(株)デノンラボ
代表取締役社長

稗田 浩
Hiroshi Hieda

ブランドひとつひとつが
持つ背景を大事にして
日本のお客様に伝えたい

本年3月よりデノンラボの新社長に就任された稗田氏。好調に推移するスピーカーのダリを筆頭にインポート・オーディオを広く取り扱う同社がこれから目指していくもの、そして日本のオーディオをとりまくさまざまな環境と要因についてのお話を、氏が幼少時から抱く音楽とオーディオへの熱い思いとともに伺った。

インタビュアー ● 音元出版社長 和田光征

―― 稗田さんは、今年の3月からデノンラボの社長に就任されました。まずご経歴からお話いただけますでしょうか。

稗田 私は音楽関係の仕事を志望して、1980年に日本コロムビアに入社しました。小学生の頃「グレン・ミラー物語」という映画を見て非常に感激しましてね。中学で吹奏楽部に入部し、3年生で部長になって、文化祭の時「ヘイ・ジュード」とか「ベサメ・ムーチョ」とか、ちょっと異色なものを演奏したりして先生に怒られたものです。

大学ではライト・ミュージック・ソサエティ・オーケストラに入り、ジャズのビッグバンドでリードトランペットをやりました。このオーケストラは北村英二さんや大野雄二さんを始め、有名な方をたくさん輩出しています。全国各地でのライブ演奏やスタジオレコーディングを通じて音楽は演奏者も聴衆も作者もすべての人に感動を生み出すものだと実感しました。4年生の時にスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演する機会があり、そのステージに立って観客席を見た時、一番前にカウント・ベイシーが座っていました。レコード・ジャケットでしか見たことがない憧れの人が目の前にいるものですから、足がガタガタ震えましたけれど、それは本当にいい思い出になりました。

そんなことがあり、日本コロムビアに入社しました。当時はオーディオ部門とレコード部門があって、レコードに興味がありましたが、オーディオで仕事を始めてその魅力に引き込まれました。入社当初は大阪の営業所に4〜5年おり、次に名古屋の営業所に行きました。そのときご販売店をまわってオーディオ談義や音楽談義をすることが仕事のひとつですし、帰社してからは新製品の勉強会でアンプの中を開けてみたり、音楽をかけてみたり、仕事が楽しくてたまりませんでした。

そのあと、88年から赤坂の本社勤務になりました。営業本部で、商品企画や販促施策の立案など、営業部隊と設計部隊の橋渡し的な業務です。それまでは営業職としてできあがった商品をご販売店に説明するという仕事でしたが、ここでの11年間、ものづくりの現場の設計やその前の構想段階から一緒にやらせてもらえたという経験が、非常に勉強になりました。

ここではハイコンポも手掛けました。当時は単品コンポが衰退しミニコンポの方に市場が流れていく中で、何とかしなくてはという思いから、小さな単品コンポを造ってみようという気運が生まれ、ポイントコンポ・プレスタが誕生したわけです。世の中はちょうど、レコードからCDに変わっていく頃でした。そういう、ソフトに対してのハードのものづくりというのは、知恵を巡らせる余地がたくさんあります。

その後99年に大阪営業所に戻り、所長になりました。ここでは流通の変革期を体験しています。かつて大阪にいた頃は、日本橋が全盛でしたが、2度目に着任した頃ちょうど大店法の廃止があり、それから4年間で大阪に大型店舗が相次いでやって来て、流通が激変していきました。しかし、当事も今も、我々が専門店様を大事にしていこうという思いは変わっていません。それはデノンラボでも同じです。

―― そしてこの3月、デノンラボに着任されました。実際に着任されてからは、いかがですか。

稗田 オーディオの仕事を続けてきた中で、インポート・オーディオに対する憧れと強い興味がありました。日本の製品と海外の製品は、発想が全然違います。海外製品は、デザイン、質感、音質と、大胆な発想で独創的なアプローチをしてきます。そこが面白いですね。D&Mとしてもプレミアムなブランド価値を前面に出していますが、その意味がよりわかるようになりました。

