HOME > インタビュー > 第12回:松木恒秀さんが語る「ピットイン」との長くて深い関係 <前編>

【連載】PIT INNその歴史とミュージシャンたち

第12回:松木恒秀さんが語る「ピットイン」との長くて深い関係 <前編>

公開日 2010/08/20 11:25 インタビューと文・田中伊佐資
  • Twitter
  • FaceBook
  • LINE
今回は、1968年に初めて「新宿ピットイン」のステージに立ち、その後も様々な形態で「新宿ピットイン」「六本木ピットイン」のステージで活躍。数多くのアーティストのレコーディングに参加し活躍したギタリストの松木恒秀さんに登場していただき、佐藤良武さんとの対談形式で、ピットインとの深い関わりや出演時の思い出などを語ってもらう。


バンドをはじめようという時に本当はドラムをやりたかった
ところが友人に先に購入されて、しぶしぶギターを始めたのがきっかけ


兄弟がバイオリンをやっていて自分はピアノを6年習わされた
それがイヤでバンドをやる決心をした



ギタリスト 松木恒秀さん
佐藤:やあ、松木さんようこそ。遂にエピソードだらけの人に来ていただきました。とても楽しみにしていたんです。

松木:エピソードといってもみんなピーって鳴っちゃうような話ばかりだからね(笑)。

佐藤:それはほどほどにしてもらうとして、あまり危うくない昔の話からしましょうか。ギターは子供の頃からやっていたんですか。

松木:私は5人兄弟の末っ子で、全員が母の教えで小学校に入るとヴァイオリンをやらされたんです。親父は、陸軍大学校を卒業した職業軍人で、クラシックを敵国音楽とか言ってましたけど(笑)。

佐藤:相当厳格な家庭だったみたいだね。

松木:厳しかったですねえ。上はみんなちゃんとした学歴がありますけど、私だけ中卒なんですよ。

佐藤:なんだか深い話がありそうだね。

松木:私が小学校にあがった時「バイオリンなんてイヤだ」って反発したんですよ。私たちの子供の頃は、誰も楽器なんて習っていませんよね。兄がバイオリンのケースを持って歩いていると、友達が「おまえ何やってんだよ」と冷やかされていた。それを見ていて、いやだなあって思ったわけです。

佐藤:それでギターになった?

松木:じゃなくて、ピアノ。これだったら先生のところに譜面を持って行くだけでいいから。

佐藤:なるほど。

松木:6年間、習いました。年に1回発表会がありましてね。すごくつまらなかった。小中で野球をやっていたんですけど、帰宅すると、姉さんがバイオリンの伴奏をしてくれと待っているんですね。これも苦痛だった。

佐藤:じゃあ、家で聴く音楽といえばクラシック?

松木:そうです。ちょうど中学1年か2年の頃にステレオ装置が出始めて、かけるレコードといえばクラシックでした。ところが、ある日、野球仲間の家に行くと、お父さんが海外へ頻繁に出張するとかでチャーリー・パーカーやマイルス・デイヴィスのレコードがいっぱいあったんですね。ロックでいえばリッキー・ネルソンやポール・アンカ。聴かせてもらうとぜんぜん違う音楽。うーんとなっちゃった。そして、そいつが言うわけです。「こういう音楽、一緒にやろうよ」と。

佐藤:楽器ができるのを知っていたんだね。

松木:で、兄弟はみなバイオリン、自分はピアノ、これはドラムがかっこいいなと思いまして、よしやろうって話になった。それで、さあ始めようとなったとき、そいつが「オレ、ドラム買ったからさ」って。

佐藤:わはははは。

松木:こっちはやるって言っちゃったんで、それでしぶしぶギターをやることになった。それによって人生の道を誤り、現在ここにいるわけです。

佐藤:いや、誤ったかどうかはわからないけどね。しかし昔のそういう話は聞いたことなかったなあ。野球をやっていたのは知っていたけどね。ピットインとミュージシャン・チームでよく試合をしたしね。

松木:オレが投げるとだいたいピットインは打てなかった(笑)。

(株)ピットインミュージック 代表取締役 佐藤良武さん(右)と松木さん


お年玉をかき集めてギターを購入
面白くて、それで食っていこうと学校も行かずに友人宅に居候した


佐藤:まあ、野球の話はずいぶん後になるわけだけど、それで高校に行かなかったというのはどういうこと?

松木:学校に行かず、これで食っていこうと思った。こいつは面白えなあ、ですよ。クラシックをやったり聴かされたりしていたから、余計にそういう音楽が新鮮でした。

佐藤:ギターはどうしたの?

松木:お年玉をかき集めて買いました。忘れもしない渋谷宮益坂の楽器店で、9900円のテスコ。63年頃ですね。

佐藤:当時としては大金だ。「ピットイン」がオープンする2年前に、ギターを買っていたのかあ。厳しいお父さんは、当然黙ってはいないよね。

松木:「不埒者、出て行けっ」ですよ。「はい」って感じで。

佐藤:それは自分で出て行ったということ? それとも勘当された?

松木:両方ですね。

佐藤:すごいねえ。

松木:住むところがないから、同級生の家を一週間ずつ転々とするんです。戦後のベビーブーム世代ですから、人数が多くて助かった。昼間、友達は高校へ行っているんですね。そいつの部屋にいると、その家のお母さんが不審に思って「高校行かなくていいの?」ってよく言われた。そのうち慣れてくると「松木君、お昼、チャーハンでいい」とか言われる(笑)。

「連載:PIT INN その歴史とミュージシャンたち」は、音元出版発行のアナログオーディオ&Newスタイルマガジン「季刊・analog」からの転載記事となります。「季刊・analog」のバックナンバーはこちらから購入いただけます。

次ページ人と人との付き合いやつながりからいろんな所に呼ばれるようになった

1 2 次へ

この記事をシェアする

  • Twitter
  • FaceBook
  • LINE

トピック: