巻頭言

気候変動

和田光征
WADA KOHSEI

このところの気候変動は世界中で大災害をもたらしているが、それはもとはといえば人間が原因をつくっているもの。今後はさらにエスカレートするのではないだろうか。夏は猛暑、冬は極寒が当たり前になり、自然のバランスが完全に壊れていることが理解できる。

私は少年の頃、世界地図を見て世界の四大文明の地域が殆ど砂漠なのに驚いた。そして調べてみるとその原因にエネルギー源があったことが解かった。つまり、木である。エジプトのピラミッドやスフィンクスが鎮座する今や大砂漠となった場所は、かつて緑に覆われた森だったはずだ。

文明が起こると人々は町へと集まってくる。そこには火が欠かせない。食事や暖をとる為にエネルギー源である木を切って燃やす。大きな木から時間の経過とともに潅木まで切っていく。すると植物を生み出す表土は雨風によって風化され流され、最後は粘土質だけになり砂漠化する。世界のあちこちで同じようなことが都市化が進むことによって起こっている。これが気候変動をも生み出しているのではないか。

私は夏という季節が好きである。故郷には日本名水百選に川そのものが選ばれた白山川があって、遊泳や魚漁りをやって過ごした。私は魚をじっと待つ釣りよりも魚のところに出向く漁が性に合っていたので、水中のはるか向こうまで見渡せる綺麗な川の様子が今でも脳裏から離れない。そして息をする為に水面に顔を出した時の山々の緑、青く高い空と真っ白な夏雲の佇まいの美しさ、心が洗われるような河鹿の鳴き声…。私自身の脳に甦って終生離れようとしない。

そして私は雷の音、稲光、本物の夕立が好きだった。たばこ農家だったので乾燥小屋があって、一晩中火の番をやった。青々としたたばこの葉が見事に山吹色に変わっていき、それを選定と言って中葉、本葉、天葉、土葉と仕分けし梱包して出荷する訳である。

私にとって川と同様に忘れ得ないのが乾燥物の寝ずの番の夜半に見た、稲光と激しい雨である。激しい雨だから、やや高台にある乾燥物の小屋から物凄い勢いで下っていく鉄砲水が見える。それも一瞬の雷鳴と稲光に浮き上がって。私はその様を少年の目で凝視し、記憶に刻みつけていた。

夏の始め、田舎の田植えは6月だった。「今年は台風が来ないからまだ田植えができん」と父から葉書が東京に届いたことがある。早苗の高さが15p位あって、今の様に田植え機はないから部落総出で一列に並んで植えた。

変わり者の私は田植えが終わった夜半、田甫の畔に莚むしろを敷いて、早苗の植わった田甫に映るゆらめく月光や時折蛙が飛ぶ水紋を随分と長い時間楽しんだものである。空気はほどよくひんやりとして山々はまさに月照そのもの、天の川も天空に横たわっている。何とも贅沢な少年のひとときだった。

自然が自然らしくあった頃、すべては現在とは別の風であったし、人々もまた温かくやさしかった。気候変動ばかりでなく人々もまた変動してしまわないか、深く思ってしまうのである。

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