デノンラボの仕事では、ブランドをたくさん抱えます。それぞれのブランドひとつひとつに、歴史や、国や文化の背景や、作り手の価値観といった独特のものがある。商品をお客様に説明する前に、そういったブランドの香りを的確に表現してお伝えするというのが、非常に大事なことだと思います。

たとえばデノンラボで扱っているデンマークのダリというブランドは、3年前まで日本ではほとんど知名度がありませんでした。そういったところから、デンマークの家具づくりの手法からきた外観仕上げの丁寧さ、ヨーロッパの音づくり、といったものが相まって販売店やお客様に伝わっていき、今の状態になったのです。デノンラボでは7ブランドを扱っていますが、それぞれに背景を大事にしています。

――  今お取り扱いのほかのブランドについてもご紹介いただけますか。

稗田 ダリ、アーカム、キンバーケーブル、インフィニティ、ミュージックツールズというブランドがありますが、牽引役となっているのはダリです。先日、ダリの社長と営業本部長が来日し、話をする機会がありました。彼らも世界各国の拠点に販売会社を持っていますが、ディストリビューター段階ではデノンラボの扱いがトップなのだそうです。ですから、日本側の言うことを非常によく分かってくれます。日本でのダリのヒットの原動力となった「ヘリコン」は、発売にあたって日本のマーケットに合った仕様をこちらから要求しました。もともと「ヘリコン」は黒いバッフル面だったのですが、日本の嗜好に合わせ、北欧家具のイメージを全面に出したものをつくってもらったのです。当初それは日本限定モデルでしたが、今や全世界共通モデルになりました。

インポートの仕事をして実感しましたが、各国それぞれの価値観を持つ相手ブランドを説得するのは大変なことです。国に合わせて個別の仕様を設定するのはつくる側は大変なのですが、やはりエリアに合わせた個別マーケティングというのは必要です。文化論争になることもありますよ。我々は原点を否定するつもりはありません。ただ、日本のお客様に海外製品を紹介するにあたって、我々は製品を選択しなくてはなりません。そのとき、果たして日本のお客様が求めているものは何なのかということを絶えず考えます。ただ安ければいいというわけでなく、そのブランドのもつ価値や重み、歴史的背景や香りといったものを伝えたいと思うと、そのブランドの中の最高の商品を紹介したい。ですからまずトップエンドを通じて日本のお客様にそのブランドを十分わかっていただいた上で、基本に沿ってラインナップを広げていくということをしています。

―― もともとデノンがメーカーとしてやられていた手法と一致しますね。アーカムについてはいかがでしょうか。

稗田 アーカムはイギリスの老舗で、アンプやCDプレーヤーを中心にやっていますが、つい先だってCDプレーヤーの新製品を2モデル出しました。世の中はSACDが中心の感がありますが、アーカムはCDのままです。もちろん技術の裏付けはありますが、それだけではなくて、音楽そのものを大事にするという素晴らしい姿勢がありますね。

―― 稗田社長からみて、国内のオーディオマーケットをどのようにお考えになりますか。

稗田 団塊の世代については、巷で言われているように私もこれから3〜4年かけてヤマが来ると思います。オーディオというのは、かつてこの世代の方々の憧れでもありましたから、デノンの展開しているコンポルネッサンスや、デノンラボの扱うインポート製品に対する反応が出てくると思います。また我々にとっての競争相手は異業種でもあるわけで、いかにオーディオに目を向けていただくか、ということを考えなくてはなりません。

しかし本当に心配なのはこの先です。団塊世代のジュニアの方たちというのは、ハイコンポやミニコンポを牽引して、まだピュアオーディオに魅力を感じてくださる余地はあると思います。けれどもその下の世代はどうなるでしょうか。団塊の世代の方たちは、子どもたちにオーディオのよさを伝えてくれました。家に帰ればお父さんのステレオがあって、子どもながらに関心を持っていつか触れていくようになります。私自身もそうでした。今の子どもたちは、そういう経験をしているでしょうか。オーディオ業界の活性化のためには、この若い世代を育てていくことが重要だと思います。

昔のオーディオは自分の意志に機械が反応してくれましたが、今はデジタルでブラックボックス化し体験できなくなってしまいました。我が家の子どもが小学生の頃、夏休みの宿題を手伝って、丸いタッパーウェアのフタと箸を紙の箱に挿して、下敷きをラッパのように巻いてマチ針をつけて、レコードプレーヤーを作りました。いらなくなったレコードをかけてみると、立派な音が鳴るんですね。それが何と学校で賞をとって、県の大会にも出品されました。子どもたちが大変な興味を示して取り囲んだそうです。レコード盤の溝を針がなぞることによって音が出ているという原理が、目で見てわかるわけですから。

そういうことを、我々はオーディオ業界にいながら今何もしていません。今の子どもは四六時中プレーヤーを持っていて音楽を聴く時間は昔より圧倒的に長い。だから、自分の意図したことが音にあらわれるという体験をするとオーディオの面白さが分かると思うのです。学校の授業でそういうことができたらいいですね。音が変わる体験をして、それが何故かを知って、そうやっていくときっと下の世代からもオーディオに興味を示す人たちは出てくると思います。

―― オーディオの売り場まで来てくださる人には伝える方法がありますが、問題はそうでない方たちに対してどうするかです。特に若い人たちを啓蒙していかないと。

稗田 ご販売店にも、オーディオに興味を持つ層をもっと増やしてほしいという切実な思いがあります。たとえば学校の授業など、機会あれば我々もどんどん参加していきたいと思いますし、もしもそういうことが地元のテレビででも紹介されれば、関心は高まると思いますね。

―― 敷居の高いオーディオ専門店でなく、気軽に入れるお店が今伸びています。そういうところが増えていけば、明るくなるという気がします。あとは売り場づくりと、販売員さんをどう教育していくかということでしょうか。D&Mはグループ全体として、そういうことに取り組まれていると思います。

稗田 それは頻繁にやっています。販売店さんのご理解があってこそですが、オーディオのご担当者をお招きして勉強会などを開いています。そういう方たちが「さっきの音、凄いよね」などと言っておられたりして、励みになります。素晴らしい音楽に出会ったとき、くらくらするものがありますよね。オーディオ装置には、そういう感動を伝える力があります。それを広く体験していただくことを、もっともっとやっていきたいと思います。ターとしてのソニー、それぞれに自負があります。それらがうまく融合し、ザッツブランドの大きな強みとなっています。

―― 今後、お取り扱いのブランドを増やす予定はありますか。

稗田 それはあります。インターナショナルオーディオショウなどで、参考出品する機会があると思います。世界のすぐれたオーディオを日本の皆さんに紹介していくということは、常に考えていることです。実現までの過程は大変ですが、調整を繰り返してやっていきます。そしてどのブランドであっても、その香りをしっかりと伝えていきたい。いいオーディオは、わくわくします。そうして惚れ込んでやっていくところにロマンがありますよね。また、インポートだけでなく、オウンブランドもじっくりと育てていくことを計画しています。

インターナショナルオーディオショウでは、ハイエンドスピーカーブランドであるスネルアコースティックのトップエンドモデルを、日本で初めて登場させる予定です。また、ダリからは、同ブランドを高く評価してくださる方々のご期待に応えるべく、まったく新しいコンセプトモデルを計画しています。ショウに間に合えば、ぜひご紹介したいですね。

―― 今後も大変楽しみです。本日はありがとうございました。

◆PROFILE◆

Hiroshi Hieda

1956年7月福岡生まれ。80年慶応義塾大学商学部卒。同年日本コロムビア(株)入社 大阪営業所勤務、85年より名古屋営業所勤務。88年赤坂本社勤務 電機営業部 コンポーネント担当。99年大阪営業所長就任、03年本社営業本部販売企画部長。06年3月より(株)デノンラボ 代表取締役社長に就任、現在に至る。趣味はJAZZ演奏、音楽制作・コンサート鑑賞。