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【連載】PIT INNその歴史とミュージシャンたち

第17回:渡辺貞夫さんが語る「ピットイン」とジャズに生きた日々<後編>

公開日 2011/08/15 18:07 インタビューと文・田中伊佐資
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ピットインでのライブレコーディングは
ほとんどぶっつけ本番のステージだった


佐藤:まあ「良いも悪いもピットイン」でした。ゴキゲンな演奏ができたのも、ハプニングがあったのもピットインでした。とかくアーティストは常にステップアップしようとするわけですが、渡辺貞夫という人はその意志が並外れて強くて、最高を求めようとする。聴き手から「最高でした」と言われても、どこか不満足そうにしている。良かったなあと思っても「今日は力が入りすぎた」とか振り返っている。もううかつなコメントができないですよ。


渡辺:最高を求める気持ちは、いまだにおんなじだね。

佐藤:究極の謙虚さを持った偉大なアーティストです。

渡辺:そんなふうにゴルフがいけばいいけどね(笑)。

佐藤:またそうやって、いつも冷静にその場の空気を感知して盛り上げていくんですよ……。

渡辺:……いやいや、そんな乗せないでよ。

佐藤:いやいや、それが究極の謙虚さです。45年間おつき合いさせてもらっていますが、これがコワイんですよ(笑)。来年は音楽生活60周年ですね。これは通過点に過ぎません。いま絶好調ですから。

ところでレコードを用意しています。『渡辺貞夫・アット・ピット・イン』。74年のクリスマス・イヴのライブです。シダー・ウォルトン、サム・ジョーンズ、ビリー・ヒギンズのリズム隊がバックを務めていますが、一晩だけの特別なセッションでした。これは凄かったです。

渡辺:いやあよかったね。たまたまこの素晴らしいリズム・セクションが来日して、ほとんどぶっつけ本番のステージ。音合わせのときにマウスピースが気に入らなくて、始まる前に家へ飛んで帰って別のを持ってきたのを憶えているな(笑)。


「渡辺貞夫・アット・ピット・イン」 1974年12月24日に収録されたライブアルバム 発売当時はアナログレコードだったが、CDやSACDでも発売された名盤
佐藤:よく貞夫さんはマウスピースやリードをどんどん替えて「良武、これはどうだ?」と続けざまに訊いてきた。確かに音色は違う。だけど、分からないですよ。そんな簡単には言えませんよ。コワイですね(笑)。「ピットイン」でのレコーディングはこれが初めてでした。

渡辺:「マイ・ディア・ライフ」(FM東京でオンエアされていた番組)で演奏を収録したことはあったけどね。


ミュージシャンの最初の目標は「ピットイン」に出ることなので
「ピットイン」はいつも日本のライブシーンの中心であって欲しい


ピットイン出演はミュージシャンの誇り
もっとたまり場になって欲しいものだね


佐藤:貞夫さんは「新宿ピットイン」だけでなく「六本木ピットイン」でも活躍していただきました。店は77年8月にオープンしたんですが出足はあまり良くなかった。それとは別に貞夫さんがリー・リトナーとジェントル・ソウツと共演していて、貞夫さん抜きで出演してもらったら、大当たり。これだ、フュージョンだと思いましたね。78年に貞夫さんは『カリフォルニア・シャワー』で大ヒットを飛ばすことになります。フュージョンが大メジャーになるわけです。

渡辺:そこから「六本木」も安定するわけだけど、2004年に閉店してしまったのは残念だった。

佐藤:またお店を作ることも考えましたが、「新宿ピットイン」を強化する意味でレコーディング・スタジオを作ることにしました。

渡辺:「ピットイン」は日本のライブシーンの中心であって欲しいと常に思っているね。やはりミュージシャンの最初の目標は「ピットイン」に出ることなので。

佐藤:店が存続できたのも本当に貞夫さんのおかげです。苦悩しているときに貞夫さんは、そっと力づけてくれました。貞夫さんから教えてもらった名言があるんですが憶えていますか。「痛みの度合いは喜びの深さを知るためにある」

渡辺:それはチベットの格言だね。自分も感銘を受けた言葉だった。

佐藤:貞夫さんのバラード、これは世界一なんだけど、人間渡辺貞夫の温かいハートの表れなんですよ。

渡辺:おいおい、今日はやけに乗せるねえ。ワハハハ。


渡辺貞夫さんのアルバム 「INTO TOMORROW」 渡辺貞夫(as)、Gerald Clayton(p)、Ben Williams(b)、Johnathan Blake(ds) ビクターエンタテインメント VICJ-61608 \3,150 (税込)。このアルバムには、本文中にある「スタディ・イン・ピット・イン」という曲が収録されている
佐藤:いや本当にそうです。昨年のアルバム『イントゥ・トゥモロー』で「スタディ・イン・ピット・イン」という曲を書いてくれたことにも感激しました。

渡辺:昔「ピットイン」をテーマにした曲を弟(渡辺文男)のために書いているんだよね。それをもう少しかっこよくリニューアルした。「スタディ」の意味は、ミュージシャンたちがこの曲をチャレンジしてくれたらうれしいなという思いがある。

佐藤:テンポの速い曲ですからね。

渡辺:「ピットイン」の出演はミュージシャンの誇りでもあるわけだけど、もっとたまり場になって欲しいね。かつてミュージシャンたちはピットインに出演するしないにかかわらず、うろうろしながらたくさん集まった。そこで情報交換をしていた。いまそういう場所がないからね。そこから一人でも二人でも有能なミュージシャンが出てきて欲しい。日本のミュージシャンと組んで外国で公演するのが私の夢なんですよ。外国のステージでは日本を背負っているという気持ちがあって、次はバンドとしてかっこよくやってみたいねえ。


写真 山本博道

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渡辺貞夫さん Sadao Watanabe(サックスプレーヤー)


1933年宇都宮市生まれ。18歳で上京後、秋吉敏子のコージー・カルテットをはじめ数々のバンドへの参加、バークリー音楽大学への留学等を経て、日本を代表するトップミュージシャンとして、ジャズの枠に留まらない独自のスタイルで世界を舞台に活躍。2005年“愛知万博"では、世界中から集まった子供達との、国境や文化を越えた歌とリズムの共演という長年の夢を実現させ、本活動は更に海外へと広がる。こうした長年の音楽を通しての様々な活動に対し、2009年1月「第50回毎日芸術賞」音楽部門特別賞を受賞。今年6月、NYのセントラルパークで開催された「Japan Day @ Central Park 2010 〜Share the World〜」では米国在住の子供達70名と共演。演奏はもちろんのこと、日米友好の架け橋となるステージは大きな話題を呼んだ。


ホームページアドレス http://www.sadao.com/


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