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【連載】PIT INNその歴史とミュージシャンたち

第17回:渡辺貞夫さんが語る「ピットイン」とジャズに生きた日々<後編>

インタビューと文・田中伊佐資

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2011年08月15日
今回は特別編として、「ピットイン」を創成期から支えてきた日本を代表するミュージシャン、渡辺貞夫さんに登場していただく。後編となる今号では、開店したばかりの、ピットインに登場してからの、深い関わりやその後の活躍などを、佐藤良武さんとの対談形式で、語ってもらう(前編を読む)。

外国のステージでは日本を背負っているという気持ちがある
だから日本のミュージシャンと組んでの海外の公演が私の夢


できたばかりのピットインに出演へ
グランドピアノの導入にも尽力した



「新宿ピットイン」のステージの上で写真に収まる渡辺貞夫さんと佐藤良武さん。この二人の運命的な出会いがあってこそ、「ピットイン」は現在までの長い歴史を刻むことができたといえるだろう

佐藤良武(以下、佐藤):貞夫さんが4年近くのバークリー留学を終えて帰国したのが65年の11月。「ピットイン」のオープンが少し遅れて12月24日です。運命の糸を感じますね。当時はモータースポーツのはしりで、「ピットイン」は車をモチーフにした喫茶店でした。ところが時代的な背景もあってジャズの生演奏をする場になっていきます。貞夫さんは、帰国して早々に、日本のジャズを発展させなくてはいけないという使命感に燃えた。

渡辺貞夫(以下渡辺):いやあ、そんなことはなかったけどね。ワハハハハ。

佐藤:でも「貞夫塾」が始まりましたよね。

渡辺:帰って2週間もしないうちに菊地雅章が「バークリーで習ったことを教えてください」と自宅にやって来た。1人教えるのも2人教えるのも同じだから、仲間を連れておいでと伝えたら15人ぐらいが集まった。それがあっと言う間にどんどん増えて、黒板まで買って週に3回のレッスンになった。

佐藤:「ピットイン」は店のシンボル的なミュージシャンが欲しかった。どう考えても貞夫さんしかいません。ミュージシャンがごった返すご自宅に行って直に出演依頼をしました。説明をしてももうひとつノリが悪かったんですが、たまたまゴルフの話になったら、急にぐぐっと寄ってきたことを憶えています。


渡辺:そうだったかなあ。

佐藤:それからギャラの話になって、結構……。

渡辺:高いこと言ってたかな? ワハハハハ。その頃アメリカで私が一晩演奏するとギャラは25ドルだった。感覚的にはだいたい7000円。サイドメンがその半分にいくらかプラスするぐらい。それだったらやるよと言ったと思う。

佐藤:入場料250円ですからね。いったい何人入れなきゃいけないんだと思いました(笑)。しかも40人しか入らないんですよ。

渡辺:ワハハハハ。でもやったんだよね。

佐藤:赤字ですけど頼んだ以上はやってもらいたいし、店には損をさせないという雰囲気が貞夫さんにありました。それに世界のライブハウスを貞夫さんは知っていますので、音響とか内装とかいろいろなアドバイスをしてもらうことができた。出演を始めて早々「アップライト・ピアノじゃダメだ。グランドピアノに替えなさい」と言われて渋谷のヤマハに買いに行きました。そうしたら半年待ちなんですね。後で分かったんですが、代金を支払えない客がいるので身元調査をするのに半年かかるということだったんです。その旨を貞夫さんに話したら、その3日後にいきなりグランドピアノがドーンと届いた。ヤマハの店長に確認すると「良武が払えなければ、私が払う」と貞夫さんから言われたと。渡辺貞夫ってすごいなって思いましたよ。この話を本人の前で言うのは初めてですけど、そのとき「ピットイン」は渡辺貞夫と心中してもいいと思ったんです。

渡辺:こっちはただ必要だっただけなんだけどね。ワハハハハッ。

佐藤:(爆笑)。それで毎週金曜日、貞夫さんに出演してもらえるようになった。ギャラは高かったですけど(笑)。まあでも、3年後に隣をぶち抜きにしてスペースが広くなりました。100人ぐらい、立ち見を入れると200人ぐらい入れるようになりました。入場料を高くしても、依然としていつも満杯です。採算もようやくとれるようになりました。

渡辺:いまだから語れる話だね。


お客さんにとにかく楽しんでほしかった
その延長でスキー場のライヴもスタート


佐藤:当時、貞夫さんはお客さんの雰囲気について意見を持っていました。

渡辺:帰国した頃、時代背景もあって聴衆が暗かった。まじめというかね。もうちょっと楽に聴いて欲しいという気持ちがあった。


佐藤:海外ではお客さんはカウンターやテーブル席にいて、思い思いに話をしたり食事をしたりしている。「ピットイン」みたいに全員がステージを向いていない。それにならって何度か模様替えをしましたが、どうしても全員が前を向いて深刻に聴く。日本人の気質なんですね。

渡辺:お客さんには楽しんで納得して帰って欲しいなと思っていました。レパートリーにポピュラーな曲をやったり、サンバのリズムを取り入れたりしたね。富樫雅彦にレコードを聴かせて憶えさせたこともあった。堅苦しさをとるのにしばらく時間がかかったなあ。

佐藤:貞夫さんは自分が楽しみ、お客さんも楽しんでもらいたいという意識が強いですね。ブラジルから帰ってきたときは「ピットイン」のイスとテーブルを全部外に出してくれと言われたこともあった。全員立ち見でドカスカ、ドカスカ踊りまくりましたよね。音が大きくて、何やってんだと交番から警官が来たりして。その延長で、ライブをスキー場でやったら盛り上がるんじゃないかと始まったのが74年の「ジャズ・イン・スノー」です。お客さんとバス数台で志賀高原に行って、昼間はスキー、夜はジャズ・パーティ。

渡辺:楽しかったね。

佐藤:帰りのバスで貞夫さんが「よし来月もやるぞ」と言い出したのには参りました。そんな簡単に手配ができるものでもないんで。ドラマーがしっくりこないとかで、東京から別の人を呼んだこともありました。なにを言い出すかわからないのでいつも緊張してます。いまでもそうです。


渡辺:ワハハハハッ。

佐藤:貞夫さん、笑ってますけどね。何気なく軽く言うんですよ。

渡辺:そうかなあ。こらえながらやってるよ(笑)。

佐藤:妥協がないんです。30年以上前に「これでいいと思ったら終わりだよ」という言葉は忘れられないですよ。若い頃はステージの時間より、終わってからの反省会が長かったですからね。ほとんどメンバーへのお説教で。

渡辺:そうだったかねえ。

佐藤:だってステージ本番中、客席満杯のなかでメンバーが気に入らないと降ろしちゃったこともあった。貞夫さん、ひとりで吹いていた。すごい殺気でね。お客さん、貞夫さん、メンバーとケアするのがたいへんでした。

渡辺:憶えてないよ。ワハハハハッ。


ピットインでのライブレコーディングはほとんどぶっつけ本番のステージだった

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