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東京フィルメックスディレクター 林 加奈子氏 インタビュー その1

公開日 2003/12/29 00:31
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(左)東京有楽町朝日ホールで記者会見をおこなう第4回東京フィルメックス・コンペティション審査員たち (右)自作「アブジャッド」上映後の質疑応答で、観客からの質問に答えるイランのアボルファズル・ジャリリ監督
●第4回東京フィルメックス/TOKYO FILMeX 2003は、2003年11月22日より、11月30日まで、東京有楽町朝日ホールなどで開催された。「新作家主義国際映画祭」と銘打つ同映画祭はアジアの作品を中心に、世界の映画祭で話題になった映画を上映。映画史的に価値ある作家性のある映画も発掘して、東京から世界に発信する国際映画祭として活動している。これまでに、アジアで気鋭の作家たちのほか、オタール・イオセリアーニ、アモス・ギタイ、アレクサンドル・ソクーロフ等の著名監督の作品、そして、イラン、フィンランド、日本等の、あまり知られていないが見ごたえのある作品の特集などが開催された。この映画祭についての、詳細は、以下のホームページまで。
http://www.filmex.net/index-j2003.htm

目次
第一部
<12月29日掲載>
1  東京フィルメックスとは?
2  東京フィルメックス開催までの経緯
3  映画祭ディレクターになるまで
4  勝手に開催することはできない国際映画祭
5  国際映画祭のプログラム選定とは?
6  作品選考の基準

<12月30日掲載>
7  映画のことはみんなわかっていると思うのは大間違い
8  アジアから発信する映画祭
9  観客との信頼関係ができるということ
10 期間限定の映画祭だからこそできること
11 監督を刺激した日本の観客の反応
12 コンペティションは自分にとっても切実な場

第二部 目次
<12月31日掲載>
13 日本映画に英語字幕を入れた清水宏監督特集
14 映画がつながってみえてくる
15 映画祭ミラクルが起こる時
16 ミラクルの起きた「港の日本娘」の上映
17 今観る映画のすべてが今の新しい映画だ

<1月1日掲載>
18 世界の映画祭・・・世界のヌーベルヴァーグを特集するトリノ映画祭
19 先進的な発信型映画祭、ベルリン映画祭フォーラム部門
20 映画の未来を作っていく映画祭
21 映画祭は交流の場
22 ホームシアターで映画祭をすること
23 映画の楽しみ方ははかりしれない。

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第一部

○1 東京フィルメックスとは?

− 第4回フィルメックスを閉幕されたばかりですが、今、どんなご感想をお持ちですか?

林: 作品の上映にあわせて、監督たちが映画祭にいらっしゃるということは、スケジュール的に相当大変なことなんです。その中で今年は6人の監督が来てくださって、さらに、今年初めて最終日の授賞式に、グランプリの監督(ニン・ハオ氏)にご出席いただけて、とても嬉しかったですね。彼の映画の上映後のQ&Aは、私が司会をしたのですが、観客から非常にいい質問が出て、とても手ごたえがありました。今回は、そういった観客の方の手ごたえも、いろいろと感じました。

− 会場でおそろいのTシャツを着ていた方達は、ボランティアスタッフです
か?

林: はい。ボランティアスタッフの募集は去年からですが、とてもがんばってくれました。今年は80人ほどが参加してくれて、映画祭の最後には、映画をご覧になったお客様が気持ち良く会場をあとにされるようにと、こちらから特に指示をださなくても、スタッフ自らお客様に声をかけるような、とても良い
雰囲気になれました。

− 東京フィルメックスという映画祭のタイトルについてお話いただけますか?

林: 東京フィルメックス(FILMeX)という言葉は、東京で開催するfilm(映画)のexhibition(展覧会)という意味です。そこに、exで始まるextraordinaryとか、excellentとか、そういう肯定的な言葉の意味もこめています。特別に限定された映画をご紹介していくという意気込みですね。それから、Xのかけるという意味から、お客様と映画をおつなぎするということもあります。本当に力のある、未来を担う作家たちの厳選された作品を紹介して、作り手と観客とをつなぎ、才能ある作家たちの未来にかけるという意味をこめたタイトルです。

○ 2 東京フィルメックス開催までの経緯

− 映画祭開催のきっかけは、どんな事だったのでしょうか?

