巻頭言

たびだつ

和田光征
WADA KOHSEI

斎藤宏嗣先生が73才で逝去されました。以下は私の弔辞です。追悼の意をこめて、慎んで全文掲載をいたします。

やわらかな2010年の大晦日。

その日は朝から晴天深く、陽光眩しく、夕焼けは信じられないほどに美しく輝き、夜の幄に満天の星が煌めいていました。そんな午後11時39分、親愛なる斎藤宏嗣先生は黄泉の世界へと旅立たれました。

まさに巨星墜つで、業界にとりまして計り知れない損失であり、誠に悔しく残念でなりません。

先生は2008年秋に入院されましたが、退院されてからの仕事ぶりは精力的で見事な回復振りでありました。昨年10月14日は自身が28年に亘って審査委員長を務められたオーディオ銘機賞審査会で審査委員長として陣頭に立ち、職責を完璧に全うされました。

先生と私のお付き合いも40年余りになりますが、昨日のことのように想起されますのが、季刊オーディオアクセサリー誌創刊の時の議論でした。連日連夜、壁に貼られた模造紙いっぱいに対象商品を何枚も何枚も書き連ね、そして議論に議論を重ねてようやく発刊にこぎつけたのでした。先生の存在なくしては果たし得なかった大仕事で、季刊オーディオアクセサリー誌は今日においても有力オーディオ誌として業界発展に寄与しております。

先生は高周波の専門家でしたのでハード、ソフトに対する評論の視点はたえず先駆的で前向きで本質に根ざした展望がありました。そのことは1980年前後のカセットオーディオ時代の予見と実現、デジタルオーディオの第一人者としての予見によるCD時代の到来で花開きました。先生の輝かしい足跡によるところが大きかったと思います。そのスタンスは今日まで不変で、オーディオビジュアル業界に多大なる貢献をされました。

柳生家の家訓に「袖触れおうた縁をも生かす」がありますが、先生の人との縁、ソフト、ハードの技術、製品開発に対する縁は、まさに大人そのものでありました。

明るく前向きで仁徳兼備の先生の周りには、いつも多くの人が集い、議論伯仲、笑顔満開で、さながら夏目漱石山房のサロンのごとき佇まいでありました。とりわけ先生は次世代を担う若いエンジニアの皆さんへの愛情が格別であったと思います。

そして先生は家族の絆を大切にされた方でありました。最近はお孫さんに夢中で、いつも写真をデータ保存されて目を細めていました。

何よりも賑やかであることが大好きだった、太陽のごとき先生の生き様は私たちの脳裏に沈殿し、そのすべては人生の師として受け継がれ語り継がれていくものと思います。

私は斎藤先生と出会い、今日までともに歩んできたことへの幸せに対し感謝の念でいっぱいでございます。

先生、ほんとうにありがとうございました。


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