巻頭言

デルタスピリット

和田光征
WADA KOHSEI

『シカゴはカナダからの冷気がミシガン湖づたいに流れてきて、昼間でもジャケットを羽織らないと背中がゾクッとする。夕方から夜にかけては、さらに気温が10度を割る程になって、ダウンタウンの人影はグッと少なくなった。それほどにCES期間中のシカゴはちょっとした異常気象であった。

私は6月3日にシカゴに着いたのだが、6月5日の昼頃にはデルタ航空の機内にあって南に向かっている。機内から見る雲の形や色あいには寒色からグングン積乱雲みたいな、いかにも夏のそれに変わっていく。南へ向かって飛んでいるんだナという実感は、夏が好きな私を感動の淵へといざなっていった。

「ところで、デルタスピリットって知ってますか」と隣にいた日本人が語りかけてきた。明るい機外を見つめていた視線を、その日本人に移して「…デルタスピリットですか?」と訊き直した。「そうです。DELTA Spiritです」。「それはどういうことですか」私はデルタ航空機に搭乗している自分に気づいて、早くその内容を確認したい心境になった。

「今でも、幾分続いていますが、航空料金のディスカウント戦争が最も激しかった時期があります。ディスカウントした上に過剰な特典が用意されて、集客合戦が行なわれたんです。特にイーストコーストにおけるビジネス便がその渦中にあったわけです」。そういえば…と私は呟いた。「確か2〜3年程前にデルタ航空とアメリカン航空が航空料金のディスカウント合戦を展開しているニュースを見たことがありますよ」。

「日本でも話題になったと思いますよ。デルタはその為に経営が悪化して、新型機の導入が出来なくなった。そんな折に社員やOBを含めた多くの人から…我々は今までデルタに世話になったじゃないか、会社が困っている今こそ恩返しをしようじゃないか…という声があがって、何と新型旅客機を1機会社にプレゼントしたんです」。

すると全社員、OBがお金を出し合ってですか」と私は信じられないという顔をして、その日本人の顔を見つめた。1機100億前後もするジェット旅客機である。1人1人がかなりの寄金をしない限りは不可能だ。ましてや、表面的に愛社精神の固まりのように宣伝される日本のビジネスマンが、わが家の経済を侵してまで会社にかなりの金をプレゼントするなど、まず考えられないからだ。時間と肉体は1人のものだからそれなりの無理もするし仕事への情熱へと昇華できるが、経済への侵食は意外とシビアである。それは日本ばかりでなく欧米でも同じことであるし、また、それが一般常識であろう。「ちょっと常識外の行為ですね。しかし大変な愛社精神ですね」と感動を吐露した。

「…そんな会社の飛行機なら安全だ…ということになって、料金が多少割高でもデルタを選ぶ客が増えて、経営状態も良くなったんです。私も正確な時間と快適なサービスを受けるためにデルタを利用しているんですよ。他の会社は平気でストをやったり、客扱いが良いとはいえないし、機内ももうひとつ奇麗ではない」。

デルタの本拠地アトランタ空港には、デルタスピリットの巨大なパネルが掲げられていて、それをモットーにしてデルタは伸び続けているとのことである。』

これは1985年8月号の巻頭言の再録である。JALが経営危機に陥りデルタに支援を仰ぐニュースを知った時、「デルタスピリット」の一文を思い起こした。

世界同時不況の只中、愛社精神はどこかへ吹き飛んでしまった感がある昨今、あの頃の輝きに思いを馳せてしまったのである。

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