくったりしましたよ。

1970年代までのアナログ時代のオーディオは、ずっといい音を求め続けてきましたが、デジタル時代になったとたんに便利さ、手軽さ、気軽さ、多様さを求める方向へと変わりました。屋外や車の中でも手軽に音楽を聴けるようになり、リスニングスタイルやライフスタイルにも影響してきましたね。

そして90年代に入ってからは、ネットワークの世界に突入します。今度はコンテンツの配信ですね。そしてその頃私も、ネットワークサービス部門に移ることになりました。7年間、コンテンツをネットワーク環境でどういう風に配信していくかに関わったのです。ここでは結局、開発、企画、運用までネットワークサービスの全てを手掛けました。最初は映像や動画の配信で、ミュージシャンのコンサートを質のいい音と映像で届けることなどを行いました。

音楽を配信するにあたっては、細いネットワークに流すためにコンテンツを圧縮しなければならない。それをちょっとでもいい音にするためにフォーマットをいじったりして。情報量が欠落する際でも欠落のさせ方によっていい音になるとか、そんなこともやっていたんですよ。こうした限られた条件の中でベストパフォーマンスを出すことをずっと研究していました。ネットワーク側も細いところからどんどん太くなり、受け手側も当初のパソコンからいろいろなデバイスが出て、音楽配信に関わる条件はどんどん変わってきました。

そして今、デジタルネットワークオーディオは、やっとスタートラインに来たかなという感じがします。ネットワークもようやく充実し、また人間も多様なリスニングスタイルに慣れて来ましたね。ハイファイユーザーやオーディオファイルはオーディオに対峙して聴きますが、音楽を楽しむ愛好家は、音楽の方を自分に添わせる聴き方をしています。

私も関わってきたこれまでの20年間は、デジタルネットワークオーディオの助走期間でした。アナログが100年で文化性や芸術性を高めたように、デジタルネットワークオーディオは多分これからどんどん成熟していくのだろうなと思います。

感性の時代に
ブランド復活を果たす

―― お話いただいたこれまでのこと、小川さんのご経歴がすべて、テクニクスの復活に関わる重要な要素に重なりますね。御社でのテクニクスブランドの本格展開に至る経緯をお話いただけますか。

小川当社ではテクニクスブランドがなくなった後も、ホームシアターや映像系、車載系、ネットワークというように開発のカテゴリーは分散しましたが、オーディオの資産は蓄積されていました。今のテクニクスのチーフエンジニアもブルーレイの開発をしてきましたし、テクニクスで培った高音質で高品質な再生技術の蓄積に加えて、先進のデジタル技術の進化に常に関わってきたのです。つまり、新たな時代の新たなテクニクス製品を生み出す素地は絶えず存在していたわけです。

そんな中で、「ハイレゾ」でいい音が復権し出している兆しをいち早くつかみとって、音に関わってきた現場のエンジニアの間でテクニクスを復活させたいという思いが高まってきました。最初はプロジェクト以前の有志たちの集まりでしたが、この現場の思いが一番の原動力となっていったのです。

テクニクスブランドは、欧州での認知度が60%あり、日本でも40%を超えています。今まで50年間先輩方が築き上げ、そしてありがたいことにご販売店様にもいろいろなご協力をいただいて、見えない資産としてブランドの力も残っていたのですね。パナソニックブランドでも音響製品を展開していますが、音に至ってのブランド力は断然テクニクスに軍配が上がります。テクニクスはもともと、ビエラやルミックスのようにパナソニックのサブブランドの1つだったのですが、ここでそれを個別ブランドとして、オーディオの見えない資産であるブランドバリューをもう一度生き返らせ、輝かせたいという思いが高まったのです。

時を同じくして会社の中で、「感性」が重要視されるようになってきました。振り返ると私が新入社員の頃、技術者が感性などという言葉を口に出そうものなら、「なんだそれは。すべてはスペック、数値だ」と言われたものでした。数字で見えるものこそが品質を語るということですね。でも私としては、音楽のすべてを数字で表現できるんだろうかと当時もすごく矛盾を感じていて。 もちろんすべてのバックグラウンドには技術があるわけですが、音の良し悪しについてある領域から上は、数字では見えないものの議論になってきます。それは今開発していて実際に感じますね。脳科学の領域に入るのだと思います。人間がどういう風に音を聴いて感じているか、脳の働きが全部解明されたとすれば数値化できるのかもしれませんが今はまったくその域に達していませんから。

感性は、こと工学の分野では二の次にされてきました。けれどやっぱり人間の五感、音も映像も、味も匂いも質感も、感覚というのは生きている限りずっと失われない大切なものです。今テレビが4Kになり8Kになり、視覚の感性に訴える高品位なものになっていますし、キッチン家電も味覚や触覚に訴え、またいかに美しく操作しやすいかと感性に直結する価値観がどんどん生まれています。それはようやく感性が重要視されるようになったからこそと思います。