林: オフィス北野の森昌行社長が、1998年の秋に、私に声をかけてくださったのがきっかけでした。
 森さんは、北野武監督の映画のプロデューサーをされている方です。海外のいろいろな国際映画祭をご覧になって、日本ではコメディアンとしての側面が強調されてしまう北野武さんが、海外の映画祭では、映画監督として正当な評価を受けていることから、日本にも作家を大事にする、あるべき映画祭があってもいいのではないかというお考えを持たれていたんですね。当時私は香港に住んでいましたが、ちょうど東京国際映画祭のシンポジウムのために一時、日本に帰国していました。そこに、森さんが、東京で新しい国際映画祭をやろうと思っているんだがディレクターをやってくれないか、という話を下さったんです。

○ 3 映画祭ディレクターになるまで

− 林さんはそれまで映画のお仕事をされていたのですか?

林: 私は、川喜多記念映画財団というところに86年から12年間所属して、海外の国際映画祭とか、アーカイブに日本映画を紹介する仕事をしていました。それで、いろいろな映画祭にも参加していたものですから、日本や海外の映画祭や監督とのコネクション、ネットワークはありました。98年の春から3年間は川喜多財団を辞めた後、プライベートで香港に移り住んでいましたが、その間も、ベネチア映画祭とか、ベルリン映画祭などと、日本映画のコンサルタント契約をしていました。当時は、フリーだったんですが、映画祭にも出ていったりしていました。日本の監督たちはビデオを送ってくれて、新作もある程度は引き続き見ることもできました。
 そこで一方通行ではなくて、外国の映画も持ってきて、日本の映画も紹介するという両方をやることができる映画祭の意義を感じていたところでしたので、森さんからのお話は渡りに船という感じでした。
 
− 林さんが映画の道に入られたことには、ご家族などの影響がありましたか?

林: 特に私の家族が映画業界の人であったとかいうことはなかったです。両親とも映画が嫌いじゃない人たちですけれど。あの年代、まさに50年代から60代に青春を送った人々にとっては、映画は娯楽の殿堂でしたから。

− 林さんが映画をご覧になるようになったきっかけはどういうものでしたか?

林: それもわりと普通でした。中学生ぐらいになったときに、映画はおもしろいなあと思って、だんだん映画にのめりこんでいったんですね。その頃は、配給会社ではフランス映画社とか、劇場では岩波ホールとか、ミニシアターが盛んになり始めてきた頃です。当時は、ビデオで簡単に映画を見るということは、まだ出来なくて、東京の映画館にアート系の映画がどんどん紹介されたりし始めたころでした。そういう中で、中学、高校、大学を過ごしていたんですね。
 
○ 4 勝手に開催することはできない国際映画祭

− 第一回東京フィルメックスの開催は2000年でした。

林: 共催でやっていただけるところも決まり、本当に実現できるということになり、トライアル的な部分もありましたが、2000年のクリスマスの直前の時期に、第1回フィルメックスが始まったんです。そのときは、私はアドバイザーという形で参加し、ディレクターは、市山尚三でした。2001年の春
には、私が香港から帰国しましたので、第2回から、市山はプログラムディレクターとなり、私がディレクターでやっています。今年の春から、特定非営利活動法人としての登記も済ませて活動しています。

− 林さんも市山さんも、国際映画祭については、すでに経験をお持ちだったのですね。

林: 市山は、松竹の国際室にも在籍していた人材で、ホウ・シャオシェン監督や竹中直人監督の作品のプロデュースもされていた方です。
 そういう意味では、わたしも市山も、海外とのネットワークもあるし、海外映画祭のプログラマーたちの顔と名前も一致しているし、プロダクションとか、セールスエージェントとか、そういうところとのコンタクトもあったわけです。
 国際映画祭というのは、勝手にはできないものです。いろいろな人との情報交換とか、コネクションとか、コンタクトが必要です。新作でも、例えば、来年夏に公開されるものでも、もう私達は現像所のゼロ号試写の前の段階で、まだ編集もラフカット、ラフ編の段階でも見させてもらえるような、これは、全部ではないですけれど、そういう作り手との信頼関係がないと、できないところもあるんですね。

− ただ、映画を借りに行くだけではではない、映画の作り手との信頼関係ですね。

林: できあがっていない段階で映画を見せるのは普通、嫌がりますよね。でも作り手から、先に見てほしいと言ってもらうのであれば、さしつかえない範囲で見せていただくことがあるんです。つまり、私達は、最初に映画を見る部外者ですね。
 
○5 国際映画祭のプログラム選定とは?

− 上映する作品については、どのように情報を集められますか?

