試聴・文/貝山知弘 Tomohiro Kaiyama

Signature Diamondを上から見たところ。上部に乗ったトゥイーターのエンクロージャーは大理石製

B&W社の創立40周年モデルは、その名に恥じぬ傑作である。サウンドも凄いし、デザインも斬新だ。同社が開発したノーチラスチューブ・ローディング・25mmダイヤモンド・ドーム・トゥイーターと、18cmケブラー・ファイバーコーンのバス/ミッドレンジを組み合わせた2ウェイ・バスレフ・トールボーイ型システムだ。ダイヤモンドの振動板は、最も硬度が高く、かつ軽量なので、低歪率でハイスピードの理想的な高音が得られる。

エンクロージャーをデザインしたのは、世界的なインダストリアルデザイナー、ケネス・グランジ卿。彼は音響デザイナー、ジョン・ディブ博士の意向を満足させながら、デザイン的にも優れたフォルムを生み出した。出来上がったのは、全て曲線で構成された楕円形のキャビネットで、その上に乗るトゥイーターのエンクロージャーは大理石製、後方を絞ったチューブローディングの形状が美しい。すべては、音響的にも理想の特性が得られるフォルムである。色はMinimalist WhiteとWakameの2通り、どちらも500ペアの限定生産で、計1,000ペアのみが発売される。

『パガニーニ/ヴァイオリン協奏曲第1番』
川崎にあるマランツの試聴室で聴いた。使用した機器はいずれもマランツ製で、SACDプレーヤー「SA-7S1」、プリアンプ「SC-7S2」、パワーアンプ「MA-9S2」(2台)である。

ヒラリー・ハーンのCD『パガニーニ/ヴァイオリン協奏曲第1番』(グラモフォン UC3339)の第3楽章が鳴り出した瞬間、電撃のような刺激が背筋を走った。音像は眼前にあり、演奏しているハーンの姿が見えるような気がした。ヴァイオリンが等身大で空間にあり、4つの弦の存在と、その間隔までが耳で捉えられる。ハーンの演奏は、美しく歌っていた。これはいままで聴いたことのないパガニーニだが、わたしはこの演奏が好きだ。この演奏は、どんな大家の演奏より素晴らしいと思う。演奏の技巧も凄いが、そのすべてが彼女の心の歌に結集している。颯爽としたフライングスタッカートも、美しいポルタメントも、テンションの高いフラジョレットも、すべては歌のためにある。眼前にあるスピーカーの姿は意識しなかった。素晴らしい演奏と接しているという恍惚感が、ただ、わたしを捉えていた。

パガニーニの第3楽章は、あっと言う間に終わっていた。改めてスピーカーに目をやったわたしは、その姿を美しいと感じた。無駄を削ぎ落としたそのフォルムは、それだけでも美しいが、おそらくそこに漂う余韻を感じ、その佇まいを美しいと感じたのだと思う。

SACD『sempre libera』
マランツの試聴室は全域に渡ってエネルギーバランスが整った好ましい部屋だ。ハーンのヴァイオリンのあと、私は無性にネトレプコのソプラノが聴きたくなった。ヴァイオリンとソプラノ、この2つは、わたしが自分のオーディオシステムの音を練り上げるために、聴き続けてきたソースだ。この日、選んだのは、クラウディオ・アバド指揮のマーラー室内管弦楽団とアンナ・ネトレプコが組んだ、SACD『sempre libera』(グラモフォン00289-474-88 12)だ。聴いたのはトラック9〜11。歌劇『ランメルモールのルチア』のルチア、「狂乱の場」の絶唱だ。この演奏では、アバドはフルートの代わりに、グラスハーモニカを使うという手法を取り入れ成功している。

Signature Diamondで再生するコロラトゥーラ・ソプラノとグラスハーモニカのかけあいは、まさに絶品であった。グラスハーモニカの透き通った音は、ソプラノを高みに導き、ソプラノは、徐々に強くなる声でそれに応じ、透明で美しいハーモニーを現出させている。このディスクは、いままで数えきれぬほど聴いており、痛んだために、すでに2枚目を使っているほどの愛聴盤だが、この日ほど、澄み渡った音で聴けたことはなかった。これは、音場感の表出に優れた録音で、ソプラノを極度にクローズアップすることなく、グラスハーモニカとの掛け合いも、距離をおいて収録している。それだけに音場空間の中での両者のナイーブな響きあいが克明に表現されているのだ。

このスピーカーが奏でる演奏に魅せられつつ、わたしは、自然に自分が好きなディスクだけを取り出していた。CDで聴いた『ショパン/ピアノ協奏曲第2番』(グラモフォン POCG10246)もその一枚だ。敬愛するピアニスト、クリスチャン・ツィマーマンが弾き振りしたディスクだが、これも痛んで買い換えた盤だ。このディスクでは、琢磨され尽くした感じのピアノの粒立ちが心を揺する。Signature Diamondで聴くこの演奏は、克明に表出された演奏の綾で、わたしを酔わせた。どんな微細な分までも妥協しないパーフェクショニスト、ツィマーマンの神髄が随所で明らかになった。このディスクの鮮明度は決して高いとはいえないが、このスピーカーで聴くと、いままで聞こえなかった細部のニュアンスが感じ取れるのだ。

それは僅かな音色の変化だったり、微妙な強弱のつけ方などだが、いったんこれを感じ取ってしまうと、もうこれが判らぬシステムでは聴きたくないと思ってしまうほどだ。しかし、これだけ細部の表現が判るのは、単に解像度が優れているというだけではなさそうだ。恐らくこのスピーカーは、音場と音像の表現に抜きんでた能力をもっている。どんな楽器でも音像が肥大せず、あるべき大きさをリアルに表出できるということは、それだけ音を正確に処理していることの証左だろう。わたしは、2ウェイのシスムでまとめたこと、回折が少ないエンクロージャー形状を採用したことにより、位相の乱れが少なく、かつスピーカーまわりに漂うノイズがひときわ少ない、などの効果が端的に現れたのではないかと思っている。

比較的小振りのこのスピーカーにとって、低音再生には限界があることは最初から予測できた。最後に聴いた『マーラー/交響曲第2番〈復活〉』第2楽章では、グランカッサのエネルギーが響きが沈みきらず、エネルギーも足りない。

しかし、このスピーカーの場合、そこからが違う。曲が進むにつれ、低域の不足感がだんだんと薄れていくのだ。それは、リスナーがそのことを補ってあまりある、優れた音楽表現を感じ取るからだ。この音場の透明感、正確な定位を含めた音像の現実感、切れのいい弾力的なリズム感、そして全域においての音抜けのよさとスピード感、ノイズを含めた歪みのなさ、そして、類まれな音の美しさとしなやかさ。自宅で聴く音楽で、これ以上のものはいらないのではないかとさえ思えてくる。このスピーカーの完成度の高さ、未来に通じる音調にこころから拍手を送りたい。

貝山知弘 Tomohiro Kaiyama

早稲田大学卒業後、東宝に入社。東宝とプロデュース契約を結び、13本の劇映画をプロデュースした。独立後、フジテレビ/学研製作の『南極物語』(1983)のチーフプロデューサー。94年にはシドニーで開催したアジア映画祭の審査委員をつとめる。アンプの自作から始まったオーディオ歴は50年以上。映画製作の経験を活かしたビデオの論評は、家庭における映画鑑賞の独自の視点を確立した。自称・美文家。ナイーヴな語り口をモットーとしている。