巻頭言

個人密着型社会

和田光征
WADA KOHSEI

ライブドアVSフジとの戦いはどう展開していくのか。6月のニッポン放送の株主総会が大きなポイントとなるであろうが、私はライブドアとフジという図式からITとメディアという視点で見てみると真理が潜んでいることが分かる。
ソフトバンクも楽天もテレビとの融合を結局考えているのであって、かつてマードックと仕掛けたテレビ朝日のことも結局はライブドアと変わらない。
楽天の三木谷氏も「放送と通信を分けている意味は全くなく、ネットで見るのと地上波で見るのと何も違わない。将来必ず融合すると判断している」とし、従って楽天もテレビ局とのコラボレーションを視野に入れて動き出していると言えるだろう。
よく、AOLの失敗が言われITと放送の融合は難しいとの見解もあるが、あれは早すぎただけであって、参考にはならないだろう。その後における通信事情では隔世の観があり、そのブロードバンドへの勢いは止まるところがない。
このことは何を意味するのか。
ひとりひとりが携帯電話を手にし、通話やメールでとんでもない便利さを享受していることから発想すると面白い。ついこの間までは公衆電話を探して用を足すという不便さを味わっていたことから見ると、大人から子供までが携帯を持つということは革命である。その便利さは人間の本質と重なっている。従って様々な形で個人のものとして進化することは当然である。
放送は認可を受けた既存局が、取材・編集し、価値化させて電波に乗せ、視聴者へ送り込む。当然ながら報道の自由と言いながら時には権力と迎合したり、或いは自分の子供達の成長への影響に無関心な勝手な価値を押しつけ民衆を総白痴させてしまう。
インターネットは携帯感覚の便利さでインタラクティブに放送を見、参加することができるということである。つまり放送のように一方通行で高いコストをかけてのものではなく、もっと気軽に便利に使えるのである。まさに放送と通信が融合することによって時代は一変していく。そのことは携帯電話が1人1台を実現していることと同様に便利さの享受、個人密着型の進化したものとなる。
当然ながら家庭用テレビも地上波の受信機から融合型テレビへと変わっていき、既存局ばかりでなく、インターネットテレビ局から送り出されるものも受信でき、なおかつ進化したインタラクティブ機能が高画質、高音質で求められるだろう。
同時に携帯電話の役割はさらに進化したカタチが一般化され、情報の享受と供給を積極的に行うようになるだろうと思う。一方通行の時代は終わり、双方向それも多車線の時代が様々な情報を様々なカタチで恒常化する。それは時代が通信と放送の融合によってもたらされるのである。
故にこの分野における規制緩和が大きなテーマになるはずでる。政治も一変させてしまう迫力があるから、抵抗勢力も必死になるだろうと思う。
しかし、それでも変わっていくのである。

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