林: 上映作品の選考に関しては、私と市山が全責任をもって決めます。
 予算の許すかぎりではありますが、まず、ベルリン、カンヌなどの新作のある映画祭に行って探すということが一つあります。それと共に、情報のネットワークを使いまして、これはという作品については映画のプロダクションからビデオをとりよせます。それから、映画祭ではなくて、例えば韓国の場合は、
コリア・フィルム・コミッションというところにアレンジしていただいて、新作をまとめて見るためにソウルにでかけます。
 後は、信頼できるネットワークを使って情報収集しながら、とにかく映画の現物を拝見して決めるわけです。それから、公募もしています。ビデオを送っていただくなり、プリントでの試写なりに伺って、それも全部拝見して、結果をお返事しています。それは規約上では7月の終わりがデッドラインです。

− 今年の東京フィルメックスではコンペティション作品9本と、そのほかの特集上映を含めて36本が上映されました。これを選ぶために、林さんたちは、たくさんの映画を見るわけですね。

林: 数を見ることも大事ですね。コンペティションでは若手の新しい作品を発掘するということもしていますが、そこで、その作品の何が新しいのかということがわかるには、新しくないものがわかっていないとわからない。ヤングシネマだから若い人じゃなきゃわからないというのは、私は大間違いだと思うんですよ。
 やはり、いろいろなことがわかればわかるほど、新しい作品に接したときに、どこにその新しさや良さがあるのかということがより深く味わえるのだと思います。少なくとも、私たち主催者側は、できる限りのことを知っているべきだと思うんですね。ご覧になる方ひとりひとりは、たまたまでもご覧になってお
もしろかったで、十分いいんですけれど、主催者側の私達は、何で選んでいるのかとか、どこが選ぶに価しているかということは、全てに理由があることなんです。


○ 6 作品選考の基準

− 作品選考の基準をお教えいただけますか?

林: 作品を選考するときは、私たちは、常に、そのクリエイティビティとオリジナリティっということを、いつも言っています。映画のクオリティとしての、創造性と独創性が、どれくらいあるかということ、それを、まず第一に優先します。これならお客がはいるだろうという基準では、まったく選ばないです。
 監督の年齢や、キャリア、そしてプロかアマチュアかということも関係ないです。今年大賞をとられたニン監督の作品は、北京電影学院の卒業制作ですね。
 作品選定は、個人的な趣味を押し付けるということではなくて、観客の皆さんに、今、現在の世界の映画の動きをちゃんとお知らせしたいし、コンペでは、若手の才能のある人たちをきちんと応援してゆきたいというスタンスですね。そして、上映する映画は作家性のある映画ということです。

− 東京フィルメックスが求める作家性のある映画とはどんな映画でしょう
か?

林: 作り手の意志がはっきり見える映画です。誰が作っても良かったのだけれど、偶然にこの監督が作りましたというのではなくて、監督が意志を持って、伝えたいものがはっきりしていて、それを映画でなくては表現できないという自覚のもとに、びしっと作っている映画を、私達は作家性のある映画といって
います。
 それは、制作費の大小にはかかわらないし、インディペンデントにこだわっているわけでもなくて、メジャーのものもあるかもしれない。とにかく、作家性というのは、作り手が伝えたいものがはっきりしていて、それを伝えきれているものを指しています。

− プログラムについては、林さんと市山さんのお二人で、今回はこうしようという議論をかなりされますか?

林: 東京フィルメックスというのは、若手をきちっとだしてゆくとか、東京にあるべき映画祭を作ってゆくという、はっきりとゆるぎのないものがあるんですね。それで、個人的にこの作品をどう見るか、好きか嫌いかというのが大前提ではありますが、東京フィルメックスの映画として、その作品を入れるか入れないかということは、私と市山で、ラッキーなことに、そんなに喧嘩をしなければならないということにはならないんですね。作品数の枠の中でどれを選ぶかという議論はありますが、片方がすごく評価する映画をもう一人がまったく評価しないとか、その逆とかは、今のところはないですね。明日からはどうなるかわからないかもしれないですけれど(笑)。

−  作品選定の期間はいつまでですか?

林: 九月の終わりの記者発表でラインアップを出しますので、そこまでに入るものは今年の対象になります。そして、その次の日からは、もう来年の作品選考となるわけです。十月の頭に、今年は釜山映画祭がありましたが、そこでの新作はもう来年のプログラムの対象になりますね。まぁ、釜山出張は実際には準備のための大詰めの打ち合わせや広報展開という意味合いが強くなりますが。

〜東京フィルメックスディレクター 林 加奈子氏 インタビュー その2へつづく〜

(2003年12月3日 取材・構成 山之内優子)

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