巻頭言

「LG有機EL」に
VGP審査員特別賞授与

和田光征
WADA KOHSEI

遥か30年前の風景が私をやさしく包む。それは、韓国の金星社(現LGエレクトロニクス)への取材旅行のこと。1987年で私は43歳、当社の社長に就任して4年目の頃である。

総務部の手違いでファーストクラスに搭乗することとなった。飛行機嫌いだったのでウォークマンとともに、クラシック音楽を中心にしたミュージックカセットを1本1本茶封筒に入れて持って来ており、機内で早速シートを倒し、ゆったりとした気分でマーラーの交響曲を聴いていた。

隣の席の神父姿の外国人が、飛行機が揺れるたびに驚いている。恐怖があまりにもその人を支配しているように見えたので、「海が見えますか」と聞いてみた。「見える」という。私は、「もう大丈夫、もう揺れませんよ」と日本語で言った。そんな会話を見て、パーサーが飛んで来て通訳を始めた。

「ところでこの方は神父の装いですが…」と言った私にパーサーが「この方はバチカンの総理大臣です」と、あらためて紹介してくれた。ソウルまでの2時間半で揺れる飛行機に動揺していた姿が気になったので、「ソウルの後はどこに行かれますか」とパーサーの通訳で質問すると、「アメリカのフィラデルフィアに行って、ローマ法王と合流する」とのこと。長時間のフライトでまた怖い思いをするのではないかと思い、私は持っていたウォークマンとミュージックテープ一式を彼にプレゼントし、「これがあれば多少揺れても大丈夫ですよ」と言葉を添えた。

大臣は喜ばれ、私にこれ以上ない感謝の言葉を下さった。そして名刺ほどの小さな紙に自宅の住所を書いて、「バチカンに来たら私の家にぜひ来て欲しい」と言い、男性用の香水と、20個ほどの十字架をプレゼントしていただいた。

金浦空港で私が大臣の後を歩くと、「あなたは誰ですか」と護衛が日本語で尋ねてきた。大臣が「彼は私の友人だ」と言うと、護衛は私のバッグをサッと持ってくれた。そして私は入国審査へ、大臣は握手をしてからVIPの通用口へ。私に手を振って、国家の重臣らしき人達の出迎えを受けて去って行かれた。

その夜、金星社の朱課長と同僚が集まって私を歓待してくれた。朱さんは日本で私のオフィスにも来られていたので、顔なじみである。「夕食は何がいいですか」と聞かれたので、「皆さんが普段楽しまれているところがいい」と答えると、居酒屋に案内された。大臣から頂いた沢山の十字架を、状況を説明しながら皆さんに披露し、熱心なクリスチャンである皆さんに東京土産ともども差し上げると大いに喜んでいただいた。金星社とは、そうしたお付き合いをしながらVTRテープの仕事をしたのだった。

私は金星社、つまりLGエレクトロニクスの誠実な暖かい社風に心を打たれていた。当時は日本企業でいうと日立製作所に似たイメージがあって、それは今日も変わらない。同族企業ではないということである。

そのLGから有機ELが登場し、パネルが弱体化した日本にとっての救世主となっているのである。巨額の投資は語り草であるが、その一貫した企業理念に賛辞を贈りたい。

小社主催のVGPでは、同社の有機ELの開発および商品化に対して「審査員特別賞」で褒賞し、その功績と未来を讃えることとなった。誠におめでたいことである。心からお祝い申し上げたい。

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