巻頭言

震災1年に思ふ

和田光征
WADA KOHSEI

私は朝7時半からNHK BSプレミアムで朝ドラを見ながら朝食をとる。新聞を隅々まで見る。そして、朝ドラが終わった7時45分から「里山」を楽しむ。私の故里の里山を重ねながら何とも心温まる時間である。

そして、福島の里山から追われた人々を想起し心が痛んでやまない。里山そのものにも申し訳なく思い、いたたまれない。この1年間、毎朝のように「里山」を放送し続けたNHKの放送チームに感謝でいっぱいであった。

東日本大震災、原発事故から1年が過ぎた。それなのに遅々として復旧から復興への道を辿れないでいる状況を見るにつけ、日本という国も無責任な国になってしまったと深い憤りを覚えてならない。私は地震発生と同時に、超法規的な非常事態宣言をして、速やかにすばやく事態の対処に取り組むべきであると思った。ましてや原発事故も起こって極めて危険な状況である。

ところが、日本では非常事態宣言を発令する法律がないとのこと。あの直前に発生したニュージーランド地震では、発生後即非常事態宣言が発動された。今や彼の地が復興を遂げていることを見るにつけ、日本政府は人の命を何と考えているのかと、ただただ憤怒を覚える限りである。東京にいて被災地を見ている、考えているというナンセンスぶりは、まさに他人事の世界である。

事故発生時、当時の菅首相がヘリコプターで福島第一原発を遠視するパフォーマンスがあったが、首相が代わり、1年経っても根本が変わっていないことの無責任さにただただあきれるばかりである。その要因は何なのか。象徴的なのは、復興庁ができたが、その中身は5省40事業がまたがった省利を争っている構図となっていること。復興の遅れはまさに、時間軸の欠けた政府の無策ぶりとタテ割り行政の欠陥によるものである。

かつて阪神大震災で、当時の村山首相が「ともかく命を救え」と方針を出し、小里大臣を現地に張り付け、首相は官邸に24時間待機して素早く対応した。そのこともあって復旧、復興は見事に終息することとなった。このイメージがあったからこそ、そうした対応が成されるものと誰しも思った筈である。スケールが違う、と書いた新聞を読んだが、スケールの大小ではなく、理念、思想の問題である。まさに理念なき政府の稚拙な初動がすべてを狂わせ、未だにそれは続いているのである。

現内閣も「終息宣言」を原発事故に対して行ったが、この時期に何を考えているのかと、国民すべてが思った筈である。本質を力強く捉えた復興計画をハイスピードで、しっかりと全貌を把握し遂行すべきである。

先日タクシーに乗ったら、福島出身の、原発事故で故里を追われた運転手さんだった。「…仮設住宅でお年寄がうつになって、亡くなっている人も出ているんですよ。土いじりのスペースでもあれば、花や野菜を育てて元気になるんですけどね。それから何でも個人情報というのも困りますね。身内や親戚が入院したというので病院に電話したら、個人情報なので教えられませんと言って切られるんですよ。こんな状況下ですから、気遣いがあってもいいと思うんです」と、憤懣やるかたない思いで語っていた。

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