<前編>小学生の頃からパイオニアは常に身近に存在し続けていた
文/山之内 正
自分で意識して音楽を聴くようになってからパイオニアの製品を使っていなかった時期がほとんどないので、あらためてこのテーマで原稿を書くのは意外に難しい。当たり前のように身近に存在していたブランドがパイオニアである。
最初の出会いは小学5、6年生の頃、20cm口径の同軸型ユニットPAX-A20を秋葉原のラジオストアで購入したときだと思う。自分で買いに行ったのでいまでも思い出すが、当時1個7〜8千円だったはずだ。バスレフ型キャビネットを自作し、ノイズが消えずに悩んでいた自作真空管アンプと組み合わせて、しばらく楽しんでいた。中学に入る前後のことである。
いまから考えると特にアンプはロクな音が出ていなかったはずだが、スピーカーの方は活発な音でよく鳴っていた。ただし、キャビネットの自作は結構大変だったことを記憶している。まだ東急ハンズもなかったのでサブロクの板を自分でカットし、苦労して組み上げた。その少し前にコーラルのフルレンジユニットで密閉型キャビネットを作っていたのだが、16cmと20cmでは箱の大きさも異なるし、バスレフ型はポートの加工も難しい。いずれにしても小学生には荷が重い作業であることは間違いない。
そのしばらく後、父親が知り合いから譲り受けたパイオニアのフロア型スピーカーが我が家にやってきた。正面にはパイオニアのロゴマークが付いていたが、背面には福音電機と書いてあったから、おそらく1950年代に販売されたスピーカーシステムであろう。1970当時見てもかなり古ぼけた印象を受けたことをおぼえている。30cmウーファーとホーントゥイーターを組み合わせた2ウェイだったと思うが、かなり以前に手放してしまったので定かではない。しっかりしたキャビネットで低音に量感があったが、音はやや重く、どちらかというと当時は音抜けの良いPAX-A20の方が好みであった。
その頃から自作ではなくメーカー製のオーディオコンポーネントに興味がわき、前述の大型スピーカーを鳴らすべく、アンプやチューナーを買い揃えていった。チューナーはパイオニア製だったと思うが、型番は記憶にない。レコードプレーヤーは家にあったビクターの製品を使っていたが、ほどなくマイクロのベルトドライブ式プレーヤーに入れ替えてカートリッジもいろいろ手に入れた。当時は4チャンネル再生が流行した時期で、レコードプレーヤーなどに「4チャンネル再生対応」というシールが貼ってあったのを思い出す。オーディオ全盛期といわれる時代の少し前で、FM誌が創刊されるなど、いろいろ話題の多い時代。オーディオに興味を持つ中学生は私のまわりにも何人かいて、レコードの貸し借りや情報交換をしていた。
高校から大学時代にかけては楽器を始めたこともあってオーディオ熱は少しずつ冷めていったが、音楽への興味はますます募るばかり。その後、音元出版に入社することになって、再びオーディオへの興味が蘇ってくる。蘇るというよりも、入社早々に「季刊オーディオアクセサリー」の編集部に配属されたので、突然オーディオは趣味から仕事の領域に入ってしまったのである。
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| 名機との呼び声高い「P-3」 |
その当時のパイオニア製品といえばエクスクルーシヴのP3やP10、リボントゥイーターを積んだS-955など存在感のあるコンポーネントがきら星のごとく並んでいて、仕事とはいえ毎日のように音を聴いていたので、それぞれのコンポーネントの特徴はしっかり記憶している。特にパイオニアのリボントゥイーターは大好きな音だったので、自宅のシステムにもつないで使っていた。
その頃のオーディオ製品は内容、数ともに充実していたが、メディアの変化が急速に進み始めた時代でもある。私が音元出版に在籍していた9年の間に誕生したメディアは、主なものだけでもCD、LD、DAT、ハイファイビデオ、S-VHSなどがある。DCC、VHD、EDベータなど衰退したものの数も少なくない。BS放送が始まったのもこの時期だ。現在のオーディオビジュアルの基盤になるメディアやフォーマットが相次いで誕生し、まさに激動の時代を迎えようとしていた。その変化とともにパイオニアの主力製品はオーディオからオーディオビジュアルに移っていくのである。
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山之内 正 Tadashi Yamanouchi 神奈川県横浜市出身。東京都立大学理学部卒。在学時は原子物理学を専攻する。出版社勤務を経て、音楽の勉強のためドイツで1年間過ごす。帰国後より、デジタルAVやホームシアター分野の専門誌を中心に執筆。趣味の枠を越えてクラシック音楽の知識も深く、その視点はオーディオ機器の評論にも反映されている。 |