そうなった今、パナソニックの中で音の製品はどうなのかというと、まだまだ追求し切れていないところがありました。それならずっと蓄積してきた技術を活かし、新しい価値観として多様なリスニングスタイルで多様に楽しめるデジタルネットワークオーディオを使って、新たな提案ができるのではないか、というところに至ったわけです。テクニクスを復活させることができたのは、こうした全てのタイミングが一致したからということなのです。

音が鳴った瞬間に
素性が出る

── オーディオが全盛期から低迷期を経て、そして今復活しようというまでの時代を、小川さんはご自身で経験されてきたわけですね。入社されたときはオーディオに将来性がないと言われたけれども、もう価値観は変わった、違うフェーズになったということ。テクニクスの復活とともに、今の時代のオーディオの楽しみ方が新たに提案できそうですね。

テクニクスのプロジェクトの中では、どのような関わり方をされたのでしょうか。

小川ネットワークサービス部門を経験したあとは、2008年にCSRという部署に行き、会社の社会貢献、社会インフラの中での企業価値向上に関わりました。社会文化というグループで文化的な価値観を企業としてどう捉えてどう貢献ができるかと。それは私にとって音楽のことを考えるのにもいい期間でしたし、実際に演奏者としてチャリティコンサートも何回もやりました。そしてある日突然ボスから言われて、2014年の春にテクニクスに携わることになったのです。

そこでまずは、テクニクスのフィロソフィーを打ち立てました。今までの50年とは違う、これから先の50年をつくりあげていく求心力のあるフィロソフィー、皆のより所となるポリシーが必要で、それを再定義するのが最初の仕事でした。そのとき、技術の追求をして音楽再生の限界に挑戦するという過去のテクニクスのDNAももちろん強みではあります。けれど時代の進化に適応するには、新しい価値観、多様なリスニングスタイルで多様な楽しみ方をする、新しい世代に応えていくための音楽の普遍性がさらにプラスαとして必要でした。

完成したフィロソフィーは、「音楽の感動体験を、音楽を愛する世界中の人にお届けする」ということ。プロダクトをお客様にご紹介し、ご購入され聴いていただいて、その先、そこでお客様が本当に感動されるところまでお届けするのが、世界最高クラスの品格と完成度を追求して、音楽の感動体験を届けるということなのです。

それから次には、音の方向性を決めていきました。私は音楽を演奏する経験から、オーディオをつくっていく上でふたつの大きなポイントを重視しました。ひとつは音が出た瞬間の感触。そしてもうひとつは、長く聴き続けられるかどうかです。音が出る瞬間が重要だということは、ずっと昔から感じていましたが、あるときお酒のメーカーのチーフブレンダーの方と話をすると、お酒の良し悪しは瞬時にわかるとおっしゃったんです。感性を駆使してブレンドされる中で、香りと味を感じた瞬間にわかると。それで確信しました。ああー緒だ、感性の世界ではやっぱりそうなのかと。オーディオも音が出る瞬間に、素材の良し悪し、音の生命力がわかるのです。

── 素材というのは。

小川音楽の入り口から出口までのすべて。コンテンツそのものの録音に起因するところもあるし、音の伝送系や再生系に起因するところもあって、そういったものすべてです。 その良し悪しはいろいろな機器の組み合わせで検証していくのですが、聴いた瞬間のインプレッションと、15分後、30分後とではぜんぜん違うんですね。たぶん味覚や嗅覚で感性評価している人もそうではないかと思うのですが、官能の部分は時間とともに変化していくんです。でも一番本能的にわかる、直感的にわかるところが、感性評価のかなり大きな部分を占めているような気がします。

瞬間の音の良し悪しというのは、コンテンツがどこまで実在感のある音を収録できているかということにもよりますが、表現そのものによります。音のもっている潜在能力で生命力やパワーが表現できているかどうか。だから聴いた瞬間に、音が死んでいるのか生きているのかがわかる感じです。

長く聴き続けられることが重要だというのは、2000年から5年間、フロリダのジャズフェスティバルに出演していて学んだことです。現地アメリカの一流のジャズプレーヤーの演奏を聴いていますと、彼らはぜんぜん力を入れずにやっているのですが、こちらに飛んで来る音がすごく心地いい。まるでカシミアの毛布にくるまれているみたいな感覚でした。24 時間そこで聴き続けていてもまだ聴きたいというくらいの感覚になる。それが本当の音楽だ、と学んだのです。オーディオもそうあるべきだと思います。だからこそ愛着を感じていただける。そういう音づくりをやりたいと思っています。

── 心地よく、「生体リズム」に沿って聴けるということでしょうか。

小川そうですね。飽きがこないというか、疲れず感動が途切れずに聴ける、それが愛され続ける秘訣かと思います。

新たなプロダクトが
ついにお客様のもとへ

小川氏── 一時はスペックがすべてだという時代があったものの、今はまさにその感性が企業としても重要視されてきていますね。そしてテクニクスは、最終的には心の琴線に触れる、感動としてお客様の心に残るまで請け負うということですね。復活における最初の展開は、ハイエンドとミドルクラスの2機種となりました。

小川もともとミドルクラスを先にということで進んでいましたが、せっかくのブランド復活なのだから、ハイエンドも一緒に商品として出そうと。二つを一緒に商品化するに際しては、言葉では言い表すことのできないものがありました。開発して実際に音が鳴り出したのは2013年の12月頃ですが、苦労の甲斐あってそれから1年ほどの短期間で仕上げることができたわけです。

それができたのは、テクニクスというブランドがずっと昔から技術を真面目に追求し、先進の技術に挑戦し続けてきたから。そのDNAが残っていて、頂点の技術、先進の技術で独自性のあるものに対する強いこだわりがあったからです。リファレンスクラスは100万円を超える価格のアンプですが、そこまで手をかけてつくるのは何十年ぶりかのこと。技術者も思いのたけを込めて取り組みました。

── 先進の技術を追求しつつも、外観はメーター針のあるアナログ的な雰囲気ですね。

小川あれはデザイナーもこだわりました。当初針メーターは社内でも賛否両論でしたが、アナログの針メーターは大事にし続けてきたもので、今回先進のデジタル技術、音響技術を採用しながらデザインは何かテクニクスのアイコニックなものを取り入れたいという熱意があったわけですね。今年のラスベガスのCEショーで展示した時に、テクニクスを知る人にも知らない若い方にも目に留めていただいて、次の世代にも心に響く価値観がこのデザインには生き続けていると思いました。

── 国内でもついに、製品がお客様の手元に届くところまで来ました。

小川商品が家に届いて箱を開ける時のわくわくした喜び、その瞬間から幸せに包まれていただきたいと思います。お客様から寄せられるご感想も楽しみにしておりますし、それがまた私たちの次の肥やしになりますから。お店の方々からもぜひご意見やご感想をたくさん頂戴したいですね。

これは飽くことなき追求、次の50年間を続ける第一歩。それを皆様と一緒につくっていきたいと思うのです。それは私たちだけでは実現できません。お客様ともご販売店様とも、メディアの方々とも、皆さんと一緒にいい世界をつくっていきたいのです。今つくづく思うのは、音の世界、オーディオの世界にはなんて多様な個性があるのかということ。こんなにいろいろな個性は、テレビにもビデオにも、他の家電にもないと。時代とともに変遷するものはあるけれど、その奥深さがずっとつながってきているのかなと思います。

オーディオの楽しさを
女性にも伝えたい

── オーディオはアナログの時代、デジタルの時代を経て、今その両方のよさを融合しようとする動きを感じます。ハイレゾもそのひとつで、利便性の追求だけでなく、感性も含めた音のよさも再確認されるようになって。いよいよオーディオの第3のステージの始まりといったところでしょうか。

小川そうですね。その価値観をうまく両立させて、このスタートポイントからどうやって幸せなオーディオ文化をつくり出すかということが次の課題ですね。それを私はぜひ、女性にアピールしたいんです。オーディオの世界には女性が少ないですよね。ふと自分の職場を見ても、テクニクスのメンバーは全員男性ですからね。音楽を好きな女性はたくさんいらっしゃるわけですから、ぜひ、エデュケートしていけるようなことをしたいのです。

私はラッキーなことに、音響の仕事に入ったからこそオーディオの扉を開けることができましたが、もしこの仕事を選んでいなかったら本当に近寄れない、まずオーディオ売り場にも行かなかったと思います。これを何とかしたいなという思いはあるんです。オーディオのように男性の趣味の世界、それはそれでいい世界だと思いますが、もっと広げていくために私ももうちょっと貢献できたらと思うんです。

── 小川さんご自身の登場がその鍵になりそうです。オーディオが新たなフェーズに入ったということで、楽しみ方の多様性のひとつというか、女性にも受け入れてもらえる価値観が提示できそうですね。小川さんとテクニクスとは、運命的な関わりが感じられますし。

小川運命を通り越してもはや宿命ですね。自分の意志ではないところで宿命づけられているとつくづく思います。私が今ここにいる意味を考えますと、ミュージカリティを含め新たな楽しみ方を、女性を含めてより多くの方に味わっていただくこと、そんな風にオーディオに貢献できればと思っています。これからも精一杯、楽しみながらやっていきたいですね。

◆PROFILE◆

小川理子氏
1986年松下電器産業(株)入社。音響研究所、事業推進本部にて音響機器の企画、研究開発、商品化を担当した後、マルチメディア開発センターにてDVDオーディオ国際標準化推進などを担当。2001年 eネット事業本部に異動、ネットワークサービスの企画開発、運用を担当。2008年 全社社会貢献の責任者に就任。2011年 同社理事就任。パナソニックスカラシップ(株)社長、パナソニック教育財団理事を兼任。2012年 全社CSR 社会貢献の責任者に就任。2014年5月よりアプライアンス社ホームエンターテインメント事業部にてオーディオ成長戦略担当。12月 テクニクス事業推進室 室長に就任。また3歳からクラシックピアノを学ぶ傍ら独学でジャズを習得。松下電器産業入社後演奏を中断したが、1993年に上司でニューオリンズジャズドラマーの木村陽一氏とジャズを再開、仕事をしながらジャズピアニストとしてソロ・トリオ・コンボでの活動を続ける。現在までに自主制作を含めて14枚のCDをリリース。

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