巻頭言

オーディオ専門店時代の幕開け

和田光征
WADA KOHSEI

私は昭和42年、小社に23歳で入社し、その後本誌の前身の「ラジオ・テレビ産業」の編集責任をしていました。昭和47年頃、当時の岩間社長が「オーディオ専科」をやるぞと言ってきて「誰が読むんですか」「オーディオ専門店だ」「そこまではっきりしていれば成功しますよ」と生意気を言った私です。

「オーディオ専科」の立ち上げにあたり、まずテレオンの先代社長 鈴木七之丞氏を訪ねました。「専門店とは?」の情報収集を始めて、さらには有力店の当時の社長に集っていただき座談会を実施しました。テレオン鈴木七之丞社長、ダイナミックオーディオ萩原統志郎社長、オーディオユニオン広畑照一社長、横浜サウンド樋口信次郎社長、サウンドエースの斉藤社長と錚々たるメンバーが「オーディオ専門店の経営」について議論した訳です。司会は岩間、私は編集責任として参加し「オーディオ専科」で記事を掲載しました。

この記念すべき一日を過ごした私は、オーディオ専門店時代の到来を確信したのです。そして地方の有力店訪問を始め、各地域の「オーディオ市場とオーディオ専門店」の連載をスタートさせました。北海道から九州まで全国ほぼすべての都道府県を回りました。

販売店は地域の信頼によって成立する、と私は考えていました。勝手な儲け主義は地域から拒絶され、ちゃんと経営している他店に負けてしまいます。そしてオーディオ専門店の目的は、地域の音楽文化を育むこと。それによって地域から頼りにされると確信していました。店はお客様の為の舞台、主役は商品である、そう定義しました。

取材ではまず県庁、市役所に行って地域の民力を調べます。家計調査で耐久消費財への年間投資額を調べ、オーディオへの投資金額を割り出し、世帯数や人口で換算し、その地域のオーディオ市場の基礎数字としました。その黎明期の投資金額は1800円位だったと思います。基本の数字は私が作りましたが、専門家にも伺って議論し、確信できる数字にしました。

そして県庁所在都市を始め地域の店を取材し、それぞれの市場規模をもとに店の活躍ぶりがどうであるかを記事にしました。若さの特権で正直な見解をきわめて、店から何回となく抗議の電話を受けたものです。

ある県庁所在都市の老舗の専門店に行った時。接客、展示などは私から見ていいとは思えませんでしたが、地域での売上げのシェアは50〜60%だと断言されました。しかし私の市場規模測定値では30%。そこで他を調べたところ、やはりオープン2週間の店がありました。店舗も奇麗で品揃えも充分、広い駐車場もありました。経営者に話を伺うと、地域からの信頼を強調していました。

老舗の傲慢な感覚や新しい店の考え方、卆直に書いた記事には、老舗からお叱りの連絡を頂きました。しかし私が理由を丁寧に説明すると先方もご理解くださり、努力されて素晴らしいお店となって、以後はしっかりとお付き合いを頂きました。

そうした取材活動はメーカーの皆様からも絶大な賛同を頂き、会社としての売上げもスタート時の数倍になっていたと思います。店づくりや店の繁栄の為の商品づくりにもマーケティングを駆使し、誌面で積極的に展開しました。80年代はじめあたりから「明日の今日」思想を実践していたのです。そしてオーディオ専門店が活躍する時代となりました。

時代が変わって市場の様相も大きく変わりましたが、オーディオやホームシアターが奏でる感動をあらためてお客様に伝えるべき時です。今、オーディオ専門店の新たな活躍が求められています。

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