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<インタヴューズ>まさか研究者で"低音質”を研究する人などいないと信じていた!(中島平太郎 3)

公開日 2005/04/14 18:06
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元ソニー常務・日本オーディオ協会会長/現・CDs21ソリューションズ会長/中島平太郎氏 (C)内田俊一(ライトスタッフ・サービス)
月刊AVレビュー連載
「インタヴューズ。」
〜デジタルAVの「知」に会う〜


第1回 中島平太郎(その3)


インタビュー/山名一郎




日本におけるデジタル光ディスクの「始祖」

中島平太郎さんのことを、本誌の読者の方はどのくらいご存じなのだろうかと思った。NHK技研の音響研究部長を経て放送科学基礎研究所所長、1971年にソニーに転じ、同社常務、アイワ社長、オーディオ協会会長、スタート・ラボ社長等々……。

こうした履歴よりも私たちと中島さんとの知らず知らずの親密な関係は、中島さんが、日本におけるデジタル光ディスクの「始祖」であるということだ。デジタル光ディスクとはCDであり、CDなくして現在のデジタルAVの隆盛はあり得ない。「インタヴューズ。」の第一回は、中島平太郎さんに、デジタルの黎明期といま、そしてこれからを聞く。

(第2回からつづく)

「CD並み」の音質と「圧縮オーディオ」をめぐって

それでも最終的に、(ソニーのデジタル技術とフィリップスの光ディスク技術をマージさせた)CDの開発に対してトップがゴーサインを出したのは、デジタルオーディオはノイズもないしワウ・フラッターもない。使い勝手もよくなり品質も一定する。半導体の進化により将来は安価になる――という説明をくり返し訴えかけたから。

――中島さんは、デジタルが絶対の高音質ではないと考えていた……というより、CDがデジタルオーディオの到達点だとは見ていなかったのですか?

中島 中島私は内心、忸怩たる思いがあった。CDでは20kHz以上の音が出ないのは十分に知っていたから。

中島さんがいまもなお追い求めているのは、いい音を実現するうえでの質的向上の手段としてのデジタルである。CDの開発段階での限界が、たまたま周波数の帯域で20kHzまで、ダイナミックレンジ(DR)で98dBだったのであって、技術的に許されれば本当はさらに上を目指したかった中島さんたちであった。

中島 なのに、同僚のなかでもなぜ聴こえもしない20kHzまで取るのか。DRもそんなには要らない。LPレコードはどんなによくても70dB程度しかないのだからそのくらいにとどめておけば、といった意見も出された。DRを十分に確保しておきたいというのは量子化ノイズ対策。これはアナログのホワイトノイズ以上に耳障りな雑音で、それで少なくともそのマージンを十分とって
90dBを確保しておきたかった。そしてなお98dB(=16ビット)に決めたのは、CD-ROMを想定した場合、8の倍数の方が都合がいいから。そこで(当時としては)多少オーバークオリティではあったがあの仕様に決定したのだ。


この、新しい規格を策定する際、既存技術と同程度のクオリティやその延長上で組み立てていくのではなく、次元を一段高めたところで発想し議論を始めるというのはBDと通じるところがある。


――デジタルはすばらしい音質を実現するための技術だった。


中島 その点だと、(いま話題の)圧縮オーディオなど当時まったく思いも及ばなかった。というのも、そのときは高音質を実現することしか頭になく、逆に、20kHz・16ビットでは不十分ではないかといったことばかり考えていて、まさか研究者で低音質〞を研究する人などいないと信じていたからだ・・・(AVレビュー4月号につづく)

(月刊AVレビュー4月号より抜粋。全文は本誌をご覧下さい